見出し画像

なぜガル屋をするのか

頭の整理程度にやっていこうかと。

震災後、女川に戻りビール屋を始めました。

店名はガル屋 ガルは小学校の2年くらいについたあだ名です。誰が呼び始めたのか覚えていません。気づいたらガルでした。

震災後、女川が無くなるんではないかと寂しく思い何ができるわけでもなくでもしないと後悔するなと、ビール屋をやるために勉強を始めました。

高円寺麦酒工房系でアルバイトから店長まで一年間、勉強させて頂きました。

女川は地元です。震災当時は東京。仕事場は新宿。住んでいたのは中央線の武蔵小金井。

酒を飲む楽しさを知りました。学生時代は友達が何も気にせず周りにいましたが、社会人になると友達は会いに行かないと会えなくなりました。会社に行っても仕事仲間。取引先の仕事相手。仕事の先輩後輩。友達に近いけど仕事を全抜きにして仲良くなる難しさ。仲はいいけど。

そんな中、武蔵小金井のビール多めのBARに通い始めました。初めはマスターとf二人で話すことが多かったけど2ヶ月くらい毎日通ったら常連の人毎日来るようになり、コミュニティが出来上がりました。飲み友です。個人店の飲み屋の良さを知りました。大手チェーンでは仲間内の団体でしか飲むことが無く知らない人と仲良くなる事は出来ませんでした。

もちろん大手チェーンも幹事が目的を持った人、知らない人を集めての飲み会はありますが地域性は出にくいかなと。

いつ誰が来るかわからないけど、常連が集まり新規も増える。学校に通う様な感覚でBARに行く様になりました。ずっと休み時間。放課後にはみんなでラーメン。

そんなみんなと大人の遠足でビールイベントに参加したり。

その行った遠足。オクトーバーフェストでビールの凄さを体験。

ビールって一瞬で知らない人と仲良くなれるんだって実感。隣の席の人と乾杯!斜め迎えのグループが絡んできて私のメガネをビールに突っ込まれメガネ酒コール。並んでやっと買ってきた一杯のビールをいっき。ウェーイでの盛り上がり。着席3分でここまでの流れ。繋がるってことを女川でできたら、女川の状況をちゃんと伝えることができるのではないか?って思うようになりました。

町外の人と町内の人のコミュニケーションの場がイメージが出来ました。

そんなタイミングで高円寺にビールを作って出してる店があると噂を聞き飲みに行ってみると本当に小さな一軒家。それもそこでビールを作っている。いくらくらいで始めたか聞いてみたら300万くらいと。なんとかなるか。と始めました。

続く。。。かな?






この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?