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私と不妊治療と流産と

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自分の4年間にわたる不妊治療・2度の流産・不育症にまつわるエッセイのようなもの
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#ガーデニング

不妊治療で病んだら植物を育てよう

この行き場を無くしたあふれる母性をどうすればいいのか?不妊治療中、メンタルを病む人は少なくない。3年間ずっと不妊治療中の私もそのひとりだ。 がんばっても一向に終わりが見えない。私がはまっている不妊治療という沼を、周りはあっけなく通り過ぎていく。それがたまらなく虚しい。 そんなとき救いを求めてペット飼う人は多い。無論、幼少期から猫を飼っていた私は大賛成であるが、植物を育てることも同じくらい有力な候補に挙がってもいいと思う。 私は不妊治療でどうしようもなく病んでいた頃に、ほ

顔も見たくない

この夏、植物を育てていて初めて「植物を見るのすら嫌だ」というネガティブな気持ちを抱いてしまった。あんなに植物たちを眺めるのが好きだったのに。暑いのにベランダに出て大量の植物たちに毎日2回は水やりをしなければならないのが堪えた。 ふと、これは子育てでよく聞くアレと似ているのではないか、と思った。母親になった人たちは「どんなに子どもが愛おしくても、(子育てがしんどくて)ときには顔も見たくないときがある」と口を揃えて言う。不妊治療を経て待望の子どもを迎えた会社の先輩も「憎たらしい

その繁殖力、分けてくれ

不妊治療をしながらガーデニングしていると、「その繁殖力、分けてくれよ!」と羨ましく思う場面にたくさん遭遇する。 最たる例が多肉植物だ。 親株・子株と呼んでいるが、簡単に言うと、彼らは自分の体に子どもを産みつける。 もちろん水やりなど毎日お世話をして、親が立派に成長した上で子どもが誕生するのだが、にしても、ものすごい繁殖力。 しかも、子どもは1人や2人ではない。こちらの子宝草は文字どおり子宝に恵まれ、1つの親の葉から何十人も小さな子どもが生まれる。大家族だ。 なんて羨

ただいま

GWの旅行から帰ると真っ先にベランダに向かう。 ほんの数日しか家をあけていないのに、たまらなく植物たちが恋しくなる。 姿を見てホッとする。なんなら抱きしめたくなる。 旅先で「あの子は大きくなっているかな」「水は切れてないかしら」と思い出していたけれど、案の定、帰宅すると成長が目に見えて分かる。 つぼみが色付いているときもあれば、花が咲いているときもある。 中には水切れして草がクタッと萎びれているものも。慌てて水をやり、なんとか一命を取り留める。今のところ旅行が原因で

365日でたった12回

1年は365日ある。 そのうち妊娠できるチャンスは最大でもたった12回しかない。どんなにあがいても12回だけだ。 しかも、その12回は自分で日程をコントロールできない。ホルモン周期によって体が勝手に決めてしまう。 そのうえ、1回ずつ確実に卵子も精子も老化していく。妊娠率は下がり、流産率は上がる。やがて卵子の数が底を尽きれば、妊娠できる可能性がゼロになったことを意味する。 この事実があまりにも重い。 高校球児が一球入魂するように、私は1回1回のチャンスに人生をかけてい

流産の供養に毎年咲く花を植えた

流産の供養は多岐にわたる。家に仏壇のようなスペースを設けたり、エコー写真を飾ったり、お寺に行ったり。喪失との向き合い方は人それぞれだ。 先日 人生2回目の稽留流産をした私は、供養として花苗を買った。白い花を咲かせるハゴロモジャスミン。ベランダで毎年 春に花が咲く度に、この子を思い出せるように。 厳密に言うと、ハゴロモジャスミンは花苗というより「半常緑低木」で、いわゆる「木」であるが、とにかく一年草以外であれば何でもいい。亡くなった子を思い出す季節に毎年開花してくれる多年草

自己紹介

私にとってガーデニングとは命を育てることであり、癒しであり、自然との接点でもあり、そして、芸術活動である。 育つ過程を撮るのが好き花が満開のもりもり写真もかわいいけれど、新芽がでた!とか、気づいたら枝がめっちゃ伸びてる!とか、育つ過程に喜びを感じるタイプ。 つぼみ偏愛つぼみには最高の「ワクワク」が詰まっている。明日はこのつぼみが開くかな?どんな花が咲くのかな?(つぼみ図鑑シリーズ動画更新中) このnoteで書くこと・日々のガーデニングにまつわるあれこれ ・不妊治療、流