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仏印の北部ベトナムで『2百万人餓死』を引き起こした”真犯人”とは?

 先日、私のベトナムの思い出を日本陸軍・山下大将のベトナム埋蔵金|何祐子|noteに纏めましたが、もう一つ、思い出した話があります。
 
  『日本軍の蛮行による仏印北部2百万人餓死の話』。最近は余り目立ってませんが、時間を開けて突然ひょっこり顔を出して人々の耳を驚かし、ビックウェーブが起こせずに又引っ込み、静かにして次機を伺うという奇妙な生態(!?)😅を持っています。
 何故そう思うか、そして何故そうなるのかと考えると、やはり『未だ決着が着いていない』、或いは『結局真犯人がはっきりしていない』ことが一番の原因だと私は思うのです。

 この話を一番初めに聞いたのは結構古く、確か1990年代中後半頃、情報源はベトナム留学中の日本人の友人でした。先の記事にも書きましたが、多感な青春時代を『バブルと戦前の日本軍蛮行報道』と共に過ごした年齢の私は当然、『知らなかった!それは大変だ!ベトナム人に謝らなきゃ!』と喜び(?)勇んで😅早速周囲のベトナム人へ”紹介”しました。そうしましたら、『しーん・・・』で、反応、薄っっっ!!(笑)全然取り合ってもらえず、逆に必死に日本軍の蛮行を喚き立てる私が珍奇に映ったのか、或る種の憐みを含んだ目で、『何故自分の国を悪く言う?』と心配されたりして。まだ語学の壁もあり、残念でも引っ込むしかありませんでした。。。😅😅

 でも、この『200万人餓死説』は今でも消えてません。忘れた頃に現れ、私の最新は2,3年位前にベトナムで長い間ビジネスをしている年配の方でした。。。
 この現象の根っこにあるのは、もしかしたら史実を世に知らせようと未だ彷徨う被災犠牲者の魂がそうさせているのかも知れないと、何となく私はそう感じます。😢😢 ですので、仏領インドシナ史関連の古書の記述を元に、今日はこの『真犯人』の姿に迫って見たいと思います。。

 まず、この200万人餓死情報の『源流』は、知る人ぞ知るホー・チ・ミンおじさん『再・独立宣言』です。

 「1940年の秋、連合国に対抗する拠点を更に築くため、日本のファシストがインドシナを侵略し、(中略)その結果、ついに昨年末から今年の初め、クアンチから北部にかけて、200万人の同胞が餓死しました。」

 ここ⇧です。。なーんだ『言い出しっぺ』はホーおじさん。。。。😅😅情報の湧き出し元がここなら、『何故消え無い?』というより『消える訳ない』と判ったところで、では『何故死んだ?』の検証です。
 ネットで調べましたら、今までに日本でも様々な検証がされたようでして、(1999年頃に)ベトナムハノイで取材をしたジャーナリストの高山正之氏が新聞のコラムで、
 「…人民委員会の幹部があっさり『政治宣伝だった』と認める。『あの当時、ハノイ大洪水と干ばつに交互に見舞われ、多くの餓死者がでた。それを時期的に合うので日本軍と結び付けた。ただ、南の穀倉地帯との鉄道が連合国軍の爆撃で途絶えがちだったことも確かで、だから日本にも50万、いや5万ぐらいの責任はあったはず』と。

 このように、ハノイ人民委員会の方のインタビューを掲載してますから、『何故死んだ?』は、『大洪水と旱魃で死んだ』が一番説得力あります。呆気ないですが、『200万人餓死』の『真犯人』は、この『大洪水と旱魃』に間違いないと思います。

 では、このベトナム北部の『大洪水と旱魃』の歴史を見てみます。『安南民族運動史 その(8)』にも書きました様に、そもそもベトナム北部には有名な『山の精、水の精』という神話伝承、「…どちかが美しい姫を娶るか競い合い、山の精に負けた水の精が、毎年必ず一回山に洪水を起こすという言い伝え」があります。『越南史略』編者の陳仲淦(チャン・チョン・キム)氏は、
 「この昔話の元になっているのは、北越地方の洪水のことだ。毎年6月、7月になると、上部地域で起こった河川の氾濫が下部の平地まで流れ込んで来て、田畑が水流に飲み込まれてしまう。昔の人々は何故だか理由が判らず、これは山精と水精が争っているせいだ、とこんな昔話を作ったのだろう。」
 
 
と、解説を加えています。
 遥か古代より、北部周辺の大洪水の発生月は毎年6,7月。ホーおじさんの宣言の『昨年末から今年の初め』は、備蓄米も芋も野菜も禽獣も獲り尽して餓死者が出始めた時期と符合します。
 しかし、古代神話はあくまで伝承、では、近代この周辺の様子はどうだったのか? 仏印政府主導で〔植民地の河川築堤工事を盛んに行った〕とは考え難いので、フランス侵略後の状況は以前より悪化、良くても横ばいという状況かと推定して、『フランス侵略前』の北部ベトナムの様子昭和16年発行『安南史講義(翻訳)』(=仏印現地の歴史教科書)の『参考文献 仏蘭西干渉前の安南国の状態 其の(四)災害』の項からその当時の様子を見てみます。
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 其の(四)災害(洪水、悪疫、飢饉、掠奪、戦争)


