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シグナリングにコストがかかる理由|時は金なり

以前から気になっている経済学用語に「シグナリング」というものがあります。

シグナリング (英: signaling) とは、市場において、情報の非対称性を伴った場合、私的情報を保有している者が、情報を持たない側に情報を開示するような行動をとるというミクロ経済学における概念である。
Wikipediaより

「シグナル」は英語で「合図」「信号」のことです。


●シグナリングは、例えばどのようなものか?

例えば、Instagramの広告で新しい化粧品ブランドの画像が流れてきたとします。そこには「初めて購入する方は30日間返品無料!」のような宣伝文句が書かれているのは、よくあることでしょう。これがシグナリングの一種です。

新しい化粧品ブランドは、私を含めた多くの人にまだ知られていません(上のWikipediaの定義でいう「情報の非対称性」というのは、このように情報が伝わっていない状態のことです)。でもブランドは自分の商品に自信があります。かなり開発を頑張ったのです。そのことを伝えるために「返品無料」という言葉をシグナルとして発するのです。

この広告を見た私は、そのブランドを知らなくても「返品無料と言うからには自信があるんだろうな」と少なからず感じるでしょう(単に「返品できるなら試してみようか」という気持ちにもなりますが)。

他にも、以下のような例がわかりやすいと思います。

未だに就活市場では「学歴採用」があります。一定以上の学歴を有する学生を優先的に採用する、というやり方です。これはしばしば批判の的にもなりますし、再考の余地があることは事実ですが、ある意味で合理的な方法です。

企業側は、就活生全員のエントリーシートの文章にじっくり目を通して選別するのが時間的に難しく、また、そうしたところで能力がわかるとは限りません。「情報の非対称性」があるのです。しかし学歴というフィルターをかければ、少なくともその人が大学受験においてある程度努力できたという事実がわかり、企業にとって望ましい人材である可能性が高くなります(あくまで可能性なので、全ての人がそうとは限りません)。

このように、学歴は就活生にとってのシグナルとして(部分的には)有効です。


●シグナリングにはコストがかかる!

さて、この「シグナリング」には「コスト」がセットになっています。

シグナルの受け手が、シグナルを信頼できるコミットメントと解釈するためには、シグナルを発するのに何らかの費用がかかっていなければならないのである。
(『戦略的思考の技術』より)

※「コミットメント」というのはざっくり言うと「約束」です。

先ほどの例でいうと、口先だけで「いい商品だから買ってください」「いい人間だから雇ってください」と言うことは、誰にでもできます。でもそれは“信頼できるコミットメント”とは解釈されません。きちんとしたシグナルとするためには、コスト(費用)をかけねばならないということです。

だから「30日間返品無料」と謳ったり(実際に返品する人もいるでしょうからその費用負担があります)、いい大学に入ろうと頑張ったり(もちろんコストが──費用だけでなく時間や労力含めて──かかります)、ということをするのです。

これは面白い仕組みだ!……と本を読んだ時から感動しつつも「なぜコストがかかっているシグナルを信用するのか?」の説明が為されていなかったので、ずっと不思議に感じていました。


●「コストがかかったシグナルは信用できる」は真か?

さて、まず「コストがかかったシグナルは信用できる」という命題が真かどうかを検討してみます。

この対偶(対偶については巻末の参考記事参照)をとってみようかと思ったのですが、そもそもこの命題自体が真ではないと気づきました。例えば「返品無料」とか「全額保証」と宣伝していても、胡散臭いものはどうしても胡散臭く感じます。学歴がよくても信用できない人はたくさんいます。コストがかかっていればいいというものではありません。

よって「コストがかかったシグナルは信用できる」とは言い切れないようです。


●「コストがかかっていないシグナルは信用できない」は真か?

では、先ほどの命題の「裏」はどうでしょうか?「コストがかかっていないシグナルは信用できない」は真でしょうか。

これも、経験から「真とは限らない」と感じます。

例えば阿部寛のホームページを見てみましょう。俳優・阿部寛のホームページは平成感丸出しで、全然時代に追いついていないことで(一部の界隈で)有名です。今どき、俳優やタレントのウェブサイトは印象を左右する重要なものです。たいして更新しなかったとしても、アピールとしてカッコよく整えておくのが普通です(しかも阿部寛のサイトはまめに更新はしているのです……どうでもいいですが)。

でも、阿部寛がホームページにコストをかけていないからといって、信用しないかと言われれば、そんなことはありません。

何も阿部寛でなくてもいいです。信頼できる職場の人や仲のいい友人が「あのお店のランチは安くて美味しいよ」と一言オススメしてきたら、信用するのではないでしょうか?このシグナルにはほとんどコストがかかっていません。口先だけなのに、効果抜群です。

よって「コストがかかっていないシグナルは信用できない」とも言い切れないようです。


●正しい情報を得るために必要なものは、時間である

さて、対偶も裏もだめなら、逆か……とはいかず、阿部寛の話で思いつきました。

──なぜ私は、阿部寛や職場の人や友人を無条件に信じられるのか?

