見出し画像

理由は、「素敵だから」じゃダメですか?

突然ですがお題です。

あなたは映画監督です。
医療系の映画を作るのに、病院での撮影ができないと言われたら、あなたならどうしますか?

これは、なんてことない出会いが、かろうじて生きながらえる1人のクリエイターの人生を支えてしまった、そんなとるにたらない、だけど忘れることもままならない瞬間の記録です。

ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー

三軒茶屋に"ちょうちん"が美味しい焼鳥屋がある。ここにくるのは何度目だろうか。店員さんに立ち呑みカウンターへ通されたお一人様のボクは、メニューを見ることなくハイボールとマカロニサラダとちょうちんを頼んだ。

過酷な労働環境とされる映像業界で働いて7年目。大手広告代理店の女性社員が自決する哀しいニュースが流れた。自分を騙し騙しやってきたボクだって身も心も限界だった。その言葉通り、毎日命を削って働いていた。

この焼鳥屋では20代前半の頃、メガジョッキのビールを片手に同僚と大きな夢を語り合った。その場にいた同僚らは皆、転職済みだ。いわゆる"飛んだ"者もいる。それでもボクは今だにこの焼鳥屋に通っている。怖いもの知らずだったあの頃のボクたちを時折思い出すかのように。

聞いた話では、この焼鳥屋は数年前に海外向け旅行雑誌に掲載されたらしく、確かに外国人客が随分と増えていた。こういう時、秘密基地を横取りされたようなつまらない気持ちになるのはボクの心が狭いからだろうか。

そんな肩身の狭さを感じていた時だった。

「あの、ちょうちんって何ですか?」

右隣から、ソプラノとアルトの間くらいの声が、サラリーマンと外国人客のノイズを越えて飛び込んでくる。声の方に視線をやると、セミショートの髪がよく似合う女性と目が合った。突然の質問に戸惑うボクに、いや、初めて聞いたもので、と彼女は間をつなぐように続けた。頬が少し赤らんでいる。既に3~4杯は飲んでいるようだった。ボクは簡潔さを心がけて説明する。

「ちょうちんは鶏の卵巣部分で、噛むと口の中でとろっと弾けますよ。」

「ひ〜っ!」

彼女は余計な想像をして肩をすくめてから、首をブンブンと横に振ってセミショートの髪を揺らして見せた。少し飲んだらすぐ家に帰って脚本の続きを考えなければならないが、混み合っているのか、1杯目のハイボールが遅い。

この時ボクは映画監督という立場で1本の映画を作っていた。自分の企画が通ったことに当初は浮かれていたけれど、いざ会議が始まると外部の「エグゼクティブプロデューサー」という