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クイズを作る楽しさについて考えてみた

仕事で、小学生向けにクイズを作ったことがある。その時は深く意識していなかったが、ここ半月ほどクイズ動画に夢中になり、「クイズとは」ということを、とりとめもなく考えたりしている。
そして、数日前にTwitterでフォロワーさんたちとクイズを出し合ったことで、改めてクイズを「解く楽しみ」と「作る楽しみ」を強く感じたので、noteを書くことにした。

見づらくなってしまったので目次を付けます。


仕事で小学生向けのクイズを作り、出題したときのこと

趣旨としては、7割が学びのため、3割が楽しんでもらうため、という感じで、ちょうどいい難易度になるように考えた。自由度は高く、私の裁量次第で、ドリルのような堅苦しい問題にもできるし、謎解きのような問題にもできる、というもの。

私は、身体全体を使いながら知識が身に付いたら嬉しいなと思っているので、「手や足を動かすことで答えを見つける」クイズを作るのが好きだ。その方が記憶に残りやすいような気がしている。そして、子どもたちが一生懸命にああでもないこうでもないと言いながら鉛筆や身体を動かす姿を見るのが好きだ。いちばん好きなのは、「わかった!」と嬉しそうにしている表情を見ることである。解いてもらえることを前提にしているので、「よかった。解ける難易度だった・・・」と、ほっと胸を撫で下ろす。

もちろん、ヒントを出すのも楽しいし、違う答えを聞くのも楽しい。「なるほど!そういう発想になるのか!」と、目から鱗が落ちることもしばしばある。私はストレートな問題作りしかしないが、経験値を利用してわざと引っ掛け問題を作るのも楽しそうだなぁとは思う。

また普通にイベントを開催できるようになったら、今度は謎解きゲームみたいにワクワクする形で開催したいと思っている。


クイズの動画に夢中になる・・・クイズって楽しい!

前のnoteで書いた通り、ここ半月は専らクイズ動画に夢中になっている。

https://note.com/garnet12/n/n17ee9f157368

夢中になった理由として、クイズを解く彼らを見ることが好きというのはもちろんあるし、知らない知識が次々と登場するおもしろさもあるが、一番に「クイズそのものの魅力」が根底にあるように思う。それは、私はそう思うというだけで、他の視聴者がどのような部分に魅力を感じているかはそれぞれだと思う。

基本的に、どのクイズも「よく考えられているなぁ」と思うのだが、時折ずば抜けて「この動画の問題は、解答も含めてきわめて美しい・・・すごい・・・!」と、感心しきってしまうこともある。クイズは誰でも作れるけれど、人々を魅了する「美しいクイズ」みたいなものは、相当に練度を高めて初めて作れるのではないだろうか。

問題を作るという行為について深掘りすると、きっと地球の反対側に突き抜けてしまうほど深いのではないかと感じている。なんなら反対側の大気圏から外に出てしまうほどではないか。

単純な経験値や熟練度の違いに加え、個性が出るのも興味深い。問題の分野、何を問う問題にするか、文章や表現の仕方など、随所に問題作成者の思考が反映され、見ているだけでも楽しめる。


曲名を当てるクイズを作成した

そんなことを考えていた矢先、Twitterでフォロワーさんがクイズ企画のようなものを考案した。あるアーティストの楽曲の感想や印象を語り、曲名を当ててもらうというものだ。誰でも気軽に参加できるということで、ちょうど高まっていた「問題作成欲」をどうにかするチャンスだと思い、参加してみることにした。参加と言ってもなんてことはない、ただハッシュタグを使用してツイートするだけである。世界中にいる見知らぬ人と、それだけでクイズを出し合うことができるなんて、夢のような話だと思いませんか?・・・すみません。あまりに感動してしまい、インターネットが初めての人みたいなことを言ってしまった。

さて、ここからがいちばん書きたかったことです。
ここに辿り着くまでの前置きが長い。

具体的に言うと、あるアーティストとは「GARNET CROW」です。GARNET CROWのことをまったく知らなくても読めますが、簡単に説明させてください。
GARNET CROWとは、「名探偵コナン」の主題歌などで知られる4人組のバンドである。2013年に、ファンに惜しまれながら解散した。最も売り上げ枚数が多かった楽曲は、コナンのエンディングテーマとなった『夢みたあとで』。そして私は2000年から聴き始め、2005年のベストアルバムで本格的にファンになって以来、ずっと好きでいる。GARNET CROWへの愛を語り始めると5万字を優に超えてしまいそうなので、それは改めてnoteを書きます。


クイズを作ってみて思ったこと

出題の傾向がいくつかのパターンに分けられると感じた。

まず、具体的で客観的な情報を提示すると、想定解が即座に導かれることが多い。
例えば、「カップリング曲である」、「初期の曲である」など。これらは容易に絞り込むことができ、他のヒントと合わさることで、初手で正解が出ているものもあった。「考えれば誰でも確実に解に辿り着ける」ため、回答するハードルも低いように思う。

