見出し画像

南ひなと相場師

1、佐野

 佐野祐介(さの ゆうすけ)は、会社に勤めて2年目、この秋に24歳になった。
 会社が終わると、街中にある食堂で夕食を取って、バスに乗って帰るのが日常だ。
 たまに、近所のスーパーマーケットが開いていれば、そこでちょっとした買い物をして帰ることもある。

「今夜は、やけに寒いな。」
 カレンダーは、もう11月になっていた。
「マンションへ帰る前にカレー屋にでも寄っていくか。」と思ったその時、
「佐野さーん!!」
 遠くから佐野を呼ぶ女性の声が聞こえた。

 振り返ると、総務課の南陽菜(みなみ ひな)が、佐野の方へ向かって走って来た。
「どうした?南さん。」
 慌てて走ってきたせいか、南は、息を切らしながら佐野に言った。

「た、大変なんです。私のお金が、私のお金が…」と言って泣き始めた。
「えっ、まさか、今、流行っている投資詐欺に引っかかったのか?ひょっとして、消費者金融からお金を借りて詐欺師に全部渡してしまったとか?」
 南は、泣きながら首を横に振った。

「違うのか。それじゃ、高利回り商品に投資したのはいいけれど、勧誘してきた人と連絡がつかなくなって、利子どころか元本まで戻ってこなくなったとか?」
「えっ、違うの?あと考えられるのは、銀行でバカ高い手数料の投資信託を勧められて買ってしまったと か。」
「えっ、違う。ゴメン、わからない。降参。」

 南は、佐野に言った。
「佐野さんは、どうして私が、詐欺に引っかかったなんて思うんですか?」
「いや、その・・・泣いていたから、重大な事件かなと思って・・・。」
「私、そんなにバカじゃありません。」

「詐欺に引っかかっていないとなると・・・、わかった。大金を落としてしまったとか?」
「大金落としたら警察に行きます。佐野さんに相談なんてしてもどうにもなりませんから。」
「確かに・・・。」

「3か月前に佐野さんが勧めてくれた投資信託が、今どのくらいの利益になっているか、ちょっと覗いてみたんです。佐野さんは見るなって言っていましたけど・・・。そしたら、そしたら、・・・8%も減っているんです。」
「えーーーー(; ・`д・´)って、驚くことではないな。なんだ。そんなことか。大丈夫だよ。はっはっは。(*´▽`*)。以後、あまり見ないように。」

「大丈夫じゃありませんよ!!」南は怒りながら言った。
やれやれといった顔で、佐野は説明し始めた。
「3か月前、投資を始める前に言っただろ。南さんが買っている米国株の投資信託は、上がったり、下がったりしながら、・・・」
南は、急に思い出したかのように叫んだ。

「上がっていく!!」
「その通り!!」
「なぜ上がっていくのかな。」
「米国は、人口が増え続けている唯一の先進国で、人口の増加に伴って経済も発展し続けているから。」

「正解!! その通りだ。米国の会社は、全世界にも進出しているし、経済の規模も拡大し続けている。そして、何より、実際に米国株の長期のチャートを見れば一目瞭然だ。過去の金融恐慌で大きく値下がりした株価は、値下がり前の高値を遥かに越えてどんどん上がり続けている。1929年の世界恐慌はもちろん、2008年のリーマンショック前の高値も今となっては、遥か下だ。」

「知っています。」と、南は、落ち着いて言った。
「知っているのなら、8%の下落くらいで驚く必要はないよ。」
「知っていますけど・・・、何となく気分的に、8%も下落するなんて許せないんです。」
「許せない?・・・。欲張り過ぎだよ。それに、下落しないと大きな利益にはならないんだ。」

「下落しない方が大きな利益になるに決まっています。変なこと言わないでください!! 実際に、今、大損しているんですから。」
南は少しムッとしながら佐野に言った。
「大損?」
「そうです。大損です。」
「8%くらい下げたって、大損にはならないよ。」

「佐野さん、何言っているんですか。8%と言えば、S&P500インデックスの投資信託に1年間も投資してやっと得られる年間利益率の7%より1%も多いんですよ。さらに、全世界株式のインデックスなら、年間利益率は4%だから、2年分ですよ。」
「いや、確かにそうだけど…。」

「私すごく不安です。こんなにも下がるなんて。もとに回復する頃にはおばあさんになっていたらどうしよう。えーん。」
「はっはっは。大袈裟だよ。でも、それ面白い。」
「笑わないでください。全然面白くなんかありません。私は、まじめに言っているんです。」

佐野は、少し困った顔をしたが、以前、南に教えたことを思い出させようと問いかけた。
「ところで、南さん、S&P500の7%の意味知ってる?」
「知ってますよ。毎年7%ずつ上がって行くんでしょ。当たり前のこと聞かないでください。」

「ハズレ。」
「なぜハズレなんですか?佐野さんは、1年間で7%上がるって教えてくれましたよ。」
「そういう意味ではないんだ。それに7%上げる年ってあまりないよ。」
「えっ、それ、どういうことですか?」

「S&P500が1年間で7%上げるというのは、あくまでも平均の話なんだ。年によっては30%くらい上がったり、20%下げたりして、15年間保有し続けると、1年間当たりの平均利益が7%になるということを3か月前に教えたはずだけどな。聞いてなかった?」

「そういう話でしたか。」
「そういう話です。それに、コロナショックでS&P500は35%も下げたけど、結局、その年は、下げた35%分を回復しただけではなく、さらに19%も上昇したから、ちょっと下げただけで心配する必要はないと思うよ。」
「それはすごいですね。」

「ご理解いただけましたか?」
「佐野さんに相談して良かったです。安心しました。」
「それは良かった。これで解放してくれるかい?」
「安心したら、急におなかすいちゃいました。心配で、なにも食べてなかったんです。何かおごってください。」

「えっ?」
「たまに可愛い女の子に夕食くらいおごってくださいよ。あのお店、前から入ってみたいと思っていたんです。」
「あの牛丼屋か?」(◎_◎;)

「そんなわけないでしょ。とぼけないでくださいよ。牛丼屋ではなくて、その隣にある高級レストランに決まってます♡。あのお店は、最近できたばかりの人気店ですよ。とてもおいしいという評判なんです。」

「すごく高そう。全世界株式の年間利益が吹っ飛びそう。」
「ホッホッホッ。何をおっしゃるんですか。大袈裟ですよ。さあ、行きましょう。佐野さんの財力からすれば、お菓子でも買うような些細な値段ですよ。行きましょ。行きましょ。」
 南は、気の乗らない佐野の手を引いて、人気店に向かって歩き始めた。

(終わり)
 


よろしければ、サポートをお願いします。いただいたサポートは、これからの創作活動に使いたいと思います。