大好きなフォロワーさんが、天国にいってしまった

昨夜、Twitterのフォロワーさんのツイートを見て愕然とした。
家族を名乗る方が、そのフォロワーさんが亡くなったのだと、ツイートしていた。
前触れのない突然の「死」の報告に、私の頭はフリーズした。

少し前までツイートしていたし、先月はリプライのやり取りもした。彼女と「死」がどうしても結びつかない。

彼女とは、オンラインゲームで知り合って、そのうちTwitterでも仲良くさせていただくようになって、だいたい3年くらいだと記憶している。彼女のほんとうの名前も、顔も、声も、年齢も、住んでいるところもわからないけれど、一緒にゲームをしたり、他愛のない話をしたり、そういう友人のような関係だった、と、私は思っている。

まだぜんぜん、そういう年齢ではないし、「その時」はもっとずっと先だと思っていた。私は訃報を読んで、その言葉の意味するところを必死に理解しようとした。理解できるはずなのに、まるで理解ができなかった。ちなみに、冗談でそういうことを言う人ではない。ツイートを何度も読み返すうちに、ご家族と名乗る方の文章から感じられる誠実さと、悲痛な文面から、「ああ、事実なんだ・・・」と、少しずつ、少しずつ、受け止められるようになっていった。かろうじて受け止められはするけれど、ぜんぜん理解は追い付いていなかった。

頭の中が、「受け入れたくない」、「信じたくない」という気持ちでいっぱいになる。すがるような思いで直近のツイートを遡る。 まったく実感が沸かない。でも、と、回らない頭で考える。仮に、乗っ取りやいたずらで人の死を装う理由って、なんだろうか。まったく見当たらない。やはり、「死」は事実なんだろうか・・・。だんだんと理解しつつある頭で、自分とのやり取りを読み返していると、急に「死」が現実のものとして感じられ、すとんと胸に落ちてきた。そして、「ああ、もう、こういうどうでもいい会話もできないんだな・・・」と思い、涙が溢れてきた。

インターネット上で親しくさせていただいている方の訃報に触れるのは初めてのことだった。彼女の輪郭はこんなにもぼんやりしているのに、交わした言葉の数々から感じていた彼女の内面の一部分ははっきりとわかる。それが私たちに「意図して見せようとした一面」だったとしても構わない。画面越しに文字でしかやり取りをしたことがないのでとても不思議な感覚だが、「仲良くしてくださっていた方が亡くなった」というその事実は、想像をはるかに超えるほど、私をひどく動揺させた。インターネット上の関係でも、そうでなくても、関係ないのだと知った。私は、彼女がとても好きだった。

途中だけれど、ここで少しだけ昔話をさせてほしい。
私は「知っている誰かの死」に直面した経験が、他の人と比べておそらくとても少ない。数年前に大好きな祖母が亡くなった時に、とてもとても苦しくて、とてもとても悲しくなった。触れた時、「ああ、もう動かないんだ」、と直感で「理解」した瞬間、壊れるほどに泣いた。身体じゅうの水分がなくなってしまうんじゃないかというほど、しばらくずっと泣いていた。毎日、思い出しては泣く日々を送っていた。この年齢まで身近な人の死に触れずに生きてこれたことは幸せなはずなのに、その分を押し返すかのように重く胸にのしかかり、身動きが取れないほど私を絶望のどん底へと突き落とした。私は大好きな人の死を乗り越えたり受け入れたりする術をまったく知らなかった。どうしたらいいのかわからないまま、ぐちゃぐちゃな心で何度も思った。「あんなに優しいおばあちゃんが亡くなったのに、どうしてなんでもない私が生きているんだろう」と。「私の寿命をぜんぶあげたかった」と思った。なんなら、今でも思っている。

何度経験しても慣れるものではないだろうけれど。

震える手で、彼女との最後の会話を振り返ってみる。それは、先月末、私がツイートした仕事の悩みに、彼女がリプライしてくれて始まった会話だった。私に寄り添って、どうしたらいいか助言をくれた。彼女はとても優しかったのだ。私はやるせない気持ちになった。そんなのどうでもいいから、私の悩みなんてどうだっていいから、もっと彼女の、彼女の言葉に端を発する話題が良かった。そう思ったところでもうどうにもならない。人の死は、いつだって唐突なのだと思う。私は、心の隅のほうをツンツンと突かれているような、チクチクした痛みに襲われた。

それ以前の彼女とのやり取りを振り返ってみた。
アニメやキャラクターの趣味が似ていて、好きなものが被ることも何度かあった。彼女が、「きっとこの作品も好きだと思うよ!」とおすすめしてくれたいくつかの作品たち。私は、忙しさを理由に観れていないままだ。もっと早く観て、彼女がその作品たちのどこに魅力を感じて、どういうところが特に好きなのか、好きなキャラはいるのか、そういう話をすればよかった。彼女の言葉で推し語りを聞きたかった。もう、彼女の思いを聴くことは永遠に叶わないのだ。・・・この文章を打ちながら、また涙が溢れてきた。好きなものを語る彼女のツイートはテンションが高くて、会話していて楽しかったし、彼女もそう思ってくれていたらいいなと、強く願う。

他にも、お互いの仕事の愚痴とか、日常のちょっとした出来事とか、調味料の話とか。ゲーム内でした会話も含めたら、くだらないこともいろいろと話した。たくさん笑った。そのどれもが、キラキラした時間だった。

もっとたくさん、一緒に遊べると思ってた。
もっとたくさん、いろんな話ができると思ってた。

こんなに唐突に、こんな形で。
やっぱりまだ、ぜんぜん信じられないし、ぜんぜん受け入れられない。

私は、フォロワーさんが「そういうこと」になっても、知る手立てはないと思っていた。アカウントは無言のままずっと放置されるか、いつの間にか消えているかのどちらかで、その事情は永遠に知る由がないのだと思っていた。でも、こうして、私たちとは比べ物にならないくらいずっとずっとつらくてしんどいはずのご家族の方が、「Twitterで仲良くしていただいていたみなさんにお話ししたい」と、ツイートしてくれた。

教えてくれたおかげで、私はこうして彼女との思い出を振り返り、心に刻むことができる。そして、ご冥福を祈ることができる。とても悲しくてつらいけれど、彼女が送ってくれた優しくてあたたかい言葉に救われながら、きっとまた、生きていくことができる。

いろいろと、大変な思いもしているようだった。どうか安らかに眠れますように。
彼女の信仰するものがわからないので迂闊なことは言えないけれど、死後の世界なるものが存在するのだとしたら、あたたかいところであってほしい。もうなにかに苦しんだりしなくていいように。

なにぶん昨日のことなので頭の整理が追い付かず、まるっきりまとまりのない文章になってしまった。でも、書かなければ、とても抱えきれなくて、うまく呼吸ができなくなりそうで、思いの丈を書き綴るに至った。公開する必要性は感じなかったけれど、noteを純粋な日記としても使いたいと思っていたし、昨夜から彼女のことで頭がいっぱいなので、投稿した。

大好きです。いつまでも忘れないよ。
ご冥福をお祈りします。