自分の操縦権

・自分の扱いは自分が一番うまいと思っているし、今の自分をやるのは正直めちゃくちゃ楽しい。来世はかわいい女の子として生を受けて天寿を全うすると心に決めているが、今世においては、まぁ自分でいいかなと思えるくらいには自分のことが好きだ。過去楽しくない時期があったからこそ、なおさらそう思うわけです。

・小学生のころ、僕は太っていた。そして髪を洗うという行為がめちゃくちゃ嫌いだったので、髪型は丸坊主。気に入った服を延々と着続ける。という謎のポリシーによって服はよれよれ。かっちり裸の大将みたいなありさまだ。おかげさまでクラスの悪ガキ達にそれはもう好き放題された。
・デイリーで僕を必ず泣かせるという素敵なイベントの存在。暴力、言葉責めなんでもあり、ルール、情けは無用である。恩恵としては、一生分涙を流してしまったのか知らないが、どんなに感動する映画でも泣けず。ひげ脱毛の痛みを麻酔なしで耐えられる。その程度の能力が身についた。※ありがたいことに中学生になったあたりで、ぐーんと縦に伸びてくれました。ただ、髪型はいまだにパッとしません、、、

・中学生に上がり、小学校時代の悪ガキはエスカレーター式に僕のことを継続して好き放題してくれました。どんどんエスカレーションしていった戯れは、もはやいじりなんだか、いじめなんだかよくわからないラインに突撃していた。いまだに親交がある友人からすると、端から見た状況としてはわりと見てらんない場面もあったらしい、、、そんな状況でありながらへらへらしながら学校に通っていた。(今思い返すと弁当のハンバーグの中につまようじが仕込まれてるとか半端ないよな…)
・そのころの僕は、しっかり自分の意志が死んでた気がする。自分から話題ふることなんて全くなかったし、グループで固まっているときは出来るだけ標的にならないように存在感を消そうと努力していた。正直あの頃は友達(←いや、あの関係を友達とは呼べないな、、、なんて呼べばいいんだ?)と遊んでいる間はずっと体が重かったし、全く楽しくなかった。(こういう状況になると「断る」ということも出来なくなるので、お誘いのメールが来るたびに僕は絶望してました)。向こう側からしたら置物みたいなもんだ。「こいつつまんねー」という感じで、遊んでる最中に何回か撒かれた記憶がある。そんなことするなら誘うなよ、、、としか思えない。
・そんな僕がどうやって皆々様を楽しませるのかというと、いただいたオーダーをこなすのみである。
「川に飛び込め」「落ちてるもん食え」⇒実行する。⇒笑いが起きる。
こんな感じのフローが確立されていた。
自分から発信したものについては、つまんねーの一言でばっさり斬られ、毎度蹴りを入れられていた。
そりゃあ自分の意思なくなるわな!

・そんなめちゃくちゃな中学生時代が終わり。僕は男子校に進学した。同じ中学の人間は一人もおらず、異性を意識してイキッた行動をとらない。のびのびと生きていける環境になったのだ。高校もあの状況だったら本当に人生詰んでたと思う。
・僕は狂ったように好き放題に日々を過ごした。自分が相手の気に入らないことをしたらニーキックをされたり、意味もなくビンタされる時代が終わったのだ。こうやって自我をもって好き放題させてもらうことで、僕はちょっと変な奴で割と面白い側の人間であるということに気づいた。(中学時代の奴らは確実に僕の楽しみ方を間違えていたのだ、もったいない。)その結果中学時代を知る友人からは「昔のお前はもっとまともだった」と言われる始末。しかし考えてほしい、話しかけられないように息をひそめているような人間のままだったら週に3回も遊びに誘うほどの味がする男だったかと。
・今はだれに頼まれなくったって話題を振るし、気が乗ればボケます。
飲み会で「物真似できます」と言い放ち全くかすりもしない阿部寛なんかも平気で披露したりもする。

・大人になってから偶然、当時一番僕のことをどちゃくそにしてくれたヤツに声をかけられた、花男でいうところのF4的な扱いを受けていたその男だ。
「お前気づいてて無視しただろ?」
聞き覚えのある声、トラウマを若干フラッシュバックさせながら振り返った。
あの頃の面影はあるが、はちゃめちゃに太っていた。
・どうしてくれんだこの野郎、僕の人生をわりと長い期間苦しめてくれたくせに、きっちりナーフされとるんかい!!ゴチゴチのブランド物身に着けて、細身でスラーーッとしててさ、ギロッポンで天上人でもやっててくれよ!
・けどしょうがない、人生っていうのはそういうもんだ、もう二度と、自分の操縦権は他人になんて預けてやらない、なぜなら「僕が一番、僕をうまく扱えるんだ」つまりアムロ・レイみたいな心持ってことです。

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