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自分の原点

昨日、駿台予備校の御茶ノ水校3号館で開かれた「東大生座談会」で、東大志望の受験生たちに色々と勉強のアドバイスをする機会をいただいた。

次々と真剣な質問が飛び交い、みな私の話に熱心に耳を傾けてくれて、非常に充実した時間となった。

「ああ、これが30歳を過ぎてから東大受験した自分の原点だったな」と改めて思い出させてもらい、とても清々しい気持ちで帰途についた。


私はもともと高卒ながら、たまたま縁あって塾講師の職につくことができた。25歳のときのことだ。

進学熱が低い地域で、高校受験までが指導のメインだった田舎の塾であったことと、就職をきっかけに小・中学生の内容をすべて一から勉強し直したことで、大学受験の知識や経験が乏しい中、曲がりなりにもなんとか満足してもらえる指導ができていた。

講師一丸となって一生懸命丁寧に教えていたことが評判を呼び、私の勤めていた教室はオープン当初と比べて生徒が倍増した。それが29歳の時だ。

そんなある日、東大に行きたいという高3の生徒が入塾してきた。受験本番まで残り半年もない、秋半ばの頃だった。

それまで私がいた塾には、そもそも大学受験をする生徒すらほとんどいなかった。これは田舎あるあるだが、受験と言えば高校受験がゴールになっていて、高校入学と同時に塾をやめるのが普通だったのだ。それがいきなり東大志望である。

幸い、その時は京大卒の優秀な講師や学芸員の資格を持つ歴史の専門家の先生がいて、彼の指導体制を整えるのに困ることはなかった。私は教室長として全体を管理する立場であったが、併願校の英語の過去問分析や英作文の添削など、自分でもできる限りのサポートはした。

しかし、残念ながらセンター試験の結果が振るわず、結局その子は別の大学に進学することになったのである。その時、自分の胸にこんな思いが去来した。

「もしも自分が東大合格レベルの学力ときちんとした大学受験の経験があったら、合格まで導いてあげることができていたのではないか」

私は教室長でありながら、その子に具体的な大学受験のアドバイスができなかった。自分自身の経験がベースとして無いので、どこかで聞きかじったような話をして変にその子の勉強のペースやメンタルに悪影響を及ぼしてもいけないと思い、先述の先生たちにスケジュール管理や教材の選択等をお任せしていた。

もちろんその先生方もベストを尽くしてくださったが、自分が責任者として自信を持って主体的に関われなかったことが、非常に心残りだったのである。

その子と保護者の方がこちらの指導と受験の結果に対して、不満どころか感謝の意を示してくださったことも、私の心の後ろめたさや申し訳のなさに拍車をかけた。

「このままではいけない。どんなレベルの生徒に対しても自信を持って指導できるよう、まずは自分自身が東大合格レベルの学力と経験を身につけねば」

そう決断したのが30歳のときである。

それから3年の受験勉強を経て無事合格を果たし、卒業して今に至る。


やはり自分の実体験を通じて伝える言葉の力は全然違う。

昨日の座談会で改めて実感した。

もらった質問に対して芯を食った回答をすると、受験生の目の輝きがまるで違う。

東大志望の子にそんなアドバイスをするなんて、昔の自分なら絶対にできなかった。

自分が人の役に立っている、必要とされているとダイレクトに実感できることは、何とも幸せなことだ。

あの時の決断は間違っていなかった。本当によかった。

「そうだ、俺はこのために東大受験をしたんだったな。」

自分の原点を振り返ることができた、なんともありがたい経験だった。

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