 イ、洪水と飢饉 -多くの省の殆ど全住民が絶えた。最早田を耕す者もない。河は容赦なく堤防を破壊しても誰も之を構う者はない。流れ来た土砂は運河を埋めるが一人として防護工事を指図するものもなければ之を行なう者もない。飢饉は一家を死に至らしめた。老人、女、子供は飢えに死し、壮者は出て匪賊の群に投じた。かくて住民の半分は飢えのために死し、他の半分は此のお蔭でかつかつ生きて行った。

 ハ、匪賊と戦争 -仏国がトンキンに干渉するに至った時には、この地方は数年前から戦争や掠奪が至る所に行われて大混乱の状態であった。それで1882年にはトンキン地方には殆ど全くの無政府状態であったが、其の主なる原因は一つには、長髪賊の残党の黒旗黄旗の2軍が大理府の開城と首領株の死亡後安南の領土に避難し来って大匪賊団となり紅河と瀘河の沿岸地方に蟠踞したこと。二つには、曩に滅亡したが尚人民の記憶に残っている(レ)朝の後裔と称する者が三角州の富有な地方を掠奪し廻った。かくて幾千人の百姓が幾度、其の収穫を失い其の家を焼かれ其の妻の腹を抉られ、娘を撲殺せられたか知れない。これ等に対してこの地方の住民は如何なる手段によって対抗したか。臆病な者はただ嘆き悲しみ、気力ある者は彼等自らも匪賊群に投ずる外はなかったのである。

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 これら⇧の参考文献は、この地方を訪れたフランス人が書いた見聞録です。ここの表現、『イ、洪水と飢饉「河は容赦なく堤防を破壊しても誰も之を構う者はない。流れ来た土砂は運河を埋める」』は、近年日本でも頻発する大雨後の山の地滑りの様子等が連想できますが、ベトナム北部地方はどうやら、古代伝承から19世紀後半まで殆ど大規模河川築堤工事はせず、或いはあっても常に破壊されていたのかと思います。
 加えて、黒旗軍の劉永福と黄旗軍、黎(レ)朝後胤を名乗る匪賊団が北部を荒らし廻った史実もあり、先の記事にも書きましたが、アヘン戦争で大混乱の中国から太平天国残党などが逃げ込んで乱暴狼藉を働くなど、北部ベトナムの特に山間部の人々は本当に悲惨極まる状態のところへフランスの植民地支配が始まった訳です。。。その艱難辛苦は、戦後昭和生まれの私の想像など遥かに超える筈です。

 『安南民族運動史概説』(1941)に、北部ベトナムは「人も知る通り有名な貧農地域で」、「茲に特に指摘しなければならないのは、ベトナムの社会、殊に農民を始め勤労者の労働条件は頗る劣悪」。そして、「かように貧乏神に逐い立てられた」「農民には容易に赤化工作の乗ずる隙があり」、「絶望に乗じた社会騒乱」へ向かわせている、とあります。
 1941年は、クオン・デ候の『ベトナム復国同盟会』が組織した『ベトナム建国軍』を先頭にした日本軍が北部進駐した翌年、南部進駐開始の年です。。。

 私の結論は、『200万人の同胞を餓死させた真犯人(主原因)』は、『日本のファシストがインドシナを侵略した』からではなく、古代神話伝承にもある『毎年繰り返す北部の大洪水の発生』に対して、外賊、匪賊が居座り掠奪、戦闘を続けて河川護岸を破壊し、討伐に明け暮れる中央・地方政府が築堤工事を行う条件も、技術者も担い手もいなかった。
 
自然災害を前に、何も出来なかったのです。長い間戦争に翻弄され続け、起こると判っていた大洪水の後に発生した大飢饉。飢えで苦しんで死んで行った沢山の勤勉で罪無き人々の魂は、未だ彷徨っているのかも知れません。 
 1944年大飢饉発生時のベトナムには、日本の軍も、商社マンも役人も会社員も商売人も学生も沢山いた筈です。当時北部で沢山の餓死者が出ているという悲惨な情報を耳にした人も多かったでしょう。
 時が流れても現代に繰り返し蘇るこの話の『真犯人』は、殺し合い、堤防を破壊し、治水工事を放棄する人間を情け容赦なく襲った自然の驚異でした。今はただ、犠牲者の鎮魂を祈ることしかできません。

 日本の河川工事の歴史をネットで調べましたら、古くは奈良時代から行基(ぎょうき)、和気清麻呂、空海といった方々が土木工事、堤防工事で洪水対策を行なったとありました。特に日本は、四方海の火山国ですから河川・治水工事は昔から最優先、且つ最重要の事業だと想像できます。幸い日本は、歴々の為政者が先頭に立ち築堤、護岸、治水等々様々な改良工事を続けてくれたお蔭で、今の美しい日本があるのだと改めて気付かされました。

 そういえば、戦後日本のベトナム共和国(南ベトナム)に対する戦後賠償の第一弾は、ダニム・ダム(中南部)の水力発電所工事だったなぁ…とふと思い出しました。😯😐

  
 
 

 

 

 
 
 
 

 

 

 

 
 

 

 

 
 

 

 

 

  


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