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受験は狂気

今日は共通テスト2日目ですね。

今さら言うことでもないですが、センター試験と比べて共通テストは全体的に難化していて、時間内に解ききるのが大変です。

来年からはまた試験制度が改定され、「情報」が新しい科目として追加されて最大で1,000点満点になったり、国語や数学の内容が追加・変更されて試験時間が長くなったりと、とにかく勉強すべきことがどんどん増えていきます。

昔と比べると一発逆転が難しく、いかに早期からコツコツ実力を高めていけるかが大事で、やる者とやらざる者の差がどんどん開くようになりました。


私は初対面の人に自分の経歴を紹介すると、よく「大人になってから東大に受かるくらいの勉強をするなんてすごいですね!」と言われます。

ですが、私はいつも「いや、普通に高校生が勉強して受かる方がすごいです。」と言っています。これは安っぽい謙遜ではなく、本心からです。

大人ならある程度勉強する意味や価値が分かっていますが、子どもは将来や社会に対する解像度が低いのに、よくそんな状態であんな量の勉強を頑張れるなあと、自分が中高生だった頃と比べて心から思うからです。

受験はある種の狂気といってもいいかもしれません。子どもより親の方が熱心になっているケースも珍しくはありませんが、本人が夢中で勉強している限りは、いい意味での狂気でしょう。何事も本気で取り組む姿は美しいものです。


刻々と変わりゆく受験業界を眺めながら、「自分が今の試験制度で、この歳で東大受験にチャレンジしたら受かるのかなあ」ということも最近よく考えるのですが、あまり成功するイメージが湧きません。

受験を決意したのがちょうど10年前で、あの時は会社も辞め、田舎暮らしなのに車も売り、携帯電話も解約して退路を断って勉強を始めました。

当時はそれが自分にとっては当たり前と言うか、特別何とも思っていませんでしたが、最近になって「よくあんなことやってたなあ」と思うようになりました。

自分がやったことをすごいと言いたいのではなく、当時の情熱に対して距離感を覚えるというか、時を隔てて少し客観視できるようになった感じがあって、「よくあんなに夢中になれたな」と思うのです。

あれも一種の狂気だったかもしれません。ただ、毎日の充実感はものすごくありました。変な言い方ですが、振り返ると「ああ、生きてるなあ」と感じられる幸せな日々でした。


何かに打ち込める環境があるというのは、当たり前のことではありません。それが自分で勝ち取ったものでなければ実感するのが難しいでしょうが、とても恵まれたことでしょう。

周りから勉強に集中できる環境を一番整えてもらいやすいのが子どもの時期ですから、遠慮なく夢中になって試験に向かって欲しいと思います。

受験の結果は人それぞれでしょうが、自分の意志で必死になって取り組んだ末のものなら、納得して前へ進めるはずです。月並みな言葉ですが、狂気を経験した一先輩として、受験に向かう皆さんを応援しています。

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