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はじめての靖国参拝 vol.1

今日は午前中病院のため、新宿へ。

カフェで休憩しながら、この後どうしようかと考える。

家に帰ってもいいけど、せっかく出てきたのでどこかに行こうかな…と思った時に思い出した。いつかは行こうと思っていた神社。

そう、靖国神社です。

世界史選択だったため、日本史をあまり勉強してこなかった私は、結構最近までテレビで終戦の日に総理が靖国参拝する・しない問題や、参拝する際には他国から批判されていることを見て、

「靖国神社は参拝してはいけない神社なんだ」と、誤解していました。

ほんと~~~~~に恥ずかしい。

誤解が解けたのは、ある時友達に「靖国神社は桜がきれいだというから見に行ってみたいけど、あそこってあんまりいっちゃいけないんでしょ?」と言ったところ「何言ってんの違うよww」と説明されてやっと誤解が解けました。ありがとう、友達。

靖国神社は、明治以降の日本の戦争・内戦において政府・朝廷側で亡くなった軍人たちを祀る神社です。女も男もまつられていますし、中には外国人も祀られています。なので、第二次世界大戦で亡くなったかたはもちろん、それ以前の明治以降の方もまつられています。

総理の靖国神社参拝が中国や韓国などから批判されている理由は、彼らから見るとこういうことです。”靖国神社には第二次世界大戦のA級戦犯、つまり戦争を導き世界平和の秩序を乱した罪を犯した者たちが祀られている神社。それを国を代表する総理が参拝するということは、日本は戦争で負け、「自分達は間違ってました」って認めたけど、その平和を乱した罪人たちを良しとするの?私たちはあなたたち日本のせいでとっても被害にあった。許せない。反省してないの?極東国際軍事裁判の結果を受け入れてないわけ?ねぇ!?ねぇ!?ねぇ?!ということ。(違ってたら、教えてください。)

だから、総理は「いやいや~国としての行動ではなくて、個人的に参拝してます~。A級戦犯のためじゃないですよ。明治以降まつられているすべての故人をしのんでいるんです」という説明をしているわけです。

※靖国神社参拝に関する政府の基本的立場 :外務省HP

総理や国についてはおいておいて、令和になった今、個人が靖国神社に参拝する理由って何だろう…。

少し遠回りになるけれど、私自身、沖縄・広島・知覧を今まで訪れたことがあるのでそれぞれの戦争に関連する地について思い出したいと思う。

■沖縄

私が初めて戦争の資料館に行ったのは、高校生の時。修学旅行先の沖縄で、学校のプログラムでひめゆりの塔に行って、ゆめゆり女学生だったおばあちゃんの経験した話を聞いたり、ガマ(洞窟、避難場所に使用)に行ったりした。

大変申し訳ないが、おばあちゃんが話してくれた話はくわしいことは覚えていない。沖縄が国内で唯一戦いの場所になったこと、そして女学生たちも看護したり、たたかったことなどを教えてもらったというざっくりした記憶。こんなきれいな沖縄の海で、沖縄のひとは、敵兵に終われ自決したり、崖から海へ飛び込んだりしたという事実があるということ。

ゆめゆりの塔やひめゆり女学生の話は、できればもう一度行って話を聞いてみたい。修学旅行で聞いた話を私が後世に伝えられるだけの記憶をして、言葉にして残しておけたら本当にいいんだけれども。

修学旅行でちょっと行って聞いただけではきっと私のように何を聞いたか忘れてしまう人が多いかもしれない。でも、そういう場所があっていって、聞いた、細かいところを忘れてしまっても、存在を知っているだけで、あとは大人になって自分が興味を持った時に、もう一度自分で理解を深めるきっかけにはなっていると思う。

