自分の意見を言えるようになる方法
若い頃に頭の良い(と勝手に思っていた)人の集まりに行くと、自分の話すべき事がない事で居心地が悪かった事を覚えています。僕が自分の「話すべき事」を持てるようになったやり方を書いてみました。(長くなっちゃった)
会話、コミュニケーションとはなにか?
素直な昔の僕は、先方の伝える全てのコミュニケーションを同じように扱っていたのですが、よく考えてみるとコミュニケーションには明確に種類があるのです。
営業マンがものを売ろうとしている時
下心を持って男性が女性と接する時
キャバクラで女性が男性と接する時
宗教団体があなたの苦しみに共感してくれている時
視聴率で成り立っている、テレビや雑誌に書いてある発信
全部ポジショントークという分野です。自分のポジションから、自分をなるべく優位に位置付けるために都合の良い方向にあなたの思考を絡めとろうとする=コミュニケーションです。濃淡はあってもこのコミュニケーションは日常に溢れています。
そしてもうひとつ蔓延しているのが、「原理主義コミュニケーション」です。(言い方悪いかな…)これはポジショントークより本人の自覚すらないので、怪しいと感じる人にとっては怪しいのですが、自分の軸がない人にとっては盲目故の力強さが説得力があったりします。
原理主義コミュニケーションの出来上がり方
原理主義コミュニケーションが出来上がる根本には、冒頭の「何を話したら良いか分からない」「不安」「分かりたい」という人間の弱さがあります。
人は不安な時、確信めいた思想を求めます。
ある時、「偉大な誰か」や「断定してくれるTwitterの人」、宗教やヨガ、ビーガン、哲学や、イデオロギー今、で言えばホリエモンなど。(今後、教祖と呼びます。(言い方悪いかな2))
に出会います。ちなみにテレビのワイドショー的なポジショントークの「常識」を教祖に持ってしまっている人もいます。
その思考の体系を自分の中に取り込むことで、「何かを知った自分」になることができ、不安から少し抜けられます。(これを否定するつもりではありません。)
会話をするときには、背景が大切です。
「約束は絶対か?」
に対して話をする時に、「約束は守らなくてはいけない」
「なぜならば」という部分です。
偉大な教祖は、だいたいその背景まで準備されて全体のストーリーが完成されています。
ある教祖の教えに感化され、その道を深めていく事でより深い真理「なぜならば」に近づいていくので、その集団の中では「わかっている人」になっていきます。
一度ひとつの教祖の教えをインプットしてしまうと、そこから変化させることは難しくなります。
やっと正解に近付いた自分を手放すのが怖いという無意識も手伝って、今の考え方は正しいと思いたいという思考停止の力学が働くからです。理屈は通ってますし。テレビの「常識」には理屈はありませんが…
日常の会話を位置づける
さて、つまり皆さんの日常の「会話」の中には相手からの
ポジショントーク
原理主義コミュニケーション
他(無償の愛からの発言や、他愛のない友人からの発信)
が入り混じっています。
そんな中でいちいち、右往左往してしまうのが人間ですし、僕もそうでした。
しかしある時から以下の様に考えるようにしたことで、一気に楽になりました。
自分の考えを形作っていく作業
=コミュニケーション(会話)という位置付け。
例えば
先程の「約束は絶対か?」という話をするとします。
誰かと話をすると、相手は、「絶対」だとか、「場合による」とかなんか言いますよね。「なぜならば~」も加えて。
それについて自分は納得できるか?(自分の考え方に合うか?)納得できるなら、自分の意見として取り込みます。
納得いかないなら、背景を聞いてみます。そしてなぜ納得いかないかの理由を考え方に取り込みます。(そしてこれは、常に「現時点では」こう思うでしかありません。)
1つのテーマを立場の違う3人くらいと話せば(本を読むのも会話のひとつです)、自分の現時点での考え方は定まってきます。
そして多くの人が、例えば「約束を破ると、自分も信じられなくなるから約束は絶対」と言うならば、
「自分を信じる生き方を大切に思うか?」という問いが
「約束は絶対か?」の背景で考えなくてはいけない次のテーマとして浮かび上がってきます。
そうなってくると、ポジショントークも原理主義も関係なく楽しくなってきます。(ついてきてますか?僕は書いてて楽しくなってきましたw)
「自分を信じる生き方を大切に思うか?」という話にポジショントークの人は、キョトンとした顔をします。
そっか、ポジショントークに関係ないもんなwという学びがあったりするわけです。
原理主義も、宗教毎、イデオロギー毎に違うことを言うわけです。
一定のレベル以上の「なぜならば」に答えられないと、原理主義の可能性が高いです。
教祖がこう言っているから。というのが原理主義の根拠なので。
ただ、深い理解を持っている原理主義の方のお話は、教祖の背景まで理解されているので、背景を追求していくととても面白いものです。
自分が自分の教祖になる
このように深めていくと「自分が自分の考え方の教祖」になる事が出来るようになります。
つまり背景も含めて、自分の言葉で「こう思うから、こうだと思う。」と語れるようになります。そして常にバージョンアップもしていきます。
自分が軸を持って発信できるようになると、多くの人がその話を聞いてくれるようになりますし、同じようなスタンスで会話から学ぼうとしている人と相互に刺激を与えられる関係になれます。
その立場にいるならば、他の人とのコミュニケーションが「新しい発見ができるかもしれない楽しい事。」になります。
へぇそうなんだという態度がとれるようになります。
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