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「気持ちよさ」と「美しさ」|言い換えられない言葉について考える・その2

「気持ちいい」という感覚と「美しい」という感覚。

通ずるものがあるような気もするけれど、普段は互いに少し遠い形容詞だと思います。今回は、この二つをつなげる試みをしてみます。

その1:「気持ちよさ」と「正しさ」
その2:「気持ちよさ」と「美しさ」👈
その3:「正しさ」と「美しさ」


●「美しさ」の現場で使われる「気持ちいい」という言葉

前回書いた「正しさ」という概念は、私の専門分野というわけではありません。

「正しさ」の専門分野があるのか?というとこれまた難しい問題ですが(笑)、例えば数学者だったり、法律の専門家だったり、あるいは哲学者のような方々は、常に「正しさ」を研究しているのではないでしょうか。

一方で「美しさ」について、私はどちらかといえば専門家といって差し支えないと思います(身バレ回避のため具体的な職業は書いておらずすみません)。そのため、美しいものを追求する現場がどのようなものかはよく理解しています。

もちろんケースバイケースですが、美しいものを追求するチームにおいて──つまり何かをデザイン・創造するような仕事のプロセスにおいて、モノの評価や選択の際に「美しいね」とはあまり言いません

なぜか?それは、

(1)美しくあるべきは成果物であるから(=最終成果物にのみ与えてよい称号であり、途中時点で使ってはならないという意識)
(2)「美しさ」が強い価値観すぎて簡単に言葉にできないから

というような事情ではないかと考えます。

しかし実際には「美しいね」に相当する言葉がいくつかあります。たとえば「いいね」「かっこいいね」「かわいいね」などが使われます(かなり平凡です)。

わけても私が最も「美しい」に近いと感じるのは「気持ちいいね」、あるいは「美しくない」に相当する「気持ち悪いね」です。


●「気持ち悪い」という普遍的な感覚

この「気持ちいいね」「気持ち悪いね」は(多少のニュアンスの違いはもちろんありますが)頻繁に使われる台詞です。

より多く使われるのは実は、「気持ち悪いね」のほうです。これは具体的に見ていただいたほうがいいかもしれません。

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いかがでしょうか。どう見ても、下の画像は「気持ち悪い」ですよね。プロのデザイナーが下を選ぶ確率はほぼゼロと言ってよいでしょう。

もう一つ例を挙げます。

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こちらは、ぱっと見ではわかりづらい(というか物理的に見えない)かもしれませんが、よくよく見ると、下の画像は線と線の角が微妙にぶつかっておらず、隙間があいてしまっています。こちらもよくある「気持ち悪さ」の例です(たまに、こういうデザインの場合もありますが)。

このような地味な「気持ち悪さ」をなくすこと。また、その「気持ち悪さ」に気づける感性を育てること。それが、美しいものをつくる現場においてはとても大切です。


さて、上記の例において画像を比較する際に、「下の画像のほうはカッコ悪いね」という表現をするでしょうか?……たぶん、しないと思います。それ以前なのです。「気持ち悪い」というのは、カッコいいとか悪いとか以前の“あり得なさ”を表現する言葉だと思います。

しかし一方で、この「気持ち悪さ」という感覚は強いものです。

なぜなら「カッコ悪さ」が人によってバラバラな尺度であるのに、「気持ち悪さ」は万人に共通の普遍的感覚だからです。


●「美しさ」とは「気持ち悪さ」を排除し「気持ちよさ」を高めるプロセスである

ここであえて勇気を出して言い切ってしまうと、「美しさ」をつくるのは「気持ち悪さ」の排除ではないか。すなわち、「美しさ」をつくるのは「気持ちよさ」の集積ではないか。私はそのように考えています。

「いやいや。『気持ちよさ』が集まっても『美しさ』には辿り着けないよね?」

とツッコまれてしまうかもしれません。もちろんその通りです。気持ちいいものを寄せ集めて美しいものが作れたら苦労はしません。

なので、ここで私が言いたいのは

「気持ちよさ」は「美しさ」の十分条件ではないが、必要条件である

ということです。つまり「美しい」ものは必ず「気持ちいい」よ、という主張です。


──これについて論拠があるわけではなく、主観と言われれば主観です。そもそもこのシリーズ自体がフワっフワの言葉ばかりを扱っているので(笑)、主観抜きに考えることは無理です。

しかし、色々と経験している身として、「気持ちよさ」が「美しさ」を(意外にも)支える価値観であるという事実には、ある程度の自信をもっています。

あえて他の言葉に置き換えてみれば、
「バランスがよい」
「整っている」
「ちゃんとしている」
「納まりがよい」
などでしょうか。あるいはもっと直接的に、
「左右対称である」
「プロポーションが良い」
「水平垂直が出ている」
といった場合もあるでしょう。


●「言い換えられない」理由は普遍性かもしれない

先ほど、このように書きました。

しかし一方で、この「気持ち悪さ」という感覚は強いものです。

なぜなら「カッコ悪さ」が人によってバラバラな尺度であるのに、「気持ち悪さ」は万人に共通の普遍的感覚だからです。

このシリーズのタイトルにあるように「気持ちよさ(悪さ)」「美しさ」「正しさ」はいずれも言い換えられない言葉です。少なくとも私はそのように認識しています。

その証拠に、私は前回も今回も、ビジュアルベースの表現で説明せざるをえませんでした。言葉にできないものを説明するには、感覚に訴えるしかないということです。

この「言い換えられなさ」は「普遍性」に近いのかもしれません。

3つの言葉はいずれも万国共通のものです。多少のお国柄はあれど、それは育った環境が違うからで(山崎まさよしみたいな話ですね)、もし同じ環境で育てば言語抜きに共有できる感覚のはずです。


今日は、ここまで。読んでいただきありがとうございました。


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