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いなくなった人

昨日父が亡くなった、と連絡があった。最近あったのは去年の8月だったと思う。父は自分のことがわかっていない、周りのこともわかっていない、ただひたすら考えもなく動く人だった。随分振り回された。

幼少の頃、母は35歳でガンで亡くなった。優しい人だったと周りはいうが覚えていない。外でも家でも働き者で一緒にお風呂に入ったとき、眼が窪んで疲れていたのを覚えている。どうしてそんなになるまで働いたのか、誰も止めなかったのか、大人になってずっと引っかかっていた。

父は農業をしていたが40歳頃に足を怪我してセールスマンに転向した。7時半に家をでて23時半頃に帰ってくる生活になった。私の近くには兄弟と祖母と祖父と曾祖母がいたが、母が亡くなってからはたびたび学校を休むようになっていた。喪失感で気落ちしていたのだと思う。

小6の頃、布団をあげないで朝食に向かったとき、曾祖母から「布団をあげなさい」と言われ、疲れ気味に「後であげる」と口答えしたら、父が「歯向かうのか」というので、思わず返事をしたら、血相を変え握りこぶしで思いっきり殴ってきた。顔を3、4発くらい殴られたところで曾祖母が間に入ってたが怒りが収まることもなく、そのあとも3,4発は殴られた。8畳間を2部屋使って殴られっぱなしで、仲裁に入った曾祖母も一緒になって飛ばされて、そのときに膝を痛めたがその怪我は死ぬまで治らなかった。父は曾祖母が膝を痛めたことを知らなかった。私も頭を床に強打していた。
ぼこぼこの腫れた顔をして、みっともなくて学校を休むといったらまた怒られてしぶしぶ学校に行ったが、よく覚えていない。

その後、中学で盲腸、高校で副鼻腔炎を患った。就職は公務員に合格していたが希望の職種じゃなったので専門学校に行くつもりだったが、父や学校の校長に囲まれ、強引に公務員に決めるよう就職先に電話をかけさせられた。

その後、就職して、めまい、眼振、尿道結石、糖尿病、十二指腸潰瘍、腎盂炎、うつ病、メニエール、いろんな病気をした。

就職先でも政治家を使って人事に介入し、実家の近くに勤務させようといろいろ画策した。制度的に無理だといってるのに理解する力が無く、結局、私の苦労が増えるばっかりだった。

父は私が保育園の頃にリンパ線種で大病を患わって曾祖母に連れられて毎日病院に通っていたことを知らなかったし、母が亡くなって気落ちしていたことも知らなかった。学校の就職懇談会も忘れるし、いい思い出がほとんどない。そういえば高校も父が決めたんだった。

私の人生は、父に乗っ取られた人生だった。そういうのを情緒的ネグレストと呼ぶことを昨日知った。今思うと無視しとけばよかったと思うけど、私は母と同じ性格だったのではないだろうか。人間関係のスキルを教えてくれる人が、形成期にいなかったのでやり方がわからないようだ。

突然死らしいが、予想してた、最近静かだったからなんかあるんだろうと。連絡を受けた途端、めまいがはじまった。うつ病はHPA軸の機能異常だから、なりゆきにまかせるしかない。そして葬儀にはでないと決めた、というかうつでは出れない。行って調子がもっと悪くなるだろうし、誰も責任を取ってはくれない、遠く離れた田舎のステレオタイプな人たちからなじられるのも耐えられない。

よくACは毒親にはっきり自分の気持ちを伝えた方がいいといわれる、しかしそれは相手から理解されることが前提になっていると思う。無理だよ、生き方というか、固定観念で楽に生きている人は思考を停止させているから、損得以外の相手の気持ちや言葉を理解できない。

昨日まで、父が死んだら殴ってやろうと思ってたが、死んでから、急に許せるようになるのはなんでだろう。トラウマがひとつ解放されたのかも知れない。顔を見てやりたかったけど、仕方がない。

代わりに家族が行ってくれた。感謝。ジブリパークのチケットが無駄になった…娘、ごめん、また今度。


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