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ADHDっぽい私が心理学を仕事にするまでの話12 ~病院勤めでリアリティ・ショックを受けました~

前回までの話はこちらから

初めての心理士としての仕事とは

何とか病院の心理職として就職することができた私。果たして、病院で心理士として働く毎日が始まりました。

ここから、私の臨床家としての人生の始まりです。
私にとっての人生の大きいターニング・ポイントとなります。

心理職としての仕事は一般的には心理検査とカウンセリング(心理療法)ですが、当時の私は実験ばかりだったので、基本どちらも「素人」です。

なので、仕事が始まるまでにできる限りのことは勉強しておこうと、期待?にむね膨らませつつ、不安を感じつつ、心理検査や心理療法について勉強しておきました。

ところが、実際に配属されて担当する仕事はというと…。

デイケアでの仕事

私の心理士としての仕事は、いわゆる精神科デイケアでの利用者さんのリハビリ(自立支援と治療)の一環を担うことと、外来や病棟での心理検査・カウンセリングです。

普段はデイケアのスタッフとして位置づき、医師からのオーダーがあれば検査や面接を行うという立場ですが、ほぼほぼデイケアの担当です。

実際にやることは多く、利用者さんの送迎や施設の掃除、メンテナンスなど雑事も色々ありました。

デイケアでは通所されてくる患者さんに、一定のプログラムを組んで、主に生活習慣の改善・維持や、レクリエーション(遊び)を通して社会性や表現力、活動性などを高めていくというという支援が行われていました。

こころの病を患っておられる方の多くはなかなか気持ちに「遊び」(ゆとり)が持てないので、スタッフの連携の下、さまざまな遊びやイベントに自発的に参加することを通して成功体験を積んでいただき、社会活動への自信を深めていっていただくことで、社会参加の橋渡しをする、という仕事でした。

また、「遊戯療法」という分野がある通り、遊びを通して、他人とのコミュニケーションだったり、自分の気持ちを表現していくことなど、社会的スキルを身につけていっていただく、ということですね。

行動療法の考えに従えば、行動を「遊び」という手段によってよい方向に活性化していくという原理になるのですが、その際、患者さんが、それを「自発的」に始めることが必要なのですね。

スタッフが主導するのではなくて、患者さんがそれを主導していく、というスタイルが望ましいわけです。

で、そのための「仕掛け」というか「仕組み」になるものをスタッフが演出していくことが求められるのですが・・・、

なので、当然、スタッフにはスタッフ自身の遊びのスキルや、また、その遊びをコーディネートしてファシリテート(促進)していくというスキルが必要なのですが・・・当時の私は、そういうの、とても「苦手」なのでした。

さらに、患者さんには統合失調症やうつ病、アルコール依存症など様々な患者さんがおられ、そうした多様な患者さんの集団に対して行ういわゆる「集団療法」でしたので、プログラムを担う職員にはある程度、集団をリードしていく力が必要です。

そういうのも、「大の苦手」だったのですね;;

何しろ、明かせば私は極度の内向型なので、そもそも自分自身が自己表現することが大の苦手なのでした。個人に対してもそうなのに、集団に対してなど困難を極めました。

そう考えると、当時としては、私にとってミスマッチの仕事だったわけです。

(今は鍛えられたおかげでそれなりにできる・・・つもりですが(笑)。)

今思えば、行動療法の基礎を本当に現場の中で自然に実践していたわけなのですが、それは机上の空論ではなくて、いかに自分がそれを形作っていけるか、という実務の問題として、当時の未熟な私に降りかかってきたわけです。

そういう意味では上述のように当時の私は「素人」同然で、上司からも勤務初日に、

「とりあえず、初心者として扱うから」

とのお言葉を頂き、当然とは思いながらも、少なからず「ショック」でしたね。

分からないこと、できないことだらけで、「やることなすこと裏目」です。

心理職として学んだこと

心理学の博士課程まで行ったのに、臨床の現場に出ると、素人同然。

知識はあっても、「技術」がなければ何もできないことを思い知りました。
むしろ下手に知識がある分、タチが悪いとも言えます。

そこで学んだ最大のことは、仕事に必要なのは、専門的な知識だけでなく、「段取り力」ということでした。

調整力と言ってもいいかもですが、自分の役割とか、立ち位置を考えて他のスタッフと連携していく際の立ち振る舞いなどによって、知識をうまく生かして自分の仕事上の流れを作るということといえるでしょうか。

これらは現場に出て初めて分かることではありましょうけど、私の場合、それができると思われていたのか、ただのスパルタだったのか、独りよがりになってしまうのをずいぶん叱られたものです。

でも任せてもらえるプログラムもあり、それについては誠心誠意取り組むことで、成功体験も少しは重ねることができました。

例えば大学時代に学んだ中国武術や気功をデイケアのプログラムに入れてもらって実際の指導経験ができたことや、デイケアだけでなく病棟などでもエクササイズの一つとして採用してもらったことはうれしかったですね。

そうした小さいステップを踏みながらではありましたが、徐々にプログラムをうまく進められるようになっていきました。

人間関係ストレスの洗礼

ただ、その職場の人間関係になじめず、始めから結構厳しめに扱われたこともあり、正直に言うと勤め始めて一月ほどで辞めたくなりました。

とはいえ、一般的には簡単には辞められるものではないですよね。苦労してつかんだ仕事なのですから。

その後も人間関係の中で徐々に疲弊していった感じで、上記でスパルタと書きましたが、今なら(控えめに言っても)パワハラにあたるのではと思います。

当時の上司や先輩には、今だからこそですが感謝もしていますので、それについて具体的に書くつもりはありませんが、まあ、結構つらい日々でした。

結局、その病院にはその後1年半勤めるのですが、最後までつらさは変わらず、最終的には自分を守るために辞めるという決断をしました。
(それについては回を改めて書きます。)

ただ、我慢して勤めた結果として、臨床上のスキルだけでなく仕事上の段取り力もずいぶん鍛えられ、調整することや先を見て考えられるようになったことは今に生きる大きな収穫でした。

その時は苦しいだけでも、後から考えると福音だった、ということもありますよね。

この苦しい病院勤務生活が、まさにそれでした。

辛く苦しい、下積み修行時代。成長へのプロセスと考えるのなら、誰でも一度は通る道、なのだと今だから思えるのですが・・・。

次回はその苦しみ具合についてのお話です。

今回もお読みいただきありがとうございました。

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