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【読書記録】五木寛之『生きるヒント』

初めて『生きるヒント』を読んだのは今から30年近く前、私が中1の頃です。

地元の図書館で何の気なしに本棚を眺めていたら、このタイトルが目に飛び込んできました。

当時はまだ子どもですから、今ほどの深さで人生について悩んでいたわけではありません。

それでも何か、このタイトルには心惹かれるものがある。思わず手に取って、パラパラとめくってみました。

第一章は「歓ぶ」。

直木賞まで取った売れっ子作家(五木寛之氏自身)が、街中で買ったコロッケが美味しくてうれしいという日常のささいな幸せを書き留めたり、自分の細胞一つ一つに語りかけて、まるで細胞が喜んでいるような感覚を得る女優の話(ここだけ切り取るとちょっとオカルトチックですが…)。

当時の私の中にはまったくない価値観を知り、そこから一気に引き込まれて夢中になって読みました。

第三章の「買う」も非常に印象深いエピソードがあります。作者がイランに行ったとき、骨董屋であわてて買い物を済ませたら店主が非常に悲しい顔をした、というものです。それは「買う」という行為をないがしろにしているから。

かの国では買い物をする際、店主と客は互いに俳優となって役割を演じ切るのが一つの文化なのだそうです。気に入ったものを見つけたら、それとなく客は店主に向かって値段を聞く。そこからすぐに交渉が始まるのではなく、天気がどうとか景気がどうとか他愛もない話をまじえながら、また気に入った商品の話に戻る。

時にお茶の時間をはさんだりしながら、また世間話と価格交渉を繰り返す。そうしてたっぷり一日かけて商談がまとまり、店主は自分の職務を全うし、なんと実りの多い一日だったことかと神に感謝をささげる、というお話しでした。

文化の違いと言ったらそれまでですが、とても豊かな時間の過ごし方があるんだなあと、いたく感心したものです。

中でも私が一番好きなのは、第七章の「働く」にあるライ麦の話。

ひょろひょろとした一本のライ麦を木箱の中で育て、十分に成長したところで木箱を壊し、根の長さの総延長を計ってみる実験が行われたところ、なんとその長さは優に一万kmを超えていたというものです。

貧弱な一本のライ麦が、自分の生命を支えるために一万km以上もの根を地中に張りめぐらせている。命の営みの尊さが分かる、感動的な話でした。

こんな風に各章ごとに自分の知らない世界の話、価値観の話が散りばめられていて、心を豊かにしてもらえるような、まさに「生きるヒント」を得たのです。それから本屋さんに行って、全5巻買いそろえて一気に読みました。

それから10年以上経ち、二度目に読んだのは25歳くらいの時だったでしょうか。ずいぶん前に読んだはずなのにそれぞれの内容をよく覚えていて、よほど最初に読んだ時の印象が強かったんだなあと感じた記憶があります。

それからまた読み返したい衝動に定期的に駆られていて、最近やっと三度目に手をつけたところ、あることに気がつきました。

『生きるヒント』の文体が、自分が書きたいと思っている文章とどこか重なっている雰囲気を感じたのです。初めて読んだ時から、あの優しい語り口に憧れのようなものがあったのかもしれません。

このnoteを初めてから一年ちょっと、くだらない話や勉強法の話などいろいろ書いてきましたが、最終的にはあんな文章が書きたいと思っている自分に気がつきました。

読んでいて全く押しつけがましさのない、それでいて気づきや楽しさを与えてくれる、心に染み入るような語り口。ありきたりな日常の風景の中に、何か人と違ったものを見つけ出す視点。

思わぬ形で、また違った切り口の『生きるヒント』をもらえました。もちろん相手は直木賞まで取った大作家ですから、足元にも及びませんが。

それでも目指すのは自由ですから、これからもマイペースで、のらりくらりその境地にたどり着けるよう投稿を続けていきたいと思います。

今年も一年、駄文にお付き合いいただきありがとうございました。

それでは皆さま、よいお年を。

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