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ボリビアとオキナワ


今日は少し歴史ものを。
私は世界をふらふら旅しているときにボリビアで貴重な体験をした。
それはチェ・ゲバラが捕まった場所を見たり、遺体が置かれていた台がある病院を訪れたり、実際に打たれた小学校を訪問したりしたこととは別にある。

ボリビアの沖縄村で60周年記念イベントに参加できたことだ。

この村は名前の通り沖縄の人が住んでいるボリビアの村だ。
第二次世界大戦後アメリカ軍に占領された沖縄での過剰人口、そこから生じる課題を、また占領された側の運命から生じる課題を解消するために琉球政府・ボリビア政府が話、ボリビアが受け入れ、琉球政府から送り出された。

そこに60年の時を経た今(実際に訪れたのは2014年なのだが)、沖縄の方が住んでいる。
サンタクルスというボリビア第三の都市から5~6時間ほど車で行ったところに村がある。
ちなみにこの第三の都市もそうだが、この沖縄村の周りにはほんとうに何にもない。
沖縄村自体もとても小さな村。学校と家と公園ぐらいしかない。

そんな村で60周年記念祭があるという噂を聞きつけ、本当にたまたま俺がサンタクルスにいた時に行けることになったので、良く分からないまま訪れた。

その村では「めんそーれオキナワ」という文字とともに祭りの雰囲気がただよい、いくつかの出店(沖縄そばやかき氷が食べられた)と和太鼓、老若男女の姿があった。

移植してきた時から住んでいる人もいれば女子高生ぐらいの人もいた。
地球的には日本の反対にあるボリビアという土地で笑顔で逞しく生きる沖縄の方を見た。

それは地球は小さいということ、国なんて関係ないということ、どこでも生きていけるということ、そういう感情とともに

ここに移植した当時のことやここで産まれて生きてきた人たちの人生を見聞きしてなんとも言えない。涙があふれた。


近年では旅行なんて行かなくても良い。ネットで検索すれば分かる。とかなんだとか言う人がいるが、そこの空気・音・臭い・表情・会話・温度・疲労感・光景・人との巡りあわせ、そのすべてが無ければ私はボリビアにある沖縄村の存在を知ることも何か想い出に残ることも、そしてこうして日本とボリビアとの関係を記すこともできなかったように思う。

ボリビアは現在南米で最貧国。内陸国の宿命の様な経済状況だ。その中では日本で使われていたスクールバスやスイミングスクールのバスをよく目にする。
国なんてあまり関係ないと思うが、物事を捉える便利なツールとして、日本とボリビアという全く関係なさそうなイメージの国を捉え直し、教養を深めるのもまた良い金曜日だ。

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%AA%E3%82%AD%E3%83%8A%E3%83%AF%E7%A7%BB%E4%BD%8F%E5%9C%B0#%E5%85%A5%E6%A4%8D50%E5%91%A8%E5%B9%B4%E8%A8%98%E5%BF%B5%E5%BC%8F%E5%85%B8


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