なぜなら、そこには「情報の非対称性」がないからです。つまり、私は彼らのことをよく知っているからです。

──では、なぜ私は彼らのことをよく知っているのか?

なぜなら、私は彼らと過ごした時間が長いからです。

これは大きな発見のように私には感じられました。私が阿部寛のダサいホームページを見ても信用できるのは、役者としての阿部寛をたくさん見てきているからです。私が職場の人や友人の言葉を無条件に信用できるのは、一緒に過ごした時間が長いからです。

つまり「情報の非対称性」を生むのは「時間の不足」なのです。


●時は金なり!

ここに至ってようやく解決が見えてきました。

そもそも、シグナリングってなんだっけ?最初のWikipediaをもう一度貼ります。

シグナリング (英: signaling) とは、市場において、情報の非対称性を伴った場合、私的情報を保有している者が、情報を持たない側に情報を開示するような行動をとるというミクロ経済学における概念である。
Wikipediaより

シグナリングは「情報の非対称性」を伴った場合に使われる概念でした。「情報の非対称性」、つまり情報を受け手が充分に得られていない状態を解消するために、シグナルを発するのでした。

そして、

シグナルの受け手が、シグナルを信頼できるコミットメントと解釈するためには、シグナルを発するのに何らかの費用がかかっていなければならないのである。
(『戦略的思考の技術』より)

「情報の非対称性」を解消するために発するシグナルには何らかの「費用(コスト)」がかかっていなければならない。これが不思議だったわけです。


ここで、そもそもの前提として、「情報の非対称性」を生むのが「時間の不足」だという説明が抜けているのではないでしょうか?

私が例に挙げた「新しい化粧品ブランド」も「就活の採用試験」も、二者が充分に情報を交わす時間がない状態でした。だから、情報が足りないのです。

・時間が不足していると、情報が足りない(化粧品や就活)
・時間が充分にあれば、情報が足りている(阿部寛や友人)

こういう基本的な説明が(あまりにも当たり前だからかもしれませんが)なかったのです。そしてこの場合、

時間が不足していると、情報が足りない(化粧品や就活)
 →シグナリングにコストがかかる
時間が充分にあれば、情報が足りている(阿部寛や友人)
 →シグナリングにコストがかからない

となります。単純化すると、

時間が短い→コストが大きくなる
時間が長い→コストが小さくなる

という関係性になります。要するに、

タイムイズマネー(時は金なり)

ということではないでしょうか?

「シグナリング」という概念は、情報と金銭の等価値交換を謳っているもの。信頼や信用という言葉が話をややこしくしていますが、要するに、情報量の話だったのですね。

簡略化してしまえば、私たちは情報(←時間がもたらすもの)をお金で買っているということ。だと思います。

これは逆に、お金がなければ時間をかけて情報を伝えることも可能と言えるのではないでしょうか。例えば宣伝しなくてもジワジワ少しずつ売れていく化粧品はありますし、とりあえずバイトから始めて人柄と能力を信用してもらえれば学歴がなくても採用してもらえるかもしれません。


●単純だけど「WHY」がわかるとよくわかる

「そろそろシグナリングについて掘り下げたいな〜」とぶらぶら歩きながら考えていて、一つずつ丁寧に掘り下げていった結果、ひとまずこのような場所までやってきました。

「シグナリングにはコストをかけないと意味がないらしい」

それ自体でも面白い世の中の法則ですが、経済学の本は往々にして「HOW」止まりで「WHY」まで掘り下げてくれません。例えば投資でいう「ハイリスクハイリターン/ローリスクローリターン」のような有名な法則も、仕組み(「HOW」)はわかるけど理由(「WHY」)がまだわからずにいます。

もしかして、ここで書いたようなことは経済学において当然の知識なのかもしれません。でも自分の経験から一つ一つ掘り下げて「当たり前の帰結」に辿り着いた道のりは、とても楽しかったです。やっぱり、本で読むだけでなく「考える」っていいですね。


参考文献

参考記事



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