効率よくがだいすき
時間感覚が一部で加速しており、とても不思議な感触。
というのも「年々加齢で早まっていく時間感覚」とはすこし違って、能力的に選んだ任意のところで早まっている様子なのね。
つまり効率化がしっかりできているのだろうなぁ、と思うところ。
献立を手順立てしている時に、こんな早い時間計算でいいのかなって心配になるんよねぇ。いいみたい。
まだ見誤ることはあっても、おおむね見積もりを正しく予測できていて、それでじゃあ順序はこうしよう、になっているのじゃないかな。
以前も常に手を動かしている状態だったのは憶えている。身体としては元気さんだよー。
ただ、何かしら同士でぶつかってしまうと、電子レンジが空いていないとか、容器が空いていないとかでストップされてしまうらしい。
そんなにいっこいっこは長くなくても、変えて早まっているってことは、鈍さとは別の滞りが起きていたんだろうな。
それじゃあ、「気づいたら過ぎている」が起きている部分は、集中できていないところなのかな。
もしくは、決まったかたちがない、効率化できない部分とか。
ここから拾っていたところみたい。人と人との交流は、効率化しにくい部分。たしかに。
あとこれ。
時間を通貨にして、信用をつくる。信用をつくるには手間がかかる。
他も混ざっているけれど、この辺りを総合して、効率化した時間を交流につかうよう受け取っているみたい。
だから効率化好きなんよな。
開けた時間をよりよい時間につかって、もっとよりよくする向き。
かなり最高があるー。
片づけも似ているけれど、身の周りが変わることについては抵抗が少ない方だと思うな。
ことん、くらいの音をして、しずかに変わっていくのも面白い。
これもやっぱり、おおむね見積もりどおりで、予測のつかない箇所だから、大事にして面白がりたいなぁ。
すこしの会話でだいぶ心強かったりするもんねぇ。
またねー。
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