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ヒロシマと祈り

 春休みの間に広島を訪れました。あのとき考えていたことを残しておかないといけない気がして、文章にしてみようと思います。

語れない場所 ――広島平和記念資料館

 正直に言って、私はまだ平和記念資料館については語ることができません。それは、展示を冷静に見きることができなかったからです。時間が限られていたこともありますが、説明のできない感情が胸を占め、目の前の展示を涙越しでしか見ることができなかったことがその際たる理由です。いや、見ることすらできなかった展示もあったかもしれません。何度立ち向かっても涙がとまることのなかったあの展示を冷静に見るためには、私はまだ何回かあの場に繰り返し訪れる必要がある気がします。

祈りきれなさ ――広島原爆死没者追悼平和祈念館

 ところで、私が涙を流す前、資料館を訪れて一番最初に感じたことは見に来ている人の多さでした。そしてそう感じたのは、その前に訪れた広島原爆死没者追悼平和祈念館を訪れていた人が少なかったためでした。しかし私には、平和祈念館のことをこそ語らないといけない気がしています。そこは、私が平和記念公園を訪れてからずっと抱えていたもやもやを形にしてくれた場所でした。
 平和祈念館には大きく2つのエリアがあります。1つは円形の空間で、周囲の壁はあの日の広島の壁画になっていました。その中心には原爆投下の時間を示すモニュメントが置かれていました。もう1つは原爆によるご遺族を表示するモニターのエリアで、たくさんの犠牲者が次々と入れ替わりで表示されていました。
 円形の空間で、最初私はふらふらと歩きながら、どこを向いて何に対して祈りを捧げるのか見つけられずにいました。どこを向いても、私の目の前にはあの日のヒロシマがあります。やがて諦めて、どこか、原爆ドームかなにかを前にして祈りを捧げました。私があの空間で感じたのは、祈りきれないという無力感でした。どこかを向いて祈ったとしても、自分が祈るべき方向がそれ以上に無数にあるという残酷な現実でした。
 そして、遺族を表示するモニターでも、私は鮮烈に祈りきれなさを感じていました。ご遺族の表示するモニターの前で祈りを捧げても、次から次へとモニターの画面は変わっていってしまいます。いったいいつになったら私は手を下ろしていいのでしょうか。
 平和祈念館での時間は、私には祈りきることなどできないという至ってシンプルな事実を痛感する時間でした。

祈る場所 ――広島平和記念公園

 更に時を少し遡って、私が平和記念公園で感じたもやもやに戻りましょう。広島平和記念公園には、たくさんのモニュメントがあります。平和を祈念する石碑が公園のなかの至るところにあります。私たちは公園をまわりながら、そうしたモニュメントを見つけてそのまえで祈るのです。ところで、なぜ私たちはモニュメントの前で祈っているのでしょうか。原爆ドームの前で、鐘の前で、石碑の前で、どうして祈っているのでしょうか。いや、問題はそこではない。むしろこちらです。どうして原爆ドームや鐘や石碑以外の場所で私たちは祈らないのでしょうか。
 私の感じたもやもやはこれでした。私たちが、祈るべき場所でのみ祈っているということ。何もないところでは祈っていないということ。私たちは何もない状態で祈ることはできないのでしょうか。私たちはモニュメントを前にして、何に対して何を祈っているのでしょうか。それは、いったいなぜそのモニュメントの前で祈っているのでしょうか。

祈りきれない祈り

 そもそも、私たちは祈りきれないのです。平和祈念館で私が感じたことは、決して祈念館の中でだけ成り立つことではありません。私たちは祈りきれないから、それでも祈るために、祈るべき場所にて祈りを捧げます。しかし、やはりそれを祈りきれたとは言えないし言ってはいけないのでしょう。
祈りが何に対する祈りなのかは、いまの私には簡単には言えません。しかし、少なくとももしそれが平和への祈りであるならば、祈りきれなさは祈り続けることを意味する気がします。そしてそれは、忘れないことをも意味しています。
 私は、あの日のヒロシマやそのご遺族に対して、平和祈念館で祈りきれなかった。だから、これからもまた祈り続けなくてはならない。しかし、それを繰り返してもなお祈りきることはできない。それでもなお祈るのでしょう。それは決して広島でしかできないことではありません。私たちはきっと、どこにいても祈れるのです。目の前に何かがなくても祈ることができるのです。祈りきれない祈りを捧げ続けることが、きっと私たちにはできるのです。

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