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大東亜戦争とベトナム

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戦前の我が日本国と、フランス領植民地だった仏領インドシナーベトナムの間にあった過去の出来事を掘り起こしてます。ここでは、主に大東亜戦争に関連するものをまとめてます。
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#植民地主義

南ベトナム大統領 呉廷琰(NGÔ ĐÌNH DIỆM、ゴ・ディン・ジェム)氏のこと ②

南ベトナム大統領 呉廷琰(NGÔ ĐÌNH DIỆM、ゴ・ディン・ジェム)氏のこと ①  大南公…

何祐子
4週間前
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南ベトナム大統領 呉廷琰(NGÔ ĐÌNH DIỆM、ゴ・ディン・ジェム)氏のこと ①

 もう30年も前になりますが、私がまだ日本に住んで居た頃、JR山の手線浜松町駅ビル内の本屋…

何祐子
4週間前
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日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様・おまけ

日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様②  その①で、日本敗…

何祐子
8か月前
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日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様②

 「日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様①」からの続きです…

何祐子
8か月前
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日本敗戦-『ベトナム現地に残った日本人残留兵たち』-様々な人間模様①

 日本一般国民に、近くて遠い国・ベトナム…。😅   戦後は日本政府もベトナム政府も、何か…

何祐子
8か月前
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”日仏印(フランス領インドシナ)交換教授”の1943年『東亜考古学』ベトナム・カ…

 明治末の日本へ亡命し、1951年に東京の病院で薨去された旧ベトナム国皇子クオン・デ候の…

何祐子
1年前
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仏領インドシナにあった日本の旧高専校『南洋学院』のこと

 近年ベトナムに駐在、或いはビジネス関係の日本人の方でも、『南洋学院』を知る人は多分殆どいませんよね。。。  私が初めてベトナムに移り住んだ1990年代頃は、現地にまだ元大南(ダイ・ナム)公司の社員の方や、元日本軍で敗戦後日本へ帰らずベトナムに残留した強者の先輩方がご存命でした。。。😅ですので、私も外地校『南洋学院』の名は聞いていたものの、詳細は知りませんでした。幸い、『南洋学院』の第一期生、福島出身の亀山哲三氏がご著書『南洋学院』を遺して下さり、ここから詳細を知ることができ

ベトナムの皇子クオン・デ候 家族写真の謎に迫る

 この写真なんですが、戦後の日本とベトナムで、『クオン・デ候の日本の家族写真』として出回…

何祐子
1年前
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ベトナム抗仏志士リーダー達のその後

 私が出版した翻訳本⇒「ベトナム英雄革命家 畿外候彊㭽 - クオン・デ候: 祖国解放に捧げ…

何祐子
1年前
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仏印”平和”進駐の『第2次近衛内閣』総理大臣・近衛文麿のこと その②

その① 仏印”平和”進駐の『第2次近衛内閣』総理大臣・近衛文麿のこと その① からの続き…

何祐子
1年前
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仏印”平和”進駐の『第2次近衛内閣』総理大臣・近衛文麿のこと その①

 『日本と仏印(仏領インドシナ)』の最も重要な出来事に1940年の『(北部)仏印平和進駐…

何祐子
1年前
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仏領インドシナ、ドンダン・ランソン進攻の中村兵団-第五師団のこと その①(再)

 私の『本の登場人物と時代背景に関する補足説明①~⑲』本の登場人物・時代背景に関する補足…

何祐子
1年前
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仏領インドシナ、ドンダン・ランソン進攻の中村兵団-第五師団のこと その②(再)

 その①仏領インドシナのドンダン・ランソン進攻の中村兵団-第五師団のこと その①(再)|…

何祐子
1年前
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仏領インドシナ(ベトナム・ラオス・カンボジア)で起こった軍事クーデター、通称「明(マ)号作戦」のこと その(2)

その(1)(こちら→日本軍の仏印武力処理(=軍事クーデター) 通称「明(マ)号作戦」のこと その(1)|何祐子|note)からの続きです。  東京の参謀次長から南方軍総参謀長宛に、「仏印処理の研究準備」の電文が打たれたのはいつ頃かと言いますと、1942年11月にアメリカ軍が仏領アフリカ上陸した時です。フランス正規政権のビシー政府がアメリカに対して「対米国交断絶宣言」を発したのです。「火事場泥棒は止めろー!」という感じですかね。。。😅 この国際状況の中、1943年5月御前会議