コタツ記事と社会的責任
SNSでは、ユーザーがクリックしたくなるようなセンセーショナルなタイトルを付けてページビュー(PV)を稼ぐ人がいます。オールドメディアにおいて、取材もせず、メディア上で流通している情報を収集、再構成して書く記事がコタツ記事。コタツに入ったままでもお手軽に書ける「中身がスカスカ=凡庸で薄い内容」の記事だから、コタツ記事。
愛読している日経新聞の数日前の記事の抜粋です。
米国の民主主義に暗黒の歴史を刻んだ1月6日の連邦議会占拠事件。暴徒を扇動した罪を問うトランプ前大統領の弾劾裁判は早々と無罪評決を下し・・・2020年のウクライナ疑惑に続くトランプ氏の2度目の無罪・・・重要なのは、この裁判が米国の民主主義の将来にもたらす余波だ。・・・7400万を超す票を大統領選で獲得したトランプ氏・・・「米史上最大の魔女狩りの新たな段階」と民主党を非難する手法は不変だ。・・・トランプ氏が再び勢いづけば、米民主主義の傷口は一段と広がりかねない。・・・民主主義のルールを受け入れず暴徒を止めようとしなかったトランプ氏・・・バイデン大統領は米国の分断の修復を掲げる。だが実際には矢継ぎ早にトランプ政権の政策の転換を打ち出し、・・・トランプ氏が深めた「分断の政治」の出口は・・・
この記事、「トランプが暴動を扇動した」という先入観が前提となっており、論理を展開する前から先が読めます。「トランプ=悪」の先に見えてくるのは、「民主主義を守るために民主党が立ち上がった」⇒「トランプは無罪となった」⇒ ゆえに「民主主義の先行きは不安だ」っていう論理構成。
これは、事実に基づいた記事だったのでしょうか、それとも、コタツ記事?
◇ ◇ ◇ ◇
トランプ大統領が「平和的に」と書いたツイートはTwitter社によって即座に削除されてしまいましたが、事実は画像として残っています。
トランプ : 我々は議事堂に歩いて行きます。そして、我々は勇敢な我々の上院・下院議員たちを応援します。弱っていてはこの国を取り戻せません。強くなるべきです。我々は議会に合法的に当選された選挙人のみを認めるよう促します。我々は平和かつ愛国的に我々の声をあげるため議事堂側に行進します。
こんな風に演説していたんです。
これじゃ、「議事堂に歩いていく」と議事堂に向けた抗議デモを呼びかけたことが暴動につながったとして拳を振り上げてしまった民主党の大義名分が失われてしまいます。さあ、困った。
◇ ◇ ◇ ◇
そこで、民主党はビデオを編集します。
トランプ:我々は議事堂に歩いて行きます。議事堂を乗っ取りましょう・・・
トランプ発言になかった「議事堂を乗っ取りましょう」というフレーズを挿入して、残りの発言はカットです。民主党の後ろにハリウッドが付いていますから、抜かりありません(笑)。
オイラには、切り取り・ねつ造にしか見えません。
もちろん、民主党のねつ造に関しては、日経新聞の記者は触れていません。なぜなら、「トランプ=悪」という結論においては、邪魔な情報ですから。正義を行使する民主党が切り取り・ねつ造したんじゃ格好つきませんからねぇ(笑)。
◇ ◇ ◇ ◇
じゃ、民主党が弾劾した本当の理由はなんだったのでしょう?
目的は粛正であり、根拠めいたものは「報道によると」です。
では、マスメディアの報道イコール事実なのでしょうか? これについては、あとでわかります。
◇ ◇ ◇ ◇
「我々は平和かつ愛国的に我々の声をあげるため」というトランプの発言をカットした民主党は、トランプの別の発言を取り上げて、こう主張しました。
トランプが「地獄のように戦う」と言ったことは、反乱を扇動したことを表すものであり、許されることではないと。
ところが、カマラ・ハリス副大統領を筆頭に、多くの民主党議員が過去に「戦おう」「地獄のように戦おう」と吠えていた画像が残されています。
映像では、カマラ・ハリスの方が過激ですけど、弾劾対象とはされていません(笑)。
◇ ◇ ◇ ◇
民主党は、裁判前のメモの中で「反乱軍が国会議事堂の警察官の頭を消火器で殴打して殺害した」とのニューヨーク・タイムズの報道を引用した未確認の主張をしています。そして、ニューヨーク・タイムズ紙が誤報記事を静かに修正したのは、報道から1か月が過ぎた弾劾裁判の前日でした。多くの報道機関もニューヨーク・タイムズの誤報を広めるためにコタツ記事で加担しましたが、謝罪は一切なし。
◇ ◇ ◇ ◇
日経新聞には「2020年のウクライナ疑惑に続くトランプ氏の2度目の無罪」とも書いていましたね。
しかし、ウクライナ疑惑がマスコミのでっち上げであることはすでに判明しています。つまり「報道による」は「事実による」とイコールではないのです。日経新聞の記事がウクライナ疑惑を持ち出したのは、印象操作のためとしか思えません。むしろ、「2度の弾劾裁判は裁く根拠が欠落していた」と書く方が事実に即しているのに。
オイラ、公開処刑・魔女狩りなんかで社会を分断しても、民主主義の危機が回避できるとは思えません。むしろ、事実に基づいて正しく議論できることが不可欠です。
政治家や報道機関には、改めて社会的責任を果たすということの意味を考えてほしいものです。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?