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言葉にならないコトバ

先日、木場にある東京現代美術館で見た「翻訳できない わたしの言葉」の展示がとても印象に残った。

詳しい展示内容は上記の公式サイトで紹介されているが、一番心を動かされたのは新井英夫氏の展示だ。

以下は公式サイトの紹介文からの引用である。

新井英夫は、障害や高齢や生きづらさから言葉を表出しにくい/身体が動かしにくい人たちと向き合う身体表現ワークショップを手がけてきました。それは人それぞれが心地よいと思う動きや美しさを尊重し、その人らしさを丸ごと肯定するものです。その源泉を新井は、だれの体にも存在する「からだの声」と呼びます。今回展示する《からだの声に耳をすます》では、微かな声に耳を傾けたり、身体の些細な動きを意識したりというワークを紹介します。現在、全身の筋肉が徐々に動かなくなる難病と対峙している新井の日記的即興ダンス映像も、身体と言葉のつながりについて考えるきっかけとなるでしょう。

氏の展示は、紙を手でちぎった切れ端が山のように積み重ねてあって、ちぎる時の音の心地よさや、柔らかいかさかさとした手触りの気持ちよさを感じることができたり、水の入った巾着袋を体の上に乗せ、体を揺らして袋の中の水も一緒に揺れるのを感じながら得た感覚に耳を澄ませるなど、自分の身体を通じて言葉にならないものを感じ取ることをコンセプトにしたものだった。

私は中学生の時、五木寛之氏のエッセイにあった「からだの内なる声に耳を傾ける」という一節が妙に心に響き、以来ずっと意識して生きてきたのだが、それに通ずるものがあった。

私は小さい頃から言葉や言語に興味があったし、今は物書きの端くれになってしまったので、できる限り自分の考えを正確に言葉で伝えたいという願望がある。また、日ごろ文豪と呼ばれる人たちの精緻な描写に触れては「こんな言葉の扱い方ができたらいいのに」と憧憬の念を抱いている。

だが、言葉がすべてではない。言葉にしきれない感情や感覚はあるし、そもそも言葉を使うのが難しい人もいる。また、言葉を介さなくても心が伝わることもあれば、五感を通じて自分を表現することも可能なのだ。

氏の展示では、実際に来場者が作品に触れて、自分の体で何かを感じ取ることができるようになっている。私も先の紙の山に触れたり水の入った袋を乗せて横になってみて、たしかに言葉で表現しにくい感覚があると思った。

今はスマホが普及し、VRや動画などで疑似的な体験を手軽にできるようになって生身の感覚を刺激されることが減ったせいもあるのか、どこか懐かしいような、それでいて新鮮な体験でもあった。

人それぞれに感じるものはあるはずなので、興味のある方はぜひ足を運んでみてもらいたい。


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