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二元論的ICT教育推進への違和感

昨日4/25と言えば当校の給料日である事は世界に3名はいて欲しい”Takaフーリガン”なら周知の事実である。なにせ私が一ヶ月で一番楽しみにしている日なのであるが、それに加え「ICTと教育」というテーマについて妙に考えさせられる一日であった。忘れる前に記載しておこうと思うが忘れるも何も、これを書いている段階で何か結論があるわけではない。わたしは何時だって書きながら考えてるのだ。なぜnoteをほとんど更新しないかお分かりであろう。なにせ面倒なので考えたくないのだ。考えながら書くというのは逆説的に捉えれば書かなければ考えなくてよいという事なのである。

そんな考えるのが面倒な私が珍しく考えさせられたのには理由がある。たまたま昨日は以下の3つの出来事があったからだ。順を追って説明したい。

①日本に留学中の学生にオンライン授業について聞いた。
②日本語教師チャット
③ZOOMでシェア会

①わたしが担任をしている4年生のうち、現在11名が日本の大学に留学させてもらっている。昨日はウチ7名に「オンライン授業には慣れた?」とラインしたところ、日本の大学に於けるオンライン授業の実態を知る事となったのである。因みにそのうち5名からは回答の後「で、用件は何?」との返事があった。わたしはただ①学科のインスタ担当をしているがネタがないので写真10枚送って来い②フォロワーが少ないからフォローしろ。ついでに友達を誘え③なんだったらお前らが俺の代わりにインスタ更新しろ と言いたかっただけなのに、「で、用件は何?」とはあまりに失礼すぎる返事ではなかろうか。ぜひ日本での留学中に人としてのあり方や礼儀作法を習得してきてほしいところである。ところで対して興味もなかった学生たちの大学に於けるオンライン授業の実態に関して色々わかったので共有しようと思う。実はその殆どはメールかGoogle Classroomで課題と言う名の宿題が出され、学生はそれを提出するのみなのだ。「それじゃオンラインでもなければ自律学習でもなく、単なる自習やないかーい」というワイングラスを片手に持ったタキシードとシルクハット姿の岡田将生の声が聞こえてきそうである。その他だと先生が動画に撮った授業を学生が視聴→課題を提出というのがあり、ZOOMなどを用いたオンライン授業を行なっていたのは、とある大学のゼミの授業だけであった。(あくまで私の学生が受けている授業の範囲においてだが) 流石は以前一度お会いした際に「自分の住んでる街は小さいので、お姉ちゃんがいる店に飲みに行ったりすると学生に出くわす事があるんですよね」と悩んでいらっしゃっただけの事はある。その先生のみがいち早くZOOMを活用していたのだ。

②そんな遅れた日本のICT化、オンライン授業の導入を尻目に日本語教育チャットでは「コロナ後の日本語教育はどうなるか」をテーマに以下の設題が設けられ、ICTに強いであろう先生達が様々な意見を述べられていた(わたしまだ読んでませんが…)

Q1:自己紹介とコロナウイルスによる個人的な被害を差し支えない範囲で教えてください。
Q2:良い方向に変わったことはありますか。
Q3:現時点で、全体としては良い変化と被害のどちらが大きいですか。
Q4:復興後のもっとも大きな良い変化は何だと思いますか。
Q5:あなたの働く機関は良い変化のために何が出来ると思いますか。
Q6:あなた個人は良い変化のために何ができると思いますか。

いつもは設問を見て何も考えずに即興で打つ私なのだが、少し戸惑ったのは随所に見られる「良い」というワード。そこには「ICT化=良い変化」という考えが根底に存在し、ひいては「アナログ=時代遅れ」「アナログ=努力を怠る者の拠り所」「アナログ=俺の変わりにインスタ更新しろ、この豚野郎!」というバイアスがかかってしまうのではと危惧したのである。誤解して欲しくないのは主催者の村上さんに関してはICTを「人と人をつなぐもの」と捉えていらっしゃるのだが、Twitterで時折目にするICT推進派の人たちの中には、上に挙げたようなご意見を持つ方がいらっしゃるのも事実である。こういったICT=善、アナログ=悪 という二元論は当然反発を招き、どちらかと言うとICTに苦手意識を持ってらっしゃる方にとっては頑なにアナログにしがみつく口実をも与える結果となる。そういった事を踏まえての上記の設問なのだろうし、私個人も自分の学生たちの置かれている現状を鑑みると「もうちょっと、どうにかしろよ」とか思っちゃうのだが、違和感を覚えるのはICT教育と従来の対面式の教育とを一本のニュートン力学的時間軸の右と左に並べ、対面式=アナログ=時代遅れ=悪、ICT=最新=善 という構図にするからであり、個人的にアナログとデジタルとは仏教の輪廻転生的時間軸に置く方が納得ができる。どういう事かと言うと、わたしはこんな見た目で美術館に時折いくのだが、その前に「え?そんな見た目で?」と思った方は正直に名乗り出た上で目を瞑り歯を食いしばって欲しい。私の変わりに蝶野正洋が全力でビンタを食らわす事をお約束する。それはさておき最近のアート業界ではVRが使用したデジタルアートも多く見られ、私も結構大好きだったりするのだが、どれだけ技術が進んでVRやプロジェクションマッピングなどのアートが洗練されても、ダヴィンチやゴッホの価値が下がるとは思えないのである。結局のところ表現者の手段の違いであり、受けて側は自分の好きなものを選択すれば良いだけの事なのである。

③前述で覚えた違和感を解消してくれたのが、昨日行なわれたZOOMでの実践報告会で、そこでは香港のもっちーずきさん(勝手にクレジットするのが憚られるので検索してみてください)と、百戦百勝鋼鉄の霊将と呼ばれている※ 1      アベ・ワンコ閣下 @jptwabe (勝手にクレジット表記しておきます)が登壇されていたのだが、お二人ともICTを目的ではなく手段の一つとして捉え、如何に学生の利益に繋がるかを念頭に工夫されているかが画面越しにビンビンに伝わってきた。なによりお二人とも楽しんでいるのだ。閣下に関しては昔から仲良くさせていただいているので少し知っている事を述べると、その素晴らしさは奥さんが綺麗で性格も良くて料理上手な事でも、娘さんが可愛くて三ヶ国語を話す聡明なトリリンガルな事でも、そんな家族を心から大事にしている事でも、ご本人もトリリンガルな事でも、きれいで大きい家に住んでいることでも、たくさんの学生から愛されている事でも、日本語教育を心から愛し楽しんでいる事でもなく、ICTを数多ある趣味の一つと捉え、決して教育の目標には置いていないことである。たまたまICTが好きで日本語教育も好きで、その中で上手く符合する部分を切り取り手段として利用しているだけで、決して押し付けたりしていないのだ。というかここまで書いててワンコ将軍閣下の持つ特性がどれも自分には兼ね備わっていないことに気がつき腹立たしく思えてきたので、そろそろこの駄文も終わりにしたいのだが、結局従来型の教育とICT教育とを同じベクトル上に設置し優劣をつけようとするところに自分の違和感の根源があったんだなと納得した一日であった。最後に自戒の念を込め、最近巷で話題沸騰中のである台湾のIT大臣こと唐鳳氏(オードリー・タン)の一言を紹介したい。

ITの目標は、人間の自然な生活に近づいていくことです。逆にいえば、人間社会がデジタル技術に合わせる必要はありません。-オードリー・タン-

※1  少なくとも私には。以下参考画像


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