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食事とは、気持ちの交歓

おかげさまでとても忙しく過ごしている。
諸々の制限が落ち着いて、日常が戻って来たら、あっという間に怒涛の日々となった。

少し前、お酒を飲む事が、人と交流する事が、(誤解されるかもしれないけど、)しばらく、悪いことと言われた。(制限されるってそういうことだと思っていた。)
大人には一時的な措置だとわかるし、いつかはおわる、一時的な辛抱だったと思う。しかし、思ったより長く続いた自粛生活は、私たちの日常をガラリと変えた。子供達、学生達はお友達と積極的に遊べなくなり、お互いの顔も知らずに希薄な学校生活を過ごすようになったそう。

飲食業を営む人間にとっては、こんな日が来るなんて予想だにしなかったので、ずいぶん心を揺さぶられた。正しいと思って、真っ直ぐに届けようと思ってやっていたことが、病気を蔓延させると批判されているような気がした。補償金はあったけど、隙間でできることを模索する日々が続いた。

あれから、3年。

嘘みたいに世の中は活気を取り戻し、3年前以前より多くのお客様がいらっしゃるようになった。

久しぶりの満席の連続。ありがたいけど一旦止めた動きや感覚は取り戻すのに時間がかかって、目の前の仕事に翻弄され続けた。こなすのに必死で、お客様の性急や人手不足に疲弊し、人との関わりが大好きでこの仕事をやっているのに、SNSや人との繋がりが煩わしくなりもした。

平日はバタバタ働き、土日の休みは静かに本を読み、韓国ドラマや大相撲を鑑賞してひたすら現実逃避をしていた。料理がとても好きなのに、料理のことを考えたくなくなってしまっていたのだ。

そんな時、ある小説の中で、

食事とは、気持ちの交歓

という表現に出会った。雷に打たれたような気がして不意に目頭に水が湧いた。

この光景が好きだった。
食べて飲んで笑ってる人たちを見るのが。
この時間をどう盛り上げ、力添えできるか、そんなことばかり考えてずっと走ってきた。好きだった風景が戻ってきたのに、余裕がなさ過ぎてお客様の顔が見れていなかったことに気づいて、ハッとした。

生産地から食卓を繋ぎ、いただきますとごちそうさまの間を取り持つのが料理人の役割だというのに。

韓国ドラマが好きなのも、みんなで楽しくワイワイ食卓を囲むシーンが多く登場するからだ。ごはんは大事。楽しく食べるのも大事。そして、暖かい愛情のやり取りが透けて見えている。そのことにじんわり感動してしまう。

というわけで、郷酒厨房日記を再開しようと思い立った。

気持ちもお客様も戻ってきたら、今度は物価高との戦いだ。やれやれ。


おいでくださりありがとうございます。 不器用な料理人、たぬき女将が季節の食材、料理、方言にまつわるよもやま話を綴っています。おまけレシピもありますよ。