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不妊症と不育症のダブルパンチ

先日受けた不育症の検査結果を聞きに行った。

結果的に、私は不妊症と不育症を併せ持つ人間であることが判明してしまった。

プロテインS欠乏。赤ちゃんと母体をつなぐ胎盤の血管に血栓ができてしまい、血液を介した酸素や栄養の供給ができなくなり、赤ちゃんが亡くなってしまうらしい。(とはいえ軽度なので要因は断定できないそうだが)

だから、心拍確認後にも関わらず2回も流産しちゃったのかなあ。自分のせいだったかもしれないと思うと、涙がでるほど落ち込む。

流産した子を毎年思い出すために買ったジャスミン

ただ、血栓をできにくくする薬を毎日飲めば、妊娠継続は可能らしい。早速処方してもらった。

しかし、これを毎日安定期まで飲むとな…Twitterでいろいろ調べると「飲み終わるとき不安になる」とあって、確かに、血栓ができてまた赤ちゃんに影響がでたら恐ろしい。不妊症×不育症×持病でハイリスク出産ましっぐらだし。

でも、もう私の妊娠出産は前途多難なのだから、仕方ない。

おかげで、どれだけ妊娠出産が奇跡的なことなのか、痛いほど実感できた。これは貴重だ。

そうなると私はこの貴重な実感を発信しなければという使命感にかられる。

でも、不妊治療や流産の話は人にしにくい。大事な生命誕生の話なのに、これだけ周りに経験者も多いのに、全然表に出てこない。noteには書けるけど、いざ人の顔を目の前にしたとき、「不妊治療してる」という言葉が出てこない。(仲良い友人は除く)

おそらくそれは、言ったあと相手の反応に困らせてしまうからだ。

不妊治療や流産を正しく知る人は多くない。それに最終的に子どもができない可能性もある。どんなテンションでなんと言葉を返せばいいのか分からないはずだ。子持ちの人には特に気を遣わせてしまうかもしれない。

そうすると「あの人と会話するときは子どもの話ができない」とか「言葉を選ばなきゃいけないから億劫」とか関係性に支障がでそうで、話せない。

思い切って話して関係が深まった例はある。ただ、それは決まってその人がたまたま過去に不妊治療や流産を経験していたケースのみである。

たいていは当たり障りない返事をされて終わってしまう。私は、本当はこのテーマについて話したくてたまらない。だから、noteで書いている。不妊治療はもはや私の生活の中心なのに、公に話せない。なんか変じゃないか。私の核をなす体験で日常なのに、公に話せないって。

子持ちの人は子育てが日常だから子どもの話を頻繁にする。でも私は日常の話ができない。

もやもやを抱えながら生きていくとはこういうことか。長いあいだ戦い続けて疲れちまったよと思いながら、最新の医療に感謝する。

未来の赤ちゃんよ。未来のお母さん、がんばるからね。


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