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出産コスパ

ノーベル賞の何かで「女性の収入が少ないのは出産と育児があるから」というものがあるそうだ。
男女の賃金差が差別によるものではないとして「出産&育児」イベントを実践する限り、女性は男性よりも収入が少なくなることに変わりはない。
仮に育児を男性がすべて受け持つとしても、出産自体は代行できない。
出産を実施した女性の収入は、出産を選ばなかった同性能の女性よりも低下するという必然から逃れることはできない。

せっかく生まれてきたのだから、せめてちょっといい人生を送りたい。
そのためにはより多くの収入がほしい。ついでにやりがいも。
ひとりの人間として、思い描いた幸せを追って、悪いことなど何もない。
どちらの性なら願ってよく、もう一方の性は願ってはいけない、というものではない。

自分が末代になったからと言って、誰が困るというのだろう。
実際誰も困らない。人間など掃いて捨てるほどいる。
困るかどうかを決めるのは、自分ただひとりだ。
子供が欲しいとしたら、なぜそう思えるのだろうか。
子供が要らないとしたら、なぜそう思えるのだろうか。
そもそも自分はなぜ、存在するのか。

このような図を見たことはないだろうか。恐竜図鑑のケツの方に載ってたりするようなやつだ。

こんなの

そこでは遠い過去から現在までの、様々に進化し、分化し、滅びたもの、残ったものが図示されている。
三葉虫もアンモナイトも恐竜もサーベルタイガーも、今は化石しか残っていない。それらが絶滅に至った理由については諸説あるが、原因が何であれ、子孫を残せなかったか現在までその形態を維持できなかった生物は「絶滅」とされる。

自分について考えてみよう。
今の自分がヒトのあたりにいるとすれば、ここで子孫を残すかどうかは次の図のようになる。
赤い×マークがいわゆる末代様だ。

これくらい

残念ながら人全体には及ばないが、ぼくのわたしの絶滅はできる。絶滅は個人が恐竜に並ぶことのできる数少ない分野といえるだろう。絶滅は少々大袈裟すぎて気後れがあるなら「20XX年。◯◯氏 滅亡」という手もある。ただし、兄弟姉妹が子孫を残している場合は注意が必要だ。

さて、そのように一部の個体が絶滅なり滅亡なりを達成したとしても、それを横目に他の個体は子孫を残す。
だから自分が、自分の人生のために子供を産まないことを選んでも、他の誰も何も困りはしない。自分の子孫が居なくても、ヒトという種はこれからも誰かが続けてゆく。

だがそれも、他の誰でも良ければ、の話だ。

今の自分について、こう考えてみたことはないだろうか。

赤◯が末代分岐ポイント

祖先の祖先の祖先の祖先の(略)の祖先の祖先と遡っていけば、そこには原初の生命がいるはずだ。
今ここにいる自分は、原初生命から悠久の刻を経て幾重にもエラーを織り込んだコピーの成れの果てに過ぎない。
現在の貨幣経済に照らし合わせれば生命そのものは無料といえるが、無料の存在でありながら、そこには数億だか数十億年だかが堆積している。
無料で、億。
地球の生命には地球が欠かせない。であれば最低でも46億、せっかくだからもっと遡って宇宙の発生そのものに期限を求めれば、137億。
エネルギーが素粒子に原子に分子に、やがて我々が生命と呼ぶものになり、そのからも偶然居合わせた物質が折り重なった結果が今の自分だと思ってみると、今ここにいる自分にかかったコストが半端ない。
しかし、無料。
お得なような気がしてくる。ここで終わらせるのもいくらかもったいないようにも思えてくる。

生命は素晴らしい、ということではない。
生命など物質の一形態に過ぎない。
たまたまここにこうあるだけのものだ。
それでも、億。
続けるかやめるかの選択肢があるのなら、続けるほうを選んでみるのも面白いだろう。誰の子孫でもいいのであれば、自分の子孫が残ったって構わない。
ヒトの歴史も、この宇宙の一瞬の出来事に過ぎない。
今生の自分の賃金収入が低下したとして、将来には些細なことになっているかもしれないし、これからの社会や環境の変化で子孫は苦しみを味わうかもしれない。
だが知ったことではない。宇宙はそうあるだけだ。

子供を産むか産まないかは、経済の話ではない。
我々とこの宇宙との勝負なのだ。
しかしそれとて、この宇宙の一つの事象に過ぎない。
乗っても、降りても、どちらでもいい。

「これはここでおしまい」が自分のせいにならない方を、私は選んだ。
君は、どうする。