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小さくて弱い部分 / 裸になる

泣いた、自分についてひとりで考えながら。20歳を迎えてすぐ、しゅりと話しながらも泣いた。この #note は、隠そうとし続けてきた自分の弱さとか、情けなさについて初めて吐き出した note 。言いたくても言えなかったようなダサい考え方を知ってほしくて書いた note 。それでも関わっていてくれる人がいたら、本当に嬉しいなという note 。これから関わりそうな人、それ以外の人でも、まじでほんとに最後まで読んで欲しい。見にくい文章ではあるけど、よろしくお願いします。

内容
1. 小さくて弱い自分
2. 正直にならなきゃいけない
3. こんなでもよければ

1. 小さくて弱い自分

今、20歳を迎え、十代が終わりました。年齢的に、もう 「大人」 。振る舞い、言葉遣い、知識、趣味、そういう、目に見えるものはもちろん変わったし、大人になったような気もする。でも、そうじゃない、もっと深い部分はどうか。「大人になる」 ことがどういうことかは全くわからないし、だからなのか、特別 「大人になりたい」 とも思わないし、思いたくもない。ただ、自分自身に、謝らなくちゃいけないなと思うことがある。

何年も前から、正確には覚えていないけれど、多分物心ついてからずっと、重くてかたい鎧のようなものを着てるような感覚がある。「かっこいい自分でありたい」 「頭の良い自分でありたい」 「尊敬される自分でありたい」 。そういう、いろんな面での 「理想の人」 を頭の中に抱いて、その度に、自分はそういう人なんだって自分に言い聞かせてた。同時に、そんな風に振舞ってた。

僕はずっと変わり続けたいなと思ってて、実際、変わり続けてるつもりだった。でも、思えば、変わっていたのはその、外側の鎧の部分だけで、肝心な中身、本当の自分自身は小さくて弱いまま、何も変わってなかった。鎧で隠れていた、小さくて弱い自分自身を無視し続けていた。かたい鎧をつくるのは小さい頃からしていたから、上手かった。だからスカスカな中身を見透かされずにいられてた。

これはずっと前から自分で気づいていたはずだったけど、気づいていないふりをして、逃げてきた。そういう偽物の鎧をきて、実際に中の自分がその鎧くらい大きく、強くなったら初めて脱皮するみたいに鎧を脱げばいいと思ってた。

2. 正直にならなきゃいけない

でも現実、絶対にそうはできなかった。結局、偽物の自分で接する人から向けられる評価は、偽物の自分に向けられるもので、実際には、自分自身には全く影響しなかった。例えば侮辱されたとしても、それで傷つくのは外側の鎧だけで、中の自分はそれを感じないし、痛くない。逆に、褒められた時は、鎧に向けられたものが、中の自分自身に向けられたものだと錯覚して、喜んでた。本当に都合がいい。だから、本当の自分自身は、全く成長しなかった。というよりも、絶対に成長し得なかった。だから、鎧を脱げないままで、ここまで来てしまった。

人間が成長するには栄養を取るか、傷つかなきゃいけない。今まで僕は、自分自身を守ってきたつもりだったけど、閉じ込めていただけだったんだなと思った。でもそうしていると、本当の自分は誰からも傷つけられないけど、褒められもしない。つまり、全く成長しない。だから、まずは鎧を脱いで、裸にならなきゃいけない。中の自分自身がどんなに小さくて弱くても、等身大で、裸で対等に人と接しなきゃいけない。人に、そして自分自身にも、正直にならなきゃいけない。

もちろん、本当の自分で接していた人もたくさんいるけど、そういう人にも少なからず、鎧の部分でも接していたことは確かだ。さらに直接話したことの無い人は、多分、鎧の部分しか見たことがないと思う。勝手だけど、身近にいた人達には謝らなきゃいけない。会った時にでも、少し、話せたらなと思う。あと、もちろん、鎧を着ていたとはいえ、今までしてきたことは全て事実だから、それらの責任も一緒に捨てるということはしない。それはズルだ。

3. こんなでもよければ

20歳になってもこんな 「自分に正直になりたい!」 みたいな悩みを本気で考えているのはなんか情けないなとも思うけど、これを隠せばまた同じで、新しい鎧を着ることになる。だから、ここに綴ろうと思った。今までは過程をすっとばして、直接理想の人になろうとしてたけど、まずは鎧を脱いで、本当の自分を評価してもらうところからはじまるんだなと、ようやくわかった。そうやって、自分自身の弱さ、小ささを認めることで、はじめて本当に成長できるはずだ。

その上で仲良くしてくれる人がいたとしたら、本当に嬉しいです。これからは弱さをできるだけだしていくかと思います。改めまして、こんな "のじりすぐる (20)" ですが、どうかよろしくお願いします!

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