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アマゴ、大海を知る。 ―のけ者にされた弱虫の大冒険―

以前、絵本だったのかネットの記事だったのかどこで目にしたのかハッキリとは覚えてないが、いじめられっ子や世間との距離感や疎外感を持っている人がいたら是非とも聞かせてあげたいと思っていた話がある。

朧げな記憶を頼りに書き進めるつもりではあるが、淡水魚について詳しい人や渓流釣りの愛好家にしてみれば当たり前のことで全く面白くもないだろうしアマゴの生態をヒトの生き方、在り方になぞらえた例え話になるので魚が好きな方の閲読はあまりお勧めしない。


アマゴという淡水魚はヤマメによく似た外見でサケやマス、イワナと同類の仲間で、渓流に生息し川に落下した昆虫や水棲する小さな生き物を主な餌としている。

高度な遊泳能力を持ち威嚇行為が上手い個体は、餌や酸素が豊富な生存する為に条件の整った場所をテリトリーとすることが出来るが、縄張り争いに敗れた弱い愚鈍な連中は恵まれない環境である下流へと追いやられ、おこぼれを頂戴するのが関の山という訳だ。


強いものはますます富み、弱いものは迫害され搾取され続ける。渓流魚の世界も人間の世界も全く同じだ。


頭脳明晰でコミュニケーション能力が高く実行力に溢れた高い志しを持つ者は、信用や名声を集め多くの収入を獲得しタワーマンションや山の手の高級住宅街に居を構えることとなり、目的もなく意志薄弱な愚かな者は先行きが危ぶまれ暗雲が立ち込めるばかりで、河原のような低地帯でテントを建て不法占拠をするような末路を迎えるのかもしれない。


さて、下流に追いやられたアマゴはどうするのか。


何が契機となるのかは分からないが、ある瞬間に条件の良い上流に向かうのを止め、川を下ることを決意し大海原を目指して泳ぎはじめるのである。

斑点模様のついた華奢な体のアマゴは姿を変え、腹は突き出し体色は銀白となり張り出した顎を持つサケのような外見となり、沿岸よりの沖合を回遊するサツキマスという名前の立派な海水魚となるのである。


アンデルセン童話の「みにくいアヒルの子」を想起させるが、これは創作物ではなく実際に河川で繰り広げられている壮大なドラマであると、わたしには思えてならない。

「井の中の蛙大海を知らず」には続きがあるんだよ、とか何とか詰まらないことを語り出すのならサツキマスの話をして欲しい。


狭い世界で面白くもない小競り合いや下らないマウンティングで上流に留まることが出来たとして一体それが何なんだ、それで満足なのか、そんなふうに一生を終えるつもりなのか、とサツキマスは語りかけているのかもしれない。

過酷な旅、大きな冒険で困難を極めるチャレンジの末に辿り着く境地であり簡単に易々と出来る事ではないが、広い世界を見て青く大きい海で悠々と泰然自若に泳ぐ気分の良さを味わってみたい、感じてみたい、そんなふうに思わないのかと。



渓流にいた小さな魚が大海を知り、もしかしたらクジラやイルカ、ウミガメとともに泳いでいるのかもしれない。そんなサツキマスに魅力を感じ、励まされる人も多いのではないだろうか。


繰り返すが、もしもいじめられっ子や世間との距離感や疎外感を持ってる人がいたらアマゴ、サツキマスの話を是非とも聞かせてあげてほしい。ひょうっとしたら何かの契機や吉兆になるのかもしれない。


最後までお読みいただきまして有難うございます。







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