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自己紹介リレー ジャカルタの空より

初めまして。まゆみんです。2011年10月よりインドネシアのジャカルタで暮らしています。夫の仕事(日系企業)の都合ですので、もう直ぐ10年になりますがいわゆる「駐在妻、駐妻』です。私のこの活動の原点は、2011年7月に遡ります。
私はそれまで、医療・福祉の大手企業にて、総合職として働いていました。
大きなプロジェクトの慰労会と、私自身のプロジェクトリーダーとしてのキックオフ決起会でいい気分で帰ったその日の夜、
家のリビングの上に「地球の歩き方「インドネシア」が置かれていました。
今年の旅行の行き先は、インドネシア?!などと呑気なことを思った瞬間に、
夫から「ジャカルタに駐在が決定した」と告げられました。

あれから10年。今でも、その時の衝撃と、「生まれて初めて腰が抜けた」こと
昨日のことのように、鮮明に覚えています。
当時は、子供が欲しかったし、人生の中で一度は海外に暮らしてみたいという思いもありました。キャリアのことも考えましたが、実は、当時、仕事でインドネシアに関わるチャンスも垣間見得ていたので、
インドネシアなら、自分の新しいキャリアが築けるかも!と思い、
悩んだ末に、退職そして、インドネシアの地に降り立ちました。

はじめての専業主婦

ジャカルタで、初めて「専業主婦」の生活が始まりました。仕事が忙しい時は、専業主婦に憧れたこともありましたが、いざ始まってみると、
その生活は、想像を絶する「私って何者?」という自分との対峙。激しいアイデンティティロスに苦しみ、帯同したことを後悔し、夫とは毎晩喧嘩し・・・と
世に言う『華やかな駐妻生活』とはかけ離れた、自分自身と向き合い続ける
つらいつらい時間を過ごしました。

そんな生活ではありましたが、たくさんの出会いやチャンスが重なり、
2014年頃から、駐妻のキャリア支援を目的にしたグループを立ち上げ、
現在に至ります。(その経緯はまた後ほど。。)

私は、駐妻になるまで、いわゆる「女性である」ということをあまり意識したことがなかった気がします。それは、おそらく、「女性である」ことを理由とした差別を感じずに、教育を受け、自分の「選択」で人生を歩めていたからかなと、
思います。

駐妻になって初めて痛感すること

駐妻になって初めて、自分が
「日本人であり、日本人女性であり、日本人妻であること」を
痛感する瞬間がやってきます。
「奥様、妻、母」というバイヤスがかかって見られることは、
「何だか背中がかゆくなる」
「でも、実は楽で心地がいい」そんな経験もやってきます。

自分の「今」に、そして「女性」であることに、何かマイナスイメージを
持っているかと問われると、実は、そうではありません。

ただ、海外にいてたくさんの人と接していると、
女性だから男性だからという性差を超えて、
社会や家庭の役割を担っているケースがたくさんあることに
驚きを隠せません。
特に、日本人以外の友人や知人、ビジネスパートナーとの会話の中で、
「私は女性である」と口にすると、途端に「ポカン」とされることも
たくさんあるのです。
つまり、女性であり男性であるということは、
彼らにとっては重要な判断材料ではない。と言うことなのです。

自分の力で選択して行き方を決める世の中へ

私は、駐妻になるまで、自分自身が「女性」であることに劣等感を感じたことはありませんでした。でも、潜在的に、「自分が女性である」ことを強く意識しているのだということに気づいています。
これは、きっと、日本人以外の人たちとの会話や、私の立っている場所から、
学べたことだと思います。

私は、私自身や大切な人たちが、
「自分の力で選択」して、「自分の生き方を決める」世の中になってほしいと
思っています。そして、「女性だから・男性だから」という性のバイアスは、避けられないポイントであるとも思います。
ただ、そのバイアスによって、「自分の選択」の幅が、狭くなってしまう、
そんな事象だけは避けたいな。
そんな世の中は変えたいなと思います。

性別を超えて、言葉の壁を超えて、国境を超えて。
たくさんの人たちの未来が、自分の手で作っていける。
そんな社会を子供達に残していきたいと思います。

荻野真由美


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