#4. 二人目どうする問題

出産という大仕事を成し遂げてから数ヶ月経つと、
「二人目は、どうしよう…」という考えが頭にちらつき始める。

理想と現実

結婚した頃は、ただ漠然と、まあ二人くらいほしいかなと思っていた。
自分が二人兄妹だからかもしれない。
夫は三人兄弟だからかもしれないが、三人ほしいと言っていた。

現実となると、そんなに簡単に二人目に気持ちが向かなかった。
出産回顧録で書いたように、一人目でものすごいしんどい新生児期を経験していたからだ。

その後、1歳半で卒乳したことで、これが育児でのかなり大きい一区切りと感じた。
おっぱいが飲まれること以外の存在意義を失ってからでも、私は育休を終えて仕事に復帰するタイミングだったし、魔の2歳児も近づいている。
おっぱいのない寝かしつけ、新しい保育園生活、トイレトレーニング・・・
今後待っているイベントは目白押しだ。

無理無理無理無理。

結婚したころの「二人くらいかな〜」という安直な考えはまず第一子陣痛の時点でかき消される。
大抵の妊産婦がそうじゃないだろうか。(いや分からんけど。)
「こんなこと、もう二度としてやるかーーー!!!」という心の叫びと共に最後のいきみをして出産した。

一人だけでも大変なのに

「もう二度と」この叫びはずっと続いた。
昼寝も夜もなかなか寝ない子だったし、1歳になるまでほとんど離乳食を食べなかった。
昼間家にいると常に不機嫌な子だったので、用がなくても毎日連れ出して子育て広場に向かった。
雨の日も、寒い日も、暑い日も。

そうこうするうち、子育て広場で仲良くなったお母さんや、保育園ママの妊娠の話をちらほら聞くようになる。
そうか今産むと2歳差だよね。人気の2歳差。
でもうちは無理。
私の精神的負担が無理。
両親、義両親とも遠いから無理。
育児と仕事と妊娠の全部なんて無理。
新生児の子育てと2歳児の子育ての両立なんて無理。

3歳差のころになっても…
夫と「〜ちゃんのお母さん、二人目妊娠だって」という話をしても
あんまり積極的に「うちはどうする」という話はしなかった。
先手を打って、私が「私は無理。まだ無理。」と言い続けていたからかもしれない。

バグった天秤

でも結局二人目やんけ・・・自分でもツッコミを入れたくなる。
出産の痛みも、子育ての辛さも、忘れたわけじゃない。
でも、「でも」である。
子は宝。
私の、私たち夫婦の生活に変化をもたらしてくれた。
彩りをもたらしてくれた存在。
たとえもう一度あの苦しみを味わうとしても、それは通過点ではないか。
3年経って、ようやくそう思えてきていたと思う。

未曾有のパンデミックがなかったら、もしかしたらもう少し事情が違っていたかもしれない。
ただの"If"の話だけれど。
自粛するだとか帰省するしないだとか、外食外出を避けるとか、
何かにつけて夫と意見が食い違っていて、私のストレスは溜まっていて、
当然子供二人目を、なんて気分にはなれない。
そういうストレスMAXの期間が1年くらい続いていたから、
峠を越して逆にどうでもよくなったタイミングでもあったのだと思う。
いろいろ、長い間、考えてきた、メリットデメリット。

[+] 4歳差になれば上の子も落ちついてなんとかなる気がする
[+] やっぱり一人っ子より兄弟ほしい気がする
[+] 4人家族くらいが大きくなったら賑やかで楽しいかも
[+] もし叶うなら娘も欲しい

[-] 経済的負担
[-] 精神的負担
[-] 私自身の人生、仕事、趣味
[-] 年齢、タイミング、身体的負担

と、考え始めたら天秤にかけるものがどんどんと出てくる。
そして、全てが「まあ、いっか」「なんとかなる」と言えるようになった。
天秤の両端にいろいろ乗せすぎた結果、バグって釣り合ってピタっと止まった感じ。

奇跡の連続の上で

大前提として、私(そして夫)が健康で妊娠を望める体だったからこそ、できた悩みだった。
それも含めて、二人目を授かることができたのは「神様の思し召し」と受け止めている。

デリケートな話題で、書くのが難しいけれど、
「不妊治療」「流産」というのは本当に私の世代ではありふれていて、身近な人からもリアルに聞こえてきた言葉だった。
妊娠を10ヶ月まで続けてこられたのはすごい確率の上で成り立っている。
いま出産直前のタイミングだから書けることだが、
無事に産まれてきてほしい。それだけだ。
(願わくば、楽に産まれてきてほしい・・・強欲。)

次回、第二子のつわりの話。
つわりも「通過点」だけれど、今回は本当に、ほんっとうに、
「二度と妊娠なんてしてやるもんか」
そう誓った妊娠生活だった。。。

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