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"うに" は幸せの具現化

「ますもとやってねじゃん…」

1軒目である地元の飲み屋「よし」を出て、地元の食堂「ますもと」へ行ったが、閉店していた。大好きな「肉うどん」を食べる口になっていたからなおさら残念だった。

帰り道 (とはいっても歩いて5秒) に電気がついている寿司屋さん (末広) があったので、一緒に飲んでいた友達含め、4人とも酔っ払っていたこともあり、ノリで入った。ちなみに回らないお寿司屋さんである。(後に1番払うことになったのは僕だった)

注文したのは「じょうにぎりもり」。税込1800円だった。店に入った時点で少し大人になった気がしていたからか、うにを入れてもらうことにした。

そんな場所にいたとしても酔っ払っていることに変わりはなかった。メニューに書いてあった「きょうのすし」を「きょうのわに」と読んで4人で大爆笑していたほどだ。客は僕達だけだったが、相当迷惑だったと思う。

そんな話で爆笑しているうちにたら汁とじょうにぎりもりがきた。僕達にはどう見てもサーモンとしか思えないサクラマスや、カンパチなのか鯛なのか、はたまたブリなのか見分けのつかない白身魚たちの中、一際輝いているのは、やはりうにだった。

まずはアワビを頬張り、鯛を食べた (どれがなんの魚なのかは、全部お店の人に聞いた)。もちろんそれらすらしぬほどうまい。ただ、ろくにいい状態で食べた事のないうにが、なぜかその日は1番食べたかった。好きな物は残して後から食べたい派なので、残り4貫ほどまでにして、ついにうにを食べた。

"幸せ" そのものだった。あれは幸せの具現化だった。すぐに溶けてしまうところも、時間が経つとおいしさは薄れていくが、新鮮であればあるほど甘くおいしいところも、"幸せ" そのものだった。

先日書いた 「愚痴 #1」 でも書いていたように、最近精神的にまいっていた (自分の基準の中で) のだが、うにを食べ、健太 (幼稚園来の幼なじみ) と 「けん、これが幸せか」とかいう、いかにも酔っ払いっぽい話をしていたら、涙が出てきた。まあまあ久しぶりにしっぽりと飲んで、1軒目では真面目な話や幸せになりたいという話をしつつのそれだったから、余計に染みた。

どんどん上を見て理想が高くなってしまい、現実の自分と比較した結果、精神的に弱ってしまっていた。「理想」=幸せ だと解釈してしまっていた脳が、"うに" によって破壊された。ありがとう、うに。

人間の三大欲求である 性欲 食欲 睡眠欲 というのは、やはり満たされれば幸せなのかと悟った。その時に経験した「食欲」は、三大欲求における「食欲」とはまた違うニュアンスではありながらも、やはり体も心も、本能的に欲しているんだなと感じた。悩みが理性的だったためか、本能的満足感に上書きされた。気を許し合った友達と話しながら高次元な食欲を満たすことは、信じられないほどの幸せと、発見だった。

悩みのほとんどは理性的な気がしていて、その時点で本当にどうしようもなく、解決しようのない場合は、本能的な欲求を高次元で満たすことで、悩みの上に幸せな何かが上書きされ、進もうと思える気力がまたじわじわと湧いてくるのかなと思った。

本当にどうしようもない時は、ポジティブになんてなれやしないから、論理でなく、感覚で上書きする方が良さそうだ。ある意味「逃げ」なのかもしれないが、どうしようもないことで悩んでいる時にすら逃げずに走り続けろというのは、ボクシングで相手の右手が目前3mmまで近づいてきているのにそこからそのまま1発K.O.級ストレートを当てろと言っているようなものなのかもしれない。

全部が全部ではないが、それはかわす。かわさないのはバカだ。何度も連続で右手が飛んでくることももちろんあるだろうが、かわして、耐えて、隙を見てまた前に出ればいい。論理に囚われすぎた人は、どうか本能的欲求や感性にも声をかけてあげてほしい。

ちなみにサクラマスとサーモンの違いに関しては、マジのガチで最後まで分からなかった。精進します、色んな面で。

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