桜木花道のモデルはロッドマンじゃないと思う。後編

連載開始から30年以上の月日が流れるうちに、容姿やプレイスタイルや否が応でも人々の耳目を集めるような言動など共通点が多いせいか「桜木花道=ロッドマン説」が世間に流布されていますが、前編では作品背景や時系列を確かめながらその俗説が間違ってるんじゃないかなということを述べました。


この『SLAM DUNK』という漫画は乱雑な言い方をすると「湘南爆走族の江口とドカベンの岩鬼を足して掛け合わせたような型破り、規格外の高校生」が「バスケットボール部に入部しチャールズ・バークレーのようなパワーフォワード(もしくはジョーダンのようなスター選手)になりインターハイで大活躍する」というような展望、青写真のもと連載が開始されたと推測します。



では何故、桜木とロッドマンが似てしまったのか。

それには4つの契機というかポイントがあると考えます。そして1つ目のポイント以外については偶然という言葉では済ませられないようなシンクロニシティを感じさせますが、早速それぞれについて説明します。


①リバウンドを覚える

少年ジャンプ掲載時は1991年の夏頃だと思いますが、陵南との練習試合の直前にゴリこと湘北高校バスケ部キャプテンの赤木からリバウンドを教わります。「リバウンドを制する者は試合を制す!!」のセリフで有名な例のあの場面ですが、わたしの記憶ではレイアップシュートの次に習得した技というか競技における基本動作、プレイだと思います。

桜木が有能なリバウンダーになる最初のキッカケではありますが、もともとリバウンドが得意だったとは言え、ロッドマンを連想させるものは何ひとつありません。何より当時のロッドマンはタイトなディフェンスを誇るピストンズにおいてスモールフォワードとして相手チームのスター選手、花形選手にベッタリ引っ付いて得点源を封じ込めるのが主な役割で、リバウンドについてはビル・レインビアが積極的に拾っていた印象があります。

おそらく作者の念頭には1987年にリバウンド王を獲得したチャールズ・バークレーがあったのではないでしょうか。丈夫な体躯で、走れて跳べる。そんな走攻守の揃ったパワーフォワードになる為にはリバウンドの技術は欠かせません。


②リバウンド王を名乗る

①から現実世界では1年後の1992年の夏くらいの時期かと思いますが、インターハイ神奈川県予選の翔陽戦でのことだったと記憶しています。それまでの試合ではまだまだギャグ漫画的な要素が強く、三浦台の選手のアタマにダンクシュートを炸裂させたことに代表されるような滅茶苦茶なプレイでファウルを重ね途中退場を余儀なくされて「退場王」という不名誉な称号を与えられています。

しかし、ここから本格的なバスケットボール漫画に切り替わり、これ以降の桜木は行動原理が不純ではあるけれども、とにかく考えます、思考します。意中のハルコさんに好意を寄せてもらう為にはチームメイトで同学年の流川よりも目立った活躍をして湘北高校を勝利に導かなくてはなりません。この試合でも体力や勢いに任せ、空回りした挙句にファールを重ねて退場の危機に瀕し体を縮こませて消極的なプレーに陥りますが、バスケットボールを始めて間もない自分に何ができるのかを改めて考え、即座に行動します。インターハイ出場校でもある翔陽の選手に対して怯むことなくリバウンドを拾い、練習での成果を試合に反映させチームの勝利に貢献しようとします。

そんな時に出た言葉が「リバウンド王・桜木」でした。

おそらく読者アンケートでもかなり好評だったのではないでしょうか。この後も引き続きリバウンダーとしてチームを勝利に導きます。


一方、この頃のロッドマンですがピークを過ぎたビル・レインビアに代わり積極的にリバウンドを拾うようになります。3年連続のNBA年間最優秀守備選手にはなりませんでしたが、自身初のリバウンド王を獲得します。

やはり  桜木花道=デニス・ロッドマン ではないかとの意見もあるでしょうが、それには同意しかねます。当時のロッドマンは、髪型は黒色の角刈りで地味な容姿で “WORM” イモ虫のあだ名の通り気持ち悪い動きをする嫌われ者のイメージが強い選手でしたし、プレイオフの大事な場面でエキサイトしていたとは対戦相手ブルズのピッペンに対し暴言を吐いたうえ突き飛ばし顎を縫う大けがをさせるような選手を少年漫画の主人公のモデルにするとはなかなか考え難いです。

とは言え、偶然が生んだ奇妙な類似性が少しずつ顕著になってるように思えます。


③赤坊主

現実世界では、また1年ほど経過した1993年の夏頃ですが『SLAM DUNK』のテレビアニメ化も決まり、週刊少年誌の発行部数記録を更新し続けるジャンプにあって屋台骨を支える大人気作品となっています。

作中では海南大付属との戦いが終わった辺りです。この試合でも桜木はリバウンドを拾いまくり、念願のダンクシュートも決めています。しかしながら試合終了直前の彼の致命的なミスによりチームの勝利を逃しています。

実はこの年の春に桜木と同じように試合終了直前の致命的なミスによりチームの勝利ばかりか優勝を逃した選手がいます。ミシガン大学のクリス・ウェバーです。あのクリス・ウェバーです。

バスケットボール・マニアならご存知かと思いますが、あの「FAB FIVE」です。入学した1年生だけで構成されたフレッシュなチームはダボダボのド派手なファッションで快進撃を遂げ、デューク大学(コーチKとか有名ですね。確かクリスチャン・レイトナーやグラント・ヒルが在籍していたと思います。余談ですが陵南とユニフォームが似てるような気がします。)には負けたもののNCAAの決勝戦にまで勝ち上がりアメリカでFAB FIVE旋風が巻き起こります。

