ADHDっぽい私が心理学を仕事にするまでの話16 ~臨床心理士への道~
前回までの記事はこちら
転職は大成功!
転職先の病院はアットホームと前回記事で書きましたが,本当に水が合いました!
前の勤務先とほぼ同程度の規模の病院でしたが、やはりデイケア担当で仕事については一通り知っていましたし、人間関係も良好でしたので、仕事に行くのが楽しかったです。
前の職場はどこかぎすぎすしていて,閉塞的な雰囲気でしたが,こちらは緩いというと語弊がありますが,寛容でオープンな感じでした。
前の病院での当たりが強すぎたためそう思っただけかもしれませんが,比較すると、前の職場での私への当たりの強さは実はパワハラだったのではとさえ思います。
ただ…。以下はあくまで私の純粋な個人的体験として書きます。一般化しないでくださいね。
この,パワハラと思えるような体験,そのような環境で1年半過ごしたこと自体は,その後に「トラウマ」的な影響を残しました。それは間違いないと思っています。
ただ,それがあることによって,私の性分であった「ADHDっぽさ」が,薄まったような気もしています。
「衝動的な行動,その前に。」という,行動の前にワンクッション置く,という習慣や,行動を先送りしないことによる利益,他者と協働・連携するという行動スタイルというような,社会人としてもっておくとメリットとなる側面の学習にはつながった体験でもありました。
これは,唯一,その病院勤務として得たものでもあります。
とはいえ,前述のようにもう限界点に達した時点でそこから本当にダメになる前に「逃げた」自分をほめてあげたいです。
さて,本題に戻ります。
また、病院とは別の学びの場もでき、その後長きにわたって教えを請うことになる恩師との出会い、そして、得た技術を積極的に実践できる自由な環境のなかで、
のびのびと、それまでの呪縛から解き放たれたかのように、イキイキと毎日を過ごすことが出来ました。
この体験により、臨床家として一生を捧げてもいい、臨床こそ自分が生涯の目的とすべきミッション、として感じ取ることが出来たのです。
給料は少し下がりましたが、それを補って余りある充実度。私的には大成功の転職でした。
気持ちが沈む中で,私は臨床家に向いていないのではないか、とも思っていましたので,これも「場」の力というものか、この一連の経験が、私を臨床家(の卵)に育ててくれたのだと思っています。
ちなみに,前の病院でも患者さんとの関係は悪くなかったと思っています。
意外と、患者さんからは治療者というより、人として慕われていたようで,それがなんとか切り抜けてこれた一因かもしれません。
お助けしているつもりが、実は私の方が、助けられ育てられていたのですね・・・。
とてもありがたいことです。
臨床心理士取得へ向けてGo!
さて、はからずも心理士への道を歩むことになりましたが、心理学を学び始めたころは漠然と思っていたものの、大学では研究職を目指していたため、臨床とは縁がなく、就職した病院で初めて手習いから臨床を始めた私。
次の流れとしては、「臨床心理士資格」が始まっていましたので、必然的にそれを取得するということになります。
ただ、基本的には試験というものが好きではないので、(皆さんそうですよね^^;?)気は進まなかったのですが、受験しないという選択肢はないですよね。
ところで、現在は臨床心理士資格を取得するには「臨床心理士指定大学院」の認定を受けている大学院を修了する必要があります。
そこでは、充実したカリキュラムで学ぶことができ、複数の施設や病院での実習も義務づけられています。なので、終了時点で結構な臨床経験を積むことができるのですが…、
私の頃はその制度はなかったので、たとえ基礎ばかりでも心理学系の修士号を取得していれば、臨床経験は全くなくても受験が可能でした。
ただ、大学院修了後の1年以上の「実務経験」が必要とされていました。
今考えたら、これってけっこうハードル高いんですよね…。
そういう意味では、経験が積める機会が得られたということは、真に幸運なことでしたね。
たとえ「手習い」の段階でも関係ありません。
経験は経験です^^!
基礎を学んだあとは、現場でたたき上げ。
このスタイル、今はもうない懐かしい制度でもあります。
さあ、試験を目指して勉強開始です。
続きはまた次回になります。
今回もお読みいただきありがとうございました。
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