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書評 隠し剣秋風抄

この本は、読んでいると苦痛がない。

滑らかに、淡々と、しずしずと雪が降って積もるように話が進んでいく。

中には、初期短編集の暗殺の年輪を思わせるような、救いのない話もある。だが、多くはいわゆるビターエンドというようなもので、まだ問題はあるけれども、主人公が生き残っている。気持ちが切れて、やけっぱちになって終わるような話が少ない。それだけで前向きになっただろうと思えるのだから、暗殺の年輪は確かに重苦しい話だったのだろう。

この作品は昭和53年から55年にかけて、オール読物で連載されたものをまとめている。暗殺の年輪から5~7年後で、藤沢周平が初期の暗黒面から抜け出しているように思える。良い事に目を向けて、素直に受け取れるようになったという感じがするのである。

それを思わせる代表的な作品として『盲目剣谺返し』がある。

『盲目剣谺返し』

三村新之丞という武士がいる。学問では秀才、剣術では麒麟児と呼ばれていた眉目秀麗な若者である。品行方正。美女の妻をめとり、子供はまだないが夫婦仲は非常によく、仕事も順調に出世していた。そんな男を不幸が襲う。盲目になってしまったのだ。

新之丞の役目は毒見役。ある日、いつものように毒見をしたら、高熱を発し倒れ、10日苦しんだのち、目が見えなくなってしまった。

現代社会でも、盲目になると生活は厳しい。公務員であろうと、目が見えない人を今まで通りの仕事と給料で雇い続けるという事はあまりなかろう。保険も江戸時代にはない。絶体絶命の窮地に陥ってしまったのである。

ところが、藩から下った処置は、禄高(給料)そのままで療養に励め、というものであった。藩が新之丞と、三村家の面倒を見る。子供が生まれれば子供が三村家を継いで、再び仕事に就くこともできるようになるだろうという、非常に良い話で収まったのである。日々の生活も妻、加代の献身的な奉仕のおかげで、無事に生きていける。

だが、ある日新之丞は、漠然とした違和を感じた。漠然としているが、その感じは動かしがたかった。

いくらお役目を果たしたからと言って、全く役に立たなくなった武士を、減給することなくそのまま雇い続けという事があるだろうか。何か裏があったのではないだろうか。特に、最近の妻、加代の行動に違和がある。それが盲目になった男の引け目からくる被害妄想なのか。それとも盲人になったことで嗅覚や触覚が鋭くなった結果、今まで感じなかった事を感じているだけなのか。

老僕徳平と、友人山崎兵太の助けを得て、新之丞は真実にたどりつく。新之丞の進む道はいかなるものか・・・。

灰汁が抜けた軽みのある短編集

藤沢周平の今までの小説は、何か良い事が起こったらそれの裏返しで、必ず悪いことがある。良い事だけ起こり続けるなんてありはしないし、そう思ってもいけないと考えているような感じがしていた。ハッピーエンドを避けていたのは間違いない。

それがこの作品集では、徐々に幸せというものを、そのまま受け入れるという感じになっている。裏返して、まぜっかえして、そのうえで更にまぜっかえして、素直に良い話に落ち着かせるのを良しとしなかった、初期短編集から明らかに変わっている代表例は、この『盲目剣谺返し』と言ってよいのではないだろうか。

『盲目剣谺返し』によく似ている筋の話が、初期短編集にもある。そこでは主人公に救いの芽はほとんどなかった。命があるだけまだましで、もしかしたら生きていること自体が最も辛い結論だと考えていたのではないかと思えるような状態であった。

だが、『盲目剣谺返し』ではそうではない。後味がすっきりとしている。蕨たたきのように、灰汁が抜け良い味になっている。

この本は380ページにも及ぶような分厚い文庫本であるが、三時間ほどで読み終えることができる。一つ一つは本当に味わい深いが、それでいて淡く軽い。松尾芭蕉の『軽み』という概念に至っているような感じもする。

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