国立劇場建替え・築地再開発の融合 (3)

伝統芸能: 保存vs. 振興
 
国立劇場の存在意義は何だろうか。何百億円もの税金を使って劇場の立替えを計画する前に、先ず考えるべきことがあるはずだ。そもそも何故、国民の税金で芝居を上演しなければいけないのか。国立劇場のHPには、目的は「伝統芸能の保存及び振興を図ること」と書いてある。その二つの目的を考えたい。

まず「伝統芸能を保存する」こと。端的に言えば歌舞伎や文楽等、日本を代表する演劇を、芸として後世に残す、なくさないように行動する、という意味だと思われる。国立劇場では、上演場所の提供と自主公演だけでなく、俳優や技芸員、囃子方の養成や研修、脚本の研究や発掘など、色々と「保存」のための活動を行っている。

それに対して「伝統芸能の振興」とは、より多くの人に歌舞伎や文楽を知ってもらい、観てもらうことだと思われる。劇場では定期的な一般上演の他に、学生向けの公演、英語などの解説付きで行う外国人向けのDiscoverジャパン公演、日英のイヤホンガイドの提供など。加えて素人による脚本募集など、特別企画もたまに行っている。

問題は劇場側が努力をしても、実際には劇場に観客が来ないことにある。特に歌舞伎の場合、コロナ前でも1,600席の客席に、数百人しか観客がいないことも珍しくなかった。国立劇場は創立以来、主に大劇場で上演する歌舞伎について、商業ベースでは成立しにくい、序幕から全幕を上演する「通し狂言」を基本としてきた。これは国立劇場ができた当時は非常に良い企画だったし、それによって忘れられた傑作が発掘され、再演されるようになったという功績もある。ただ、今やライフスタイルは大きく変わり、平日に4-5時間の芝居を観る余裕のある人は、かなり少なくなっている。外国人どころか日本人ですら、特に初心者や仕事を持っている人達にとっては、劇場に行こうと思っても、行きにくい状況なのだ。つまり内容の良し悪しではなく、現実的に劇場に足を向けることが難しいのである。

「伝統を保存する」ことが重要なのは言うまでもない。しかし、時代のニーズに即さない取組を行うことで、却って国民や、訪日外国人を近付けないのでは、保存の名の下に伝統を消し去ることにもつながりかねない。また、劇場が「国立」であるのなら、経費を支払っている国民、納税者全員が納得し、支えたいと思うような、「使える」、「使いたい」施設を作るのが本来の姿ではないだろうか。すなわち歌舞伎および伝統芸能全体を保存する方法や目的も、再考すべき時ではないだろうか。胴体に針を刺された蝶の標本のように、うわべだけを見せても、それは結局、伝統芸能を殺す行為になりかねない。

また、国立劇場の運営が停滞する根本的な問題として、国営の施設がお金を儲けることはよくないと考えられがちだ、ということがあるのではないか。何年か前に新国立劇場で上演されたある芝居の関係者によると、初日から千秋楽まで大入り満員を実現した際、劇場側は逆にパニックになり、利益の部分をなるべく経費に回すよう、必死に努力したらしい。翌年の予算に影響するという心配もあったのかも知れないが、何より公共施設は、公共という立場上、民間のようにお金儲けをしてはいけない、という発想があったに違いない。

しかし、お金は本来、物の価値を表すものである。収入が入ってくるのは、消費者(観客)が公演に、それだけのチケット代を出す価値があり、お金を出してでも観たいということを意味する。その結果としてお金が儲かるのであれば、それ自体は何ら恥ずべきことではなく、むしろ良いことだと認めることが重要ではないか。その利益で例えば芸術ファンドを作り、全国の芸術活動にサポートするために使えば、むしろ「国立」という名前に相応しい。いくらどれだけ声高に“伝統を守る”と主張しても、人が観に来なければ結局は何の意味もなく、税金を原資として認められる経費は無駄遣いになるだけだ。そうした視点で考えると、現在の国立劇場は、納税者のお金をどれだけ有効的に使っているのだろうか。この点を冷静に考える必要がある。国立劇場のマインドそのものを変えるべき時でもあるように感じられる。

まず対象とする客層は、今のように“歌舞伎通”ではなく、初心者や訪日客、インバウンド向けにすればどうだろう?文楽もそうだが、それなら上演形態として現在の4-5時間公演より、ミュージカルのような2-2.5時間の上演を基準にする方が、学生から社会人まで、一般人が行きやすくなる筈だ。演目もいわゆる「様式の美」よりストーリー性が強いもの(例:「俊寛」、「寺子屋」、「土蜘蛛」など)の方が初心者にとって分かりやく、受けやすいだろう。また、今の月替わりの公演形態に拘るのではなく、2-3カ月、あるいはそれ以上続ける方が、PRもしやすいのではないだろうか。場合によっては国立劇場の研修生にも出てもらえば彼らも出演経験を積めるし、配役を交代することで上演を長く続けることができる。特に外国人にとっては、そういった芝居を観ることで、日本の文化や歴史を知ることができ、エンターテインメントとして楽しみながら、日本の心に触れる機会にもなる。歌舞伎は特に海外では有名なので、簡単に劇場に行け、手軽に観られる感じになれば十分に魅力があるだろう。

日本の伝統芸能は国の資産である。博物館で綺麗に展示するようなやり方をやめて、一般人がわざわざ劇場まで足を延ばして観たいと思うようなものを作らなければいけないと思う。つまり“高尚なクラシック扱い”ではなく、ブロードウェイのようにお金儲けをする、くらいの気持ちで上演する方が、むしろ長期的に芸として長く続くのではないだろうか。それが本当の意味での“保存”だろう。

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