次に、音楽的な要素を出題したもの。「ギターの音がかっこいい」とか、「転調するところでグッと胸を掴まれた」などである。

これはわかる人にはわかるのだろうが、私にはかなり難しかった。障害があるからか、音を立体的に捉えるということが難しい。音のまとまりとして認識することはできるが、何の楽器がどの音を奏でているのかさっぱり聞き分けられない。

たとえば、カレーを食べた時に、「このカレーはおいしいね」という感想しか出てこないようなイメージだ。「じゃがいもの味はこう、にんじんの味はこう」みたいなことは言えない。というよりは、じゃがいもやにんじんが入っていることすら認識できないようなイメージ、と言った方が適切かもしれない。カレーというひとつの「存在」でしか感じられない、それを音楽でやるとこうなる。

楽器をひとつずつ鳴らしてもらえればわかるが、重なり合う旋律のどれがどうなってその音になっているのか、まったくわからない。そう言えば、とあるクラシック音楽の楽器ごとの音源を聴いて心を打たれたことがある。楽器ごとの音を聴いたあとに、「ほんとだ!あの音が鳴ってる!!」と興奮することもあれば、「いや、他の音に紛れてしまってわからないな?」と首を傾げることもある。
試しに、「感音性難聴」で検索をかけたところ、「複数の音を一度に聞いた時に特定の音を聞き分けたりすることが難しい」と出てきたので、これは私のせいではないようだ。よかった。そういうわけで、音に関する語彙がとても乏しい。

ただ、私は味覚に関する語彙も乏しく、味をうまく表現できない。「よくわからないけど、なんかおいしいね」とか、そういうことを真顔で言ってしまう。そう考えると、多少は私自身の「五感で得た情報を的確に言語化する能力」が低いことも影響しているように思う。すべてを障害のせいと丸投げするのは好きではない。
余談だが、ピアノを習っていたので、転調や拍子は理解できる。

とはいえ、実際にクイズを作るとなると、「ゆりっぺの抜けるような高音にうっとりする」とか、「メロディーがずっと地を這うように低く響く」とか、「大きな盛り上がりがない」とか、どうにも感覚寄りの表現になってしまう。(ゆりっぺは、GARNET CROWの全楽曲のボーカルを担当している美女です。)これは、特に意識していたわけではない。おそらく、はっきりしたことを書くと、違っていた場合に「永久に当てられない」事態に陥ることを無意識に避けていたのかなと思う。答えのない問いであってはいけない。

そして、歌詞の世界観や状況を表現した出題もあった。
ルール上、直接引用してはならないが、そうせずとも意外と語れる。たとえば、「夏の曲」であれば、単純に夏を歌った曲のどれかということになる。だが、「冬が似合う」という表現の場合は、曲名または歌詞に明確に冬を表す言葉が登場しないことも考えられる。そうなると、他の季節の曲であることが明白な曲を除いたすべてが選択肢となる。というか、原則としてよき出題者であることを疑いたくないので、そこは確実に絞れると嬉しい。「『夕立の庭』は冬に似合います!」とか言われても困る。感じ方は人それぞれなので感想は尊重するが、クイズでやるべきではない。・・・と言いつつも、個人的にはいじわるクイズの類も好きなので、解いてみたい気もする。「春に聴きたい曲」で『この冬の白さに』とか『夏の終わりの長い雨』とかでもぜんぜんいい。でも、それは私への出題だけに留めておいてほしい。・・・かっこいいことを言っている風だが、共感力のようなものは決して高くない自覚があるので、当てる自信はない。

あとは、歌詞の人物が置かれている状況を説明した出題や、心情を描写した出題。
私はそういうことを考えることが好きなので、他者の出題を読むととても楽しい。多様な解釈ができ、改めて歌詞の奥行きを実感して「七様・・・!」と崇め奉りたい気持ちが加速してしまう。(七様は、GARNET CROWの全楽曲の作詞を担当している美女です。)
歌詞の解釈は、聴く人の数だけ存在していいと考えている。作詞者が意図したものはあれど、ぜんぜん違うように受け取ったって別にいいと思う。自分の経験値によっても変わるもので、過去の自分と解釈違いを起こすなんてことも、往々にして、ある。
それが楽しいし、おもしろいところだと重々承知した上で、私は出題しなかった。そういうことを出題できるほど、自分の解釈に自信がない。特に『Mysterious Eyes』は初めて聴いてから22年経つが、「どんな状態を表している曲ですか?」と問われたら、ちょっと悩んでしまう。・・・待って。22年経つの?

