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全てムダだったことに気づいたアハ体験

私は優しい。優しさの塊。
自分で何を言うのかって感じですけど、そうなんよ(真顔)

2024年をハッピーニューイヤーした朝のことである。私は家族にブチ切れました。家族史に残るであろう大事件。
今だに傷…ではないな。モヤモヤは癒えず。
思い出すと猛烈な怒りとともに、虚無感に襲われます。

事の顛末を書いてみる。

私には兄と弟がいて、それぞれの家族を連れて年末年始は帰省します。
帰省期間は2・3日どころじゃなく、たっぷり1週間前後います。

これを職場の人に話すと、「休めないじゃん」って反応が返ってくる。そうなの。休めないの。帰省されることで、私のオフが消えうせる状態が、ずーっと続いていました。約15年てところです。

他人はすぐに気づくのに、家族は気が付かなかった15年。

私は実家に住んでるので迎える側ですが、1人暮らししてた時でも、実家に戻ればホスト側です。

兄はペットの猫も一緒に連れて帰省してきますし、猫は基本的に実家内フリーです。

私が猫アレルギーなの知ってても当然のように連れてきてたけど、猫好きだから別に良いけど、少しは配慮しろ?って思うこともあったけど、まあ、猫は可愛いからなって思っていた。

しかし昨年より我が家には犬がいる。

うちの犬は、けっこう性格が繊細です。私にとってはお利口だし可愛いけど、人見知りで愛想ゼロ。他人から見たら、そう可愛い犬じゃない。
それでも弟一家はかわいがってくれますし、友好的な人には距離取りながら悪さはしません。人を見てます。

兄は真逆。
「うるさい」「躾しろ」と、暴言のオンパレード。

うちの犬が一般的なザ・室内犬とかけ離れているのは認めよう。

子犬の時は育犬ノイローゼになりかけてたし、めちゃくちゃ悩んだ。トレーナーつけた時期もありましたし、これでも躾は頑張ったのよ。
頑張った結果の現状でした。

いつも使ってる場所は立ち入り禁止になり、1日ケージに入れられっぱなしのワンコ。ゲストの猫は自由にうろうろしている。ケージから出したら出したで、非友好的な人がいる。

吠えるわそら。環境変わりすぎてる。

一方、兄は自分が快適に過ごすことしか考えてない。
いつも通りグダグダ過ごしたいからお前の犬はどっかにやれっていうスタンス。

それでも私は優しいから、みんなに気持ちよく楽しく過ごしてもらいたいから、ギリギリまで頑張った。

こっちだって仕事を普段していての、ようやくのまとまったお休みですよ。でも気を使って、犬連れて1日お出かけしてましたし、配慮してたの。めっちゃくちゃ気を使って頑張ってたの。1人で。

それでも足りない、もっとなんとかしろと言われ続け、最終的にどうなったか。私のメンタルぶっこわれた。犬を抱きしめながら涙が止まらなくなるババア。

悲しみというよりも、なんか全部がムダだったんだなとやっと気が付くアラフォー。この後はもう悲惨ですわよ。正月なのに、大バトルを繰り広げました。この年でも兄妹喧嘩ってできるのね。

母はすぐに仲直りしてほしそうでしたが、こっちに折れる方向で促してくるのがこれまたムカついた。

許すとか許さないとかの話じゃないのです。

これまでずっと、当たり前のように奪われていたということに気が付いてしまった。

私が我慢すればいい。私なら我慢してくれる。私ならやってくれる。言うこと聞いてくれる。望みをかなえてくれる。助けてくれる。相手をしてくれる。

自他ともに認めるけど、全員の調和をとっていたのは、この私。

それぞれの嫁たちとも仲良くし、実父の失言は注意をし、姪っ子の機嫌を取り、猫の世話もかいがいしくやいていた。

いつも兄弟の帰省日程を、直前に知らされてたのですが、それも私が何も苦労なんてしてないと思っていたからでしょう。
こっちは働きに出てる中で日常を狂わされるのに、事前のお知らせもない。マルチタスクが難しいキャパが少ない人間なのに。

しかし今回は、奪われようとしているものが愛犬との時間だった。
ブチ切れた。

家族は、私がどれだけこの(暴れん坊な)犬に、支えられているか考えたこともないのでしょう。
いつものように、当たり前のように「そこを譲れ」と言い、猛烈な反発にあって慌てていた。

仕事関係でメンタルがほぼ死んでいた日々の中でも、犬がいるから社会生活キープできてたんです。一番近くで支えてくれていたのは、いつも愛犬だった。人じゃない。

正月は能登地震も重なり、私のメンタルブレイクもひどかったため、兄一家は去りました。その後、きちんと謝罪があったので受け入れました。

まとめると。

身を削って差し出す配慮や気遣いも、していることを相手が気づいてなかったら、ひたすらムダに終わります。
もっとよこせとナチュラルに言ってくる。
さしだして、さしだして、さしだしても、要求してくる輩はいる。

こういうのって、外の世界より家族間に起こりやすいんじゃないかと思った。

なんの不自由もない状況は、どうやって生まれているのか。
そんなこと考えないのね。

目の前にいる人が、心を砕いて、配慮して、気を使って、作り出してくれてる環境かもしれない。
そしてその人は、決して自分がそうしてるなんて、悟らせるようには動かないでしょう。
相手に気を遣わせたくないから、気づかないように行動します。だから気づかないでいられるの。

気づかないってことは、それだけ思われてるってことだよ。

私は相手をずっと尊重してきたけど、だからといって自身も尊重してもらえるとは限らない。

じゃあ、どうするか?

自由に生きる。

両親だけじゃ大変だと思ったから、兄弟が帰省する時は家にいるようにしてたけど、そんなのも無用な話だった。

自由にすればいいのだ。頭パーンってなりました。

今年は変な年だ。
家族にまつわる自分を縛っていた呪縛を解き、仕事観もガラリと変わった。最近は読書がはかどる。
小説が楽しいです。犬ともお出かけに行けてるし、映画も1本見れました。

はぁ、回復期。

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