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タバコの思い出の話

いきなりだが、私は喫煙者だ。

2020年ももう半分以上すぎた今、法令の変更も相まって、タバコを吸える環境というものがどんどん少なくなっている。喫煙者としては日々、肩身の狭い思いをしている。さらなる増税も予定されており、タバコ及び喫煙者に対する風当たりは強くなる一方だ。

私自身はというと、いわゆる加熱式タバコと言われるiQOSを愛用している。かと言って、喫煙者であることに変わりはない。金を払って寿命を削っているわけのわからない人種であることは火を見るより明らかだ。

しかし、私はタバコがなぜかとても好きなのだ。ニコチンの依存性に引っ張られている可能性も大いにあるが、色々思い出があって好きになってしまっている。

一応言っておくと、喫煙を推奨する意図は全くない。ただの喫煙者の思い出話を書くだけだ。皆さんは、私が皆さんより早く死ぬ可能性が高いという時点で大いにマウントを取った状態で読んでいただきたいと思う次第。

私は、タバコにとてもとても忘れられない思い出が一つある。

工業高校を卒業した私は、地元を離れ大阪のとある企業に就職した。この日本に聞いたことない人はいないような大企業だった。ちなみに今は離職して縁もゆかりもない生活を送っている。

この企業に勤めて2年ほどたったある日、私はタバコを吸い始めた。もともと両親が喫煙者で、タバコはとても身近な存在でもあったが、この時までは全く吸ったことはなかった。

なぜ吸い始めたか、それはこの会社が、タバコ休憩が許されていたからだった。そう、タバコ休憩の名のもとにサボりたかっただけだ。

現実逃避という表現が最も適していると思う。書類の積み上がったデスクを離れ、喫煙所という空間を逃げ場所として確保していた。当時から喫煙者は減る一方であったため、若い喫煙者は年配の方から可愛がられ、喫煙所は普段会話しないような人とも話すことができる不思議な空間だった。

特に面白くもない日々の仕事をやり過ごしていたとある休日の夜。私の携帯電話が突然鳴った。高校時代の同級生からだった。

親友が死んだ知らせだった。

最初はなんの冗談かと思った。ただ、電話口の同級生の口調から、それが事実だということをすぐに感じ取った。

そこからはなぜか冷静だった。今までその親友と交流のあった友達たちにとりあえず連絡をたくさんした。葬儀の日程や場所も伝えた。涙は全く出てこなかった。

翌日の早朝から仕事の予定だった私は、とりあえず地元に帰る段取りをつけるため、ひとまず上司にメールを送った。友人が亡くなったこと、急遽帰省するため休みがほしいこと、早朝の仕事はとりあえず変えが聞かないので向かうこと。

何がなんだかわからないまま翌朝を迎えた。早朝の現場仕事をこなしたあと、オフィスに戻り、有給休暇を申請した。会社から寮に戻り、急いで荷物をまとめていたとき、初めて涙が溢れてきた。このときようやく、事実を理解できたのだと思う。

そのまま新幹線で地元へ帰り、通夜へと参列した。そこまで涙は出なかった。ただ普段全く泣かない自分にとってはありえないほど涙は出ていた。

その夜は、同級生たちと居酒屋で集まった。少し早い同窓会のようになってしまった。集まった理由は不本意だが、久々の再会にみな話も弾みに弾んだ。

そしてそのあと、さらによく遊んでいたメンバーだけで二次会へと向かった。そこで今までタバコを吸ったことのない友人まで、やけになったのか何なのかタバコを一箱購入し、バーでみんな酒を飲んだ。タバコも吸った。男だらけでみんなで泣いた。

時間も過ぎ、夜空が少しばかり白んできた頃、私達は、母校である高校へと歩いていた。何を話していたかはあまり覚えていない。みな酒のせいか涙のせいか、真っ赤な目を携えて、黒いネクタイをはずしたスーツ姿で、とにかく歩道を歩いていた。

母校の隣には食堂や合宿所としても使われる会館が併設されており、その玄関先には灰皿が置かれていた。

そこで親友を思いながらみんなでタバコを吸った。タバコの味は美味かった。でも苦かった。よくわからなかった。

別にその亡くなった親友が喫煙者だったわけでもない。私はサボりたかったからタバコを吸い始めた。でもこの時はタバコを吸う以外なにもできなかった。一緒にタバコを吸っていた友人と「何やってんだろうな」と笑ったあとまた泣いた。

夏の日にタバコを吸っていると、未だにこの日のことを思い出す。別にトラウマになっているわけではない。ただ、記憶の1ページとして思い出すだけだ。

私が未だにタバコを吸い続けており、タバコが好きな理由は特にわからない。なんとなく好きなのだ。

ただ私がタバコを好きな理由が、この日のことを忘れないようにするためだとしたら、面白いことだなと思う。

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