三島由紀夫『金閣寺』

「ハンディを背負った宿命の子の、生への消しがたい呪いと、それゆえに金閣の美の魔力に魂を奪われ、ついには幻想と心中するにいたった悲劇・・。・・」(背表紙、紹介文より)

あの有名な速水御舟の火炎の絵とあいまって、なんかよくあるB級小説だろうとこの紹介文で手に取ってしまう人がいるのではないか。特に情報がない昔は。これは純粋なエンターテインメントとして読むものではない。あくまで作家としての通過儀礼(イニシエーション)として読まれるべきものである。

言語不信とか言語偏重とかいわれるかもしれないが、それを措いても柏木のような人間を好きになれないのは僕だけだろうか。バーバーペラペラとしゃべって。これはしゃべれない自分のジェラシーだろうか。

引用すると、

「美というものは・・虫歯のようなものなんだ。それは舌にさわり、引っかかり、痛み、自分の存在を主張する。とうとう痛みにたえられなくなって、歯医者に抜いてもらう。血まみれの小さな茶色い汚れた歯を自分の掌にのせてみて、人はこう言わないだろうか。『これか?こんなものだったのか?俺に痛みを与え、俺にたえずその存在を思いわずらわせ、そうして俺の内部に頑固に根を張っていたものは、今では死んだ物質に過ぎぬ。しかしあれとこれとは本当に同じものだろうか?もしこれがもともと俺の外部存在であったなら、どうして、いかなる因縁によって、俺の内部と結びつき、俺の痛みの根源になりえたのか?こいつの存在の根拠は何か?・・』」・・(183頁)

これが難解なのは内容が既存の思想なのか彼自身の哲学なのかよく分からなくて、頭を垂れて一から彼の説明を聞いてやらないといけないからだ。一か所だけ引用すると、と書いてやめた。面倒くさいし、前に引用したのでよく分かると思うからだ。

この本が公刊されて50年以上。著者の投入した知力はすべて無駄になり果て、その残骸としての本作が残されているような気がする。


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