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はじめての靖国神社 vol.2

▼先の記事vo.1はこちらから

個人が靖国神社を参拝する理由って何だろうということについて、自分なりに考えながら、まとめたものを綴っています。

vol.1では、自分がなぜ沖縄、広島、知覧、そして靖国などの場所に訪れるか、振り返って考えています。

さて、時は戻って、新宿から市ヶ谷駅へ向かいました。

靖国神社へは九段下の駅から向かうことをお勧めします。なぜなら、私は市ヶ谷の駅から向かいまして、のちのちその事を少し後悔することになるからです。

▼参照:https://www.yasukuni.or.jp/precincts/map.html

境内のマップを拝借しましたので、下の絵を見てください。

おそらく通常、34番がマークされている一番下の第一鳥居から皆さん入ってくると思うのですが、私は地図上の上の位置にある市ヶ谷駅から歩いてきたため、7番の南門から入ってしまったのです。

もちろんこの位置にも鳥居はありますし、ここから入ってはいけないわけではないですが、初めて行くなら1番下から行くほうが靖国神社の雰囲気が味わえていいなと思います。

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そうして、7番の左門から入り込んだ私は、5分もたたないうちに本殿を発見します。「あれ?なんか思ったのと違うというか、こんなに靖国神社って小さいんだ。なんかイメージと違うし、なんか拍子抜け…。」と勘違いする私です。そりゃそうですよ、あなたが横からちょろっと入ったんですからね。まだ境内の3分の1も見ていませんよ。拍子抜けなんて本当に失礼なことです。

南門に引き返すのも体力がいるのと、正門がどのくらい遠いかわからないので、これから資料館を回る身としては体力温存するために、そのまま本殿を参拝することにしました。

なんてお祈りしようかなとぼーっとしながら自分の番をまつ。(ぼーっとするな)特になにも決めないまま、自分の番が回ってきた。

私の先祖は戦争で亡くなっていないので、靖国神社には先祖は祀られていない。

賽銭を入れ、二拝二拍一拝し、頭をたれると、

「よく頑張ったね。日本のためにありがとう。」

という気持ちが沸いてきがので、本殿に向かい心の中でお伝えしました。

「よく頑張ったね」なんてちょっと偉そうだな…と参拝した後になって思ったのですが、ポンと出てきた素直な言葉がそれだったので、きっと祀られている方も気にされないといいなぁ。きっとそんな細かなことは気にしないさ。

意外だったのは「世界が平和になりますように」とかそういった類の言葉がでてこなかったことに自分で驚きました。戦争関連の神社だとそんな類のこと場をお祈りしそうな気がしますが、祈りではなく、労いや感謝の気持ちが沸いてきたのはここがやっぱり靖国神社だかなのかなぁと。

次に、靖国神社の資料館の向かいにある広場、地図でいう24、25、26番あたりに行きました。

ここの場所には、軍馬や軍犬の銅像、インドの法学者・ベンガル人のパール博士の銅像が立っている。パール博士は今回靖国神社に訪れたときに初めて知りました。

■パール博士とは、平和に対する罪とは…

第二次世界大戦終戦後に行われた、極東国際軍事裁判(東京裁判)において連合国(戦争に勝った国)が派遣した判事の一人で、判事全員一致の有罪判決を目指す動きに反対し、「平和に対する罪と人道に対する罪は戦勝国により作られた事後法であり、事後法をもって裁くことは国際法に反する」などの理由で被告人全員の無罪を主張した「意見書」(通称「パール判決書」)で知られる。

(参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A9%E3%83%80%E3%83%BB%E3%83%93%E3%83%8E%E3%83%BC%E3%83%89%E3%83%BB%E3%83%91%E3%83%BC%E3%83%AB)

「戦に勝った者が歴史を作る」とはよくいうけれども、まさにこの極東国際軍事裁判とA級戦犯もパール博士がいうように、「平和に対する罪と人道に対する罪は戦勝国により作られた事後法である」ということに尽きないと思う。

世界大戦では、どの国も戦争に参加していたんだから、「A級戦犯」という「平和を乱した罪」なるものが存在するのであれば、戦争に負けた日本やドイツのみならずイギリス、ソビエト連邦、フランス、ポーランド、中華民国、オランダ、ベルギー、アメリカ合衆国、オーストラリア、ブラジル、ギリシャなどの戦勝国の戦争指導者達にそれぞれ同じく「平和に対する罪」は存在するはずであり、

”そもそもの大戦の原因となったポーランドによる占領問題やフランス・イギリスからのドイツへの一方的な宣戦布告は断罪されなかった”のはおかしい。「平和に対する罪」を問うならことの発端はそこだから。

しかし、泣いてもわめいても日本は戦争に負けてしまったが故に、軍事裁判にかけられ、A級戦犯として有罪となり、25名が有罪と裁かれた。

同じく敗戦国のドイツも日本と同じように、ニュンベルク裁判で20数名の主要戦犯も有罪となった。

※参考:https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8B%E3%83%A5%E3%83%AB%E3%83%B3%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AF%E8%A3%81%E5%88%A4

■話を戻して…

舞台は靖国神社の軍犬・軍馬・パールは博士の銅像のエリアに戻る。このエリアで見ていた時に、私は喉が締め付けられて苦しくなった。多分一時的な「咽喉頭異常感症」というものだと思う。たまにしかならないので、病院に行くほどではないので行ってない。

「咽喉頭異常感症」はなにかストレスを感じたりするとなるようだ。喉がぐっと締められるように鎖骨のすぐ上の喉?(首の付け根)が苦しくなる。おんなじような症状がある人でこれが何なのか知っている人がいたら教えてほしい。

もってきた麦茶を飲んで少し休憩してから資料館に進むことにした。

vol.3へ続く。




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