で、翌年もミシガン大学は決勝戦まで勝ち進むのですがウェバーのミスにより負けてしまい2年連続で優勝を逃したことが全米の話題になり、失意のウェバーのもとには当時アメリカの大統領であったクリントン氏から励ましの手紙が届いたとのことです。

その彼が試合場を去る際にチームメイトから励まされるのですが、その光景が「さあ整列だ」に、わたしには思えて仕方がありません。当然、当時の作者はFAB FIVE、ミシガン大学の件を知っていたと思いますし、何ならリアルタイムで試合を観ていたとも思っています。


つまり、わたしは何が言いたいのか。

ミスの責任を取って坊主頭にした桜木のモデルはクリス・ウェバーであると邪推します。

そして、もう一つ言いたいのは湘南爆走族のパクリという呪縛からの解放です。バスケ漫画は鬼門だ、連載を続けさせるには他社の人気作をマネしろといった間違ったアドバイスを言うような人はもう誰も居なくなったはずですし、読者アンケートの結果を気にすることも無くなったのだと思います。自分の描きたいものを描く、作者の我が道をいくという決意のあらわれが桜木の断髪だと思います。ヤンキー漫画の象徴である赤いリーゼントとは決別したかったのだと思います。


一方、この年のロッドマンは前年同様にリバウンド王を獲得しますが、連覇を伴にしたチームメイトが次々と移籍をし、また全幅の信頼を寄せていた監督がチームの成績不振により解雇されたりするなど彼を取り巻くバスケットボールをプレイする環境が大きく変化したばかりでなく、プライベートでも愛する家族とも別離しなければならなくなり、精神的に不安定な状況に追い込まれます。

自身の自伝により明らかになるのですが、彼はある晩、自殺未遂騒動を起こします。ライフル銃を自分を打つつもりだったが、そのかわり自分に覆い被さっている偽物を撃ち殺した、これからは本当の自分を生きるんだ、カラフルに生きるんだと発言していたように記憶しています。

この一件を境にしてロッドマンは髪色を変え、TATOOを増やし夜の街ではバカ騒ぎをするなどの奇行が目立つようになります。そしてこのシーズン最後に彼はデトロイト・ピストンズを去りサンアントニオ・スパーズに移籍します。わたしたちがよく知るロッドマンになった訳ですが髪型は金髪のモヒカンだったり、緑坊主だったりコロコよくよく変わっていました。

作者の我が道をいく決意のあらわれとしての桜木の赤坊主、本当の自分を生きる証としてのロッドマンの派手な髪型。同じような時期に、似たような理由で外見、容姿の変化が現れる。ここでも偶然が生んだ奇妙な類似性を感じずにはいられません。


⓸赤いユニフォーム

これはまさに青天の霹靂でした。

あのロッドマンが、あのブルズに、しかもジョーダンが帰ってきたブルズに加入!当時の世界中のNBAファンが同じことを思ったはずです。1995~96年のNBAシーズン開幕前の出来事です。赤いユニフォームを着てジョーダンのチームメイトとして、また罵って突き飛ばしケガをさせてピッペンと伴に戦うということに世界が驚きを隠せなかった移籍でした。

この頃の『SLAM DUNK』といえば豊玉戦に勝利をおさめ、いよいよ山王工業との試合を目前に控えた頃であったと思います。少し前ですが、インターハイの神奈川県予選と全国大会のあいだに桜木の着用シューズはエア・ジョーダン6からエア・ジョーダン1に買い替えられました。二度もジョーダンモデルを履いてる選手のモデルがロッドマンとは考え難いです。

よくよく考えると凄い時代だったなあと思います。山王戦が毎週、少年ジャンプに掲載される。海の向こう側ではジョーダン、ピッペン、ロッドマンを擁するシカゴ・ブルズが勝ち星を積み上げていく。赤いユニフォームのリバウンド王が活躍し、チームの勝利に貢献する。


これは、まさに 桜木花道=デニス・ロッドマン です。


ブルズ移籍をキッカケに”ロッドマンブーム”みたないなものが全米にとどまらず、日本にも起こります。サンアントニオでも引き続きリバウンド王に輝き続け、また地上波のスポーツニュースでも赤いユニフォームを着るようになった彼のリバウンドが見られるようになったこともあり、作者もひょっとしたら桜木花道=デニス・ロッドマンでいいんじゃないかなと、ひょっとしたら思ったのかもしれません。

山王戦の桜木についてはロッドマンを彷彿とさせる場面が何度も出て来ましたし、連載終了直後のシカゴ・ブルズのロッドマンがルーズボールを取りに飛び込む姿は、まさに桜木花道のそれでした。

どちらが先か後かなんてどうでもよくて、それぞれがチームの勝利を信じてそれぞれの役割を果たしていく。旧来の常識ではたくさん点を取ることだけがスポーツ競技での勝利を獲得する方法だったのかもしれませんが、そうではなくて相手の反撃の芽を摘み取る、自陣の攻撃回数を少しでも増やす、仲間が得点し活躍する回数を増やす、そんな地味でタフな仕事を不格好でもいいから正面から取り組んでいく。

景気が悪くなりはじめた90年代の人々はそんなヒーローが現れるのを無意識に待っていたのかもしれません。

洋の東西を問わず、虚構と現実世界でも赤いユニフォームのリバウンド王の活躍を目の当たりにできたのはとてもいい経験でした。


なんか、ちょっと綺麗というか小洒落た感じでまとめて嫌味ではありますが桜木花道のモデルはデニスロッドマンではなく偶然的にも必然的にも似てきてしまった、というのがわたしの意見です。

ダラダラとした読書感想文でしたが最後まで読んで頂きまして有難うございます。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?