私が過ごしていたまち、豪徳寺への手紙
拝啓
この4年を暮らしたまち、豪徳寺へ
早いもので、あなたのもとを離れて新たなまちに越してきてから、もう一週間余りが経ちました。あなたはお元気ですか。通りや店の様子はお変わりないですか。4年間という長い時間を過ごしていたあなたには、どこかで感謝を伝えなければ、と思っていたのですが、なかなか筆を執るまでに時間がかかってしまいました。ちょっとだけ、あなたのところでの思い出話をさせてください。
最初の思い出
最後にこそ、すっかり「自分のまち」として愛着のある大切なまちとなっていたあなたですが、引っ越してきた最初は期待以上に不安が大きかったのをよく覚えています。真っ白な部屋に、布団とローテーブルがあって、あとなぜかプリンターと地球儀があって。私は、家族と離れて一人で生活することに心寂しさを覚えていました。
正直に言うと、私が自分自身でしっかりあなたのところを選びとったというわけではなかったのです。受験勉強に集中していた私は、「大学に自転車で通えるところがいい」という条件だけ伝えて、あとは任せてしまっていました。だから、そこまであなたというまちに最初から詳しいわけではなかったのです。知らないまちにたった一人で過ごし始めるのだから、心細さもあるでしょう。
とはいえ、そうした心細さとともに私があなたのもとで暮らしていたのは、最初の数日くらいでしたね。世は感染症で大騒ぎの時期で、大学は全面的にオンラインに。私も荷物をもってすぐにあなたのもとを離れ、急いで栃木へと帰ってしましました。
結局、本格的にあなたと過ごし始めたのは2020年9月頃からでした。そこからは、2021年の頭で感染症の影響から3か月くらい離れていたこともありましたが、基本的にはあなたのところにいたように思います。ざっと、3年あまりくらいが過ごしていた日々ということになるでしょうか。
家の思い出たち
そんな3年あまりの日々を、少し一緒に振り返ろうではありませんか。
最初のころは、授業もサークルもオンラインでしたから、ずっと家にこもっていましたね。そのおかげで、私は自炊をできるようになりました。はじめはレトルトご飯を食べていたものの、レトルト親子丼のあまりの美味しくなさから、料理をしてみることにしたのでした。次第にのめりこんでいった私は、毎日その日食べたいものを考え、スーパーに行って買い出しをし、料理をして食べる生活を送っていました。あれは、今思い返してみてもとても楽しかったですね。麻婆茄子とか、角煮とか、それなりに本格的な料理もつくっていました。うん、楽しかった。
あ、そうそう。あなたのところのスーパーはやはりとても安かったです。最初のうちは気づきませんでしたが、日頃から比較的安いうえにセールも多く、とても助かっていました。引っ越し先では、あなたのところのスーパーがないことをどれだけ残念がったことか。
少し脱線しましたが、戻りましょう。そうしているあいだに、少しずつ世の中では、人と人が会うことができるようになっていきました。私も、人と会う生活をしたいなと思うようになり、ボランティアを始めたり、友達と会う時間をつくったりするようになりました。あなたのところにある中学校でボランティアをしていたこともよく覚えていますよ。先生方は非常によくしてくださって、半年でやめてしまうことを自分自身残念がったほどでした。皆さん元気にしているでしょうか、あれからもう3年近く経つのですね。
友達と会ううえでも、あなたは非常に大きな助けとなりました。それというのも、一人暮らしをしていた私の家は、人を呼ぶのに最適だったのです。友達が私の家で一緒にオンラインミーティングに入ったり、じゃがいもを使った料理会をやったり、世の中について友達と語りあったり。引っ越すまで、いったい何人の人が訪れたのでしょうか。ときには、団体の活動での作業場所に。ときには、チームの交流会の場所に。ときには、クラスの友達との飲み会に。ときには、友達の誕生日を祝って。ときには、父や母を招いて。ときには、パートナーとともに。色々な人と私との出会いを満たしてきたのが、あなたでした。
そのおかげもあってか、私の友達には「豪徳寺」と聞いて伝わる人が多くなりました。私もよく、「豪徳寺」という名前を人に伝えるようになりました。あなたのその特徴的なお名前が、私と人をつないでいったのです。
まちの思い出たち
うーん、まだあなたとの思い出を語り切れていないような気がします。というのも、これではまるで、「一人暮らしの家」の思い出に過ぎないような気がするからです。そうですね、思い出話でもしながら、一緒にあなたというまちを歩いてみましょうか。
小田急線を9両目1番ドアで降りて、目の前のエスカレーターを降りて改札へ。青い看板の掲げられている改札を降りてすぐ左手にあるのは、すき家。昼食としてミニ牛丼を食べたり、夕飯をつくる余裕がないときに買って帰ったりしたのが思い出されます。
道の左手には、私が越してきたあとにできた中華料理屋の味膳。炒飯のおいしいお店でした。右手には、ファミリーマート。帰りにファミチキを買ったり、アイスを買ったり、あるいは行きに昼食を買ったり、水を買ったり。進んですぐにあるのは、大学4年生になって通いはじめた皮膚科。中学生以来のニキビを大きく治せたのは、ここのおかげです。その少し先には、パン屋の墨絵。ここのカレーパンは、本当にとても美味しかった。そこからやや右に道を逸れると、家具の組み立てを手伝ってくれた友達と一緒に行ったパスタ屋もあります。あそこのシーザーサラダには、ロメインレタスが使われていて美味しかったですね。
元の大きな道を進むと、ついに一度も行けなかったケーキ屋が右手に。そしてその先には、数え切れないほどお世話になったあのスーパーがあります。スーパーの隣には、ドラッグストア、そしてその隣には八百屋、旬世。旬世で野菜を買って帰る日々は楽しかったですし、2階のレストランでは野菜だけで本当に満腹になれるのが幸せでした。スーパーの向かいにある小道には、古本屋。文庫本がたくさん売っていて、何度も足を運んだ思い入れのある古本屋です。
そう、古本屋といえば、このまちにはもう一つ古本屋がありました。いまは古着屋になったそちらの店は、やや古いけれどより安い本が売っていたのでした。その古着屋の手前にあるのが、セブンイレブンと、銭湯、鶴の湯です。いつからか時々足を運ぶようになった鶴の湯。露天風呂に入っていると世田谷線の音が聞こえてくるのが、風情あって好きでした。再び家の方へ。クリーニング屋や内科、ワーキングカフェ。更には、行かずじまいになってしまった酸辣湯のお店や焼き芋屋が続きます。
それらをすべて抜けると、100円LAWSON。ここは、本当に何度もお世話になった、最も近いコンビニです。卵を買ったり、ネックウォーマーを買ったり、アイスを買ったり、コロッケを買ったり、冷凍うどんを買ったり、カップ焼きそばを買ったり。そしてこの100円LAWSONを右に曲がれば、長らく暮らした私の家があるのです。
もちろん、まだまだあなたとの思い出はあるのです。象徴ともいえる、豪徳寺。紅葉がとてもきれいで、ぎゅっと並んだ招き猫も壮観で、見事なお寺でした。豪徳寺で過ごす最後だった2024年には、初詣にも行きましたね。その豪徳寺に向かう途中のおでん居酒屋は、豪徳寺生活最後に食べに行ったお店でした。初めて訪れた私に、ソーセージと昆布をおまけしてくれたお店のお父さん。「やりたいことをやるのが一番いい」と進路について話してくれたのを、しっかり覚えています。
あなたへのメッセージ
これだけ長々と語っても一部なのです。豪徳寺駅の反対側や、大学へと向かう道、さらには経堂駅へと向かう道については一言も触れられていないのですから。この手紙を書きながら、あなたというまちのことを、私は鮮明に思い出しています。あなたのもとを離れて1年が経ち、2年が経ち、さらの何年も経って、いつか私はこうしたあなたの姿を忘れていってしまうのでしょうか。あなたの方も、そうして年月が経るとともに、雑貨屋や古本屋がなくなっていったように、次第に姿を変えていってしまうのでしょうか。そう思うと、なんだか寂しい気がするのです。
でも、もしかしたらそれだけあなたのことを思えているというのは、喜ばしいことでもあるのかもしれません。大学生時代に過ごしたまち。たったそれだけのまちであるあなたが、私にとっては東京における第一の故郷になっているのですから。だから、何も用事がなくてもまた会いに行こうと思います。それまで私はほかのところで元気に過ごすから、あなたも素敵なまちであり続けてください。それでは、またね。
2024年1月31日、あおきもんど。
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