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常識とは、人間性とは

 インターネット黎明期から2021年現在まで、ネットの発達によって多くの人々は知識の共有化が進み、情報の先鋭化とデフォルトを繰り返しながら現在まで生きてきた。


 民衆にインターネットが普及したあの頃からワールド・ワイド・ウェブは、今でもアメリカの西部開拓時代のような発展と閉鎖を繰り返している。
ワイルド・ワイド・ウエストと呼ばれた当時のフロンティア精神に近いものがあるな、と上手いことを思った

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 さて、そんなネットが(ほぼ)当たり前の世界になった今、クソッタレの世の中を生きている人々は昔とくらべてどう変わってきたか。


結論から言わせてもらうと
なにひとつ変わっちゃいないのである


路上喫煙禁止と書かれた看板の横でタバコを吸うくたびれたおっさん
店員に無礼・不躾な態度をとり続けるごめんなさいが言えないおばさん
「みんなやってるから」と自分を騙し続けるオネーチャン
情報と現実の違いを頭ではわかっているオニーチャン


ネットが普及する前と普及した後でいったい何が変わったというのだろう?? おっと、シティーファッカーみたいな例ばかり挙げてしまったので反対属性のヒトの変わっていない部分も挙げよう。


我が子のために親として教育とはなんたるかを勉強するお母さん
とっくに善意など忘れてしまった、道路を毎日掃除するおじいさん
誰かが社会の歯車として生きることの必要性を理解した就活生
人類が残してきた知識知恵を無駄にすまいとするキレ者の集大成


な? 全然変わらんな人間。まったくおまえらってやつは。(褒・謗)
ヒトがヒトである以上、きっと基本的には我々の奥底は変わらずこんなカンジなんだろう、きっと。
 とは言えド冷静に考えればそりゃまあそうだろうな。人類史でみれば急速発展したのなんてここ100年程度のお話ですしね。100年前程度ならまだ生きてる人もいるだろうし。
急にヒトは変われない。ましてや人類単位でなんて___



さて本題に入ろうか、前置きがロングロングになってしまった。
つい先日、憤るほどに思うことがあったのだ。改めて常識とは、人間性とはなんたるかを考える機会があったのだ。ああ、これはきっと今後も人類が根本的に変わっていかないと解決しない事柄なんだろうなと。それが以下





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 コンビニ入ったらね。消えてましたね。許せねえ。


とあるアニメや映画などで
「科学の発展によって人々の思想や常識は人類全体で平均化が起きる」
なんてことをいう作品がある。高名な学者から取った言葉なのかもしれないが出典を見つけられない。 
......まだまだ技術は発展途上、これから先きっとそうなっていくのだろうなと私自身もそう思っている。

思ってはいる。


半信半疑になることもあるけど基本的には人類全体の人間性が上がるように祈っていますからね。
お願いしますよほんとまじでずぶぬれで帰ったんですよ。
二度とやるな。



一番上の「常識ねえのかよ」と言っている画像は
フロムソフトウェアのゲーム「ダークソウル2」にでてくる渡し屋ギリガンという人物。ちょっとでも無礼な態度をとると「常識ねえのかよ」と常識という言葉をやたら出す人物。悪い人間ではない。

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