初めて聴いてから現在に至るまで22年間のなんやかんやに思いを馳せて魂が飛び立ちかけましたが、なんとか戻ってきました。

では、私はどんな出題をしたか。

こうである。

1問目
・思いっきり弾けるような部分がなく、薄暗闇のなかで哀切な願いを胸に抱きながら、ずっと地を這っているイメージ。色で言うと黒色か濃灰色。迫って来るようなイントロも印象的でゾクゾクする。

これは、これだけで正解が出ました。ありがとうございました。

2問目
・キラキラと透き通って流れるようなメロディーが心地よく感じる。
・静かな夜に、体をそっと揺らしたりしながらゆったり聴きたい。
・抜けるような高音が美しくて耳に残る。
・物に例えると、青色や水色の宝石を模した琥珀糖っぽい感じ。
・屋外よりも屋内のイメージ。
・光属性か闇属性かの二択なら、ぎりぎり光属性っぽい。たぶん。
・いくつかの特定の言葉を言うと、絶対にこの曲を指すと断定することができる。

3問目
・無機質という言葉が似合う。
・色で言うと、灰色と、もう一色添えられるイメージ。
・大盛り上がりする感じではない。
・イントロとアウトロの規則的な感じが好き。
・高音がなく歌いやすい。
・漢字で言うと、「諦」という感じ。
・駅で言うと、「渋谷駅」という感じ。
・駅前で若者が歌ってそうな雰囲気がある。

どのヒントもだいぶ主観が強い。どの楽曲も、自分の中で割と明確に「色」のイメージがあるので、それを書いている。ちなみに、3問とも括弧書きで(すべて個人の感想です。)と書いておいた。ツイートなんてぜんぶ個人の感想だろうに。予防線は何重に張ったっていい。インターネットとはそういうところです。

曲の情報を的確に書けば、想定解に誘導することは容易なのだけど、それをしたくない気持ちがある。「このふわっとしたものが、もしかしたら誰かにも通じるかもしれない」と、瓶詰めの手紙を送り出すような気持ちでクイズを作っている。小学生向けのクイズでは当然そんなことはしない。
なお、瓶詰めの手紙いわゆるボトルメールは、不法投棄に該当するおそれがある上に環境汚染に繋がるのでやめた方がいい。この世界には、夢もロマンもない。

タグが付いたツイートのすべてを拝見したわけではないので、おそらくもっと出題のパターンはあると思う。気が向いたら想定解を書くので、その時にまた考察したいと思う。


クイズに答えてもらって思ったことと、解いてみて思ったこと

答えてもらえると、それだけで飛び上がりたくなるほど嬉しかった。基本的に人との繋がりに飢えているので、他者の口から発せられる言葉が耳に届くだけで幸せを感じてしまう。最近はそんな感じで生きています。改めて文字にするとしんどい。正確に言うと、この場合、言葉は他者の指から画面を経由して自分の目に届くわけだが、なんかそれだと風情がないので言い換えた。
せっかくなので、もう少し細かく書き記しておく。

当ててもらえると、ほんとうにすごく嬉しかった。抽象的なことを言っているので、たぶん難易度が高いと思う。それなのに当ててくれてありがとう、という気持ちになった。

外れた場合でも、「その曲も確かに当てはまるし、なんなら想定解より当てはまる」とびっくりすることもある。正式な場で実施するクイズではないので、別解の有無の確認とか裏取りとかまでしていない。しかも、明確な情報を提示しておらず、あくまでも個人の感性の範囲での出題なので、別解なんて山ほどあるし、なんなら人の数ほど別解がある。嘘です。たぶん人の数ほどはない。

解いてみて思ったことだが、単純にとても楽しかった。大好きなアーティストの楽曲クイズである。そんな夢みたいなもの、楽しいに決まっている。

初手で当てたこともあれば、誤答のあとに正解したこともある。どちらもとても気分が良く、脳からなにかそういう時に分泌される物質が出ていたと思う。自分の読みが、出題者の用意した隙間にパズルのようにカチッと嵌る感じ。
当たる瞬間だけが楽しいわけではない。あの曲かなと考えて、楽曲に触れる時間が心地よかった。タグをきっかけに久しぶりに聴いた曲もあり、当たっても外れても楽しかった。

あと、これは私だけではないと思うのだが、リプライで答えてもらった曲はぜんぶ聴きたくなってしまった。単純である。


最後に

今回、クイズを作ることと向き合ってnoteを書いてみた。クイズを作ることも解くことも楽しい、ということを実感できた。

もっと気軽にクイズを作って、もっと気軽に回答する世界になってもいいと思う。それにより衝突や軋轢が生じるかもしれないが、そこはクイズの神様になんとかしてもらおう。(無茶を言ってクイズの神様を困らせてはいけない。)

そう言えば、子どもの時にクイズの本を買ってもらって、ボロボロになるまで何度も読んでいた日々を思い出す。なにもなければ思い出せないのに、こういうきっかけがあると、思い出の引き出しがスッと開いたりする。

ちなみに、出題したアカウントは非公開となっており、検索してもヒットしません。
答えてみたいと思ってくださる方は、出題したアカウントのフォロワーさんであればそちらに、そうでなければこのnoteをツイートするアカウントにリプライをいただけたら嬉しいです。

最後まで読んでくださり、ありがとうございました。