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理由を探して三千里

私はここのところずっと気になっていることがある。それは、理由の必要性だ。

わたしは何かをするのに理由がなくてもいいと思う。恋をするのと同じように。衝動的なこともあれば、なんとなく、な時もあっていい。
あとで意義は見つかるから、って。

だから友達と会う時も、しばらく会ってないからそろそろ会いたい、とかお土産渡したいから会いたい、と言われるとなんだか逆に面倒くさいというか、うんざりしてしまうことがあった。(本当に申し訳ないけれど。)
理由を作って縋るなんて遠回りで、臆病者で、嫌気がさす。

永遠なものはわたしがなにをしていようとここにある。愛だってそうだし、絆だってそう。だから理由なんて必要ない。ただ、会いたいの一言でいい。飲みたいとかはもはや論外。

そう思っていた。

だけどわたしは今季のドラマ“いちばんすきな花”第二話をみてわかった。時間や物に縋らないと、不安な人もいるんだなって。
ハンカチを置いていかないと、また来ることができない。
だからわざと忘れ物をする。そうやって生きている人もいるんだって。

そう思うと、自分がいかに恵まれているのかがわかった。自覚はなくても、ある程度は周りの人に心から求められていると感じて今まで生きることができたから、不安に思ったり、縋ったり、理由をつけたり、しなくても平気なのかもしれない。

世の中にはわたしが思っている以上にいろんな人がいるんだ。

人って面倒くさくてとても可愛い。



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