少なくとも、私にはそう思う。


■広島

次に行ったのは、広島の原爆資料館。

社会人になり、友達が結婚して旦那さんの広島転勤に一緒に行ったため、広島に遊びに行った際に、原爆資料館を訪れた。

広島の原爆資料館はディスプレイなどがおどろおどろしく、描写も鮮明でものすごく怖かった覚えがある。

NO MORE HIROSHIMAとホームページにもあるけれども、戦争は二度としてはいけない、戦争は恐ろしいものだと心に刻まれる資料館だった。


■鹿児島 知覧

広島から少したってから行ったのは、鹿児島、知覧特攻平和会館。

「知覧に行くと人生観が変わる」と知人に聞き、知覧に行くためだけに鹿児島に向かった。

知覧に行くと人生観が変わるといわれるのは、沖縄と広島の資料館が戦争の恐ろしさを"物理的に"伝える場所だとしたら、知覧は”感情的に”戦争の恐ろしさを伝える場所だからだろう。

(※長崎はまだ行っていないので話にだせない)

指宿などの温泉地や池田湖、フラワーパークなどもめぐり、青く続く海岸線、雄大な開聞岳。鹿児島はとても美しいところで、本当に本当に大好きになった。

そんな美しい鹿児島・知覧から開聞岳を背に沖縄へ飛び立ったのは、終戦間際の日本の10代の若者たち。もう敗戦が近い時期、日本の苦しい状況がよくわかる。

10代なんてまだ子供です。

特攻のためだけに招集され、みんな飛行機の乗り方なんてわからない子たちは、安全に飛ぶ方法、安全に着陸する方法よりも、「敵に突っ込む方法」を集中して教わります。

なぜなら目的は敵を爆破することだから。

機体に乗せる燃料は片道分。

「もう帰ってくることはないんだ。」

日本の若者たちがどんな気持ちで飛び立っていったのか。

覚悟を決めてというが、本当に覚悟が決まっていたか?

手紙には「日本男児として誇りです。国のために桜のように散ってきます。」と覚悟の気持ちを綴る。

覚悟は前の晩にもう決めた。

けれども腹の下がすうすうするような恐怖。そんな覚悟と恐怖のはざまで飛び立ち、こんなにも美しい国の海を陸を、そして開聞岳を、

「最後にもう一度だけ」と目に焼き付けるように振り返ったのか。


※参考:特攻隊が見た「最後の本土」 鹿児島県・開聞岳(産経フォト)   https://www.sankei.com/photo/photojournal/news/150620/jnl1506200001-n1.html

(ぜひリンク先に飛んで知覧の写真を見てください)


知覧特攻平和会館では飛行場の再現や、宿舎など、どのように彼らが飛び立つ前に過ごしていたか伺い知ることができ、また彼らの残した写真や手紙が展示されている。

知覧では、「自分だったら?」と個人の問題として、戦争を考えさせられるのだ。

もちろん前述の広島、沖縄にも絶対行ってほしいけれども、一生に一度は知覧に行ってみてほしい。私は長崎にはまだ行けていないので、いずれ長崎に行きたい。


もしかしたら学校の旅行でしか戦争の資料館に行ったことはありませんという人も多いんじゃないだろうか。

私は知識はかなり浅いし、歴史も全然覚えてないし、靖国神社のことも誤解していたけれども、日本が関わった戦争に興味を持っている派だ。

同世代の日本人より、私は「自分は日本人なんだ」という意識がとても強いと思う。それは多感な大学時代をほんの数年ではあるが海外で過ごしたことが、きっと影響していて、ほかの人から普段感じないような「愛国心」なるものが結構強く自分の心にあると思う。

自分自身、右翼でも左翼でもどちらでもないニュートラルなつもりなんだけど、ほかの人から見たらどうなんだろう。

どっちでもいいけど、日本人として私は日本のことを大切に思ってると思う。これから先もし海外に住むことはあってもその気持ちは変わらないと思う。

だから無意識の義務的に戦争を忘れてはいけない、戦争の地を巡りたい、日本のために戦ってくれた先祖のことを少しでも知りたいと思うんじゃないかと思う。

それが、私が靖国神社を参拝した理由かなと思う。


■特攻といえば、向井理さん主演のドラマ版「永遠の0」の主題歌になった、MISIAの「桜ひとひら」という曲がとても好きです。

1:35頃~ぜひ聞いてみてください。



Vol.2へ続きます。

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