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【読書記録】三島由紀夫『青の時代』

この作品は1948年に実際に起きた、昭和犯罪史に残る「光クラブ事件」を題材に書かれている。銀座で高利の金融会社「光クラブ」を経営する東大法学部三年の山崎晃嗣が、暴利による物価統制令違反で検挙されて債務不履行に陥り、債務と債権者を残して自殺した事件である。(以下のリンクで詳しく特集されている)

主人公の川崎誠は合理主義を信奉し、他人を見下し、また他人から理解されることを拒む性格でありながら、真理や大学の権威を疑わなかったり、また自分なりの理論を打ちたてながらも恋愛感情や肉欲を克服できないまま翻弄されるという一面も持つ。

自信が経営する高利貸しの「太陽カンパニイ」は順調に規模を拡大し、恋心を抱く野上耀子を秘書として傍に置き、社会も女性も自分の支配下にあるように思われながら、最後はそのどちらにも裏切られるという悲劇である。

誠の人物像は、私が一番好きな作家であるサマセット・モームがよく強調するように、人間が矛盾に満ちた存在であることを改めて強く実感させてくれる。

誠は自分のことを合理主義で固まった理知的な人間だと思い込んでおり、自分の信念と実際の行動の齟齬に気づいていない。

三島はその様子を皮肉を込めて描いているように感じる。自身ではこの作品を「文体もまた粗雑であり、時には俗悪に堕している」と評しているが、随所に見せる冷笑的で切れ味の鋭いセリフや描写はさすがだと思う。

ラストシーンも印象的だった。てっきり誠が自殺して終わるものだと思っていたが、偶然立ち寄った喫茶店で誠の再従兄である易を見かけ、易が手にしていた緑色の鉛筆が視界に入ったことをきっかけに、幼いころの母の「誠や、あれは売り物ではありません。」という言葉を思い出して物語は終わる。

この鉛筆は誠が幼いころに憧れた、ある文具店の店先に吊り下がっていた大きな鉛筆の模型のイメージと同じもので、作中に何度か登場するモチーフである。これは物欲という誠の世俗的な一面と、家族愛への飢えの象徴であるように思われる。

誠の家族は、皆何らかの形で誠に対して距離がある。傍に誰か一人でも理解者がいれば、彼の人生は違ったものになっていたのではないか。また彼の出会いの中で、人間味のある易や愛宕に親しみを感じたのも、誠が無意識のうちにそういう存在を身近に求めていたからだろう。

巻末の解説で「性格悲劇」という語が使われており、言い得て妙だと思ったが、誠の性格は先天的な気質によるものか、それとも育った環境によって形成されたのかはわからない。

ただ、ついに愛宕も自分のもとを去り、孤独になった誠が作中で最後に見かけるのが易であったという点には、作者が誠に送る「お前は自分の性格により破滅の道へ陥ったが、まだ本当に孤独になったわけではない」というメッセージのようなものを感じる。誠の自殺で終わらせなかったのは、三島の優しさからなのか、それとも同情からだろうか。


『青の時代』は「戦後の動乱期という時代に生きた青年が感じた孤独と虚無感」という主題を扱ったと語られることが多い作品のようであるが、発表から70年以上経った今の時代でも、共感できる部分は大いにある。

三島作品の中ではあまり高い評価は得ていないが、私にとっては「人間は矛盾する内面を抱えて葛藤する存在」を描いたものとして、とても心に残る一冊になった。


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