和歌に現れる香りと、ドルチェ&ガッバーナの香水について

今年大流行の瑛人「香水」についてです。

この曲については何番煎じか分からないくらい論じられているかと思うのですが、恥ずかしながら私がこの曲を聞いたのがかなり最近で、思ったことを書いておきたいと思ったので書きます。

音楽的な部分ではなく、歌詞について述べます。


1、「五月待つ」の歌

「香水」と下記の和歌との比較についてです。

古今和歌集 夏139 読み人知らず   五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする

伊勢物語にも引用されている非常に有名な和歌のひとつで、「5月を待って咲く橘の花の香りは、昔の恋人が着物に焚き染めていた香(こう)の香りだ。」という意味です。

昔別れてしまった恋人の記憶を、香りを通じて思い出している、という歌です。

瑛人「香水」を初めて聞いたとき、私はすぐにこの歌を連想しました。


以下、この和歌と「香水」の類似点と相違点です。

2、類似点

二つを比べて明らかなのは、どちらも

●香りと昔の恋の記憶が結び付いている

作品だということです。

和歌では橘、「香水」ではドルチェ&ガッバーナの香水とそれぞれ別のものに記憶が託されていますが、香りがきっかけで昔の恋を思い出す構図は同じです。

古今和歌集も伊勢物語も平安時代に成立した作品なので、この歌も少なくとも1100年ほど昔(おそらくそれ以前)に読まれた歌のはずです。香りが恋の記憶を呼び起こす、という文学作品の型は古くよりあるものだとわかります。

この和歌のイメージがあったからこそ私は「香水」を聞いたときに、

「今の若い人には、こんな古典的なモチーフが受けるのか!日本人の感性は根本のところは変わっていないんだな~」

と、思ったのです。

ただ、やはり現代に作品として発表されている曲ですから、きちんと「五月待つ」の歌と違うところもあります。

意図的なのか、そうではないのかわかりませんが、現代の価値観に沿うよう更新されている部分があると感じました。

3、相違点(更新されている点)

まず、これは敢えて言うのも不自然なほど明らかですが、

○ドルチェ&ガッバーナという現代に実在するブランドの名称を歌詞に利用している

ところです。言うまでもありませんね。

ドルチェ&ガッバーナというブランドは有名ですから、「あの香りね」とわかる人、実際に自身や恋人、あるいは曲と同じく昔の恋人が使っていたという人もいるでしょう。

また、知らない人にとっても「ふと昔の恋を思いだすきっかけになる香りってどんな香りだろう」と想像したくなると思います。どうでもいいですが私は後者です。

現代人に香りを思い起こさせる道具として「ドルチェ&ガッバーナの香水」という具体的なものを使ったのがうまいと思います。

ここまで具体的にしてしまうと、過去の恋人がどんな人だったのか、という聞く人それぞのイメージまで作り出せてしまえるところが楽しいですね。

次に異なっているのが、

○「香水」では別れた恋人が近くにいる

ということです。

「五月待つ」の歌では、橘の花の香りはもちろん花から薫っているもので、実際に着物から橘の香りのする人は作者の傍にはいないわけです。

昔は着物からどんな香りがするのかわかるくらい近くにいた人が、今はいない、というのが切ないポイントです。

一方「香水」では元恋人からLINEがきて会いに行き、昔とは変わってしまったその人が煙草を吸うのを見ている、という状況のようですので、距離としては近くにいます。

その状況でも、

別に君を求めてないけど
別に君をまた好きになることなんてありえないけど

と言っているので、近くにいるけれど満たされない、という切なさだとわかります。


4、香りと心変わりの歌

これまでの比較を整理します。

「五月待つ」の歌と「香水」は、どちらも香りが記憶を呼び起こすという構成をとっているが、昔の恋の何に切なさを感じているのかが異なります。

「五月待つ」の歌は、昔は近くにいた人が今はいなくなってしまった切なさ、「香水」は昔の恋人と体は近くにあっても、お互い心が決定的に変わってしまったことに気づいたときの切なさを題材にしています。

現代では電話でもSNSでもすぐに連絡がとれて、人の存在については知れるからこそこういう切なさの概念が出てくるんだろうと思います。

香りと心変わりという題材で有名な和歌もあります。

古今和歌集 春35 紀貫之  ひとはいさ心も知らずふるさとは花ぞ昔の香に匂ひける

百人一首にもとられた歌です。久しぶりに馴染みの地に帰ってきた紀貫之が、訪れた宿の人に対して詠んだ歌で、「ひとの心は、さて、どうだかわかりませんが、故郷は昔と変わらない花の香りがしていますね」という意味です。あなた(宿の人)の気持ちは変わってしまったんでしょう、という皮肉です。

「香水」でも、香水の香りは変わらないけれど、今のあなたは変わってしまった、という点で構図は同じだと思います。

久しぶりに会った元恋人が変わってしまったことは(あるいは変わってしまったから別れたのかもしれませんが)、切ないけれど、歌としてはけっこう皮肉っぽく歌ってるのかな、と感じました。


5、まとめ

和歌は短いけれど噛めば噛むほど味が出る、というような今でも楽しめる文学だと思います。

私は大学で万葉集の研究を先行しており、卒業論文では花の香りに関する和歌を中心に調べものをしました。

最近はなかなかゆっくり古典を読んだり調べものをしたりできていないのですが、「香水」を聞いていろいろ思い出すことができたのでいいきっかけをもらったなと思っています。

古今和歌集をしっかり勉強してみたいなあと思いました。

そしてドルチェ&ガッバーナmの香水はどんな香りなのかもいずれ確かめたいです。


2020/7/26 22:14 一部修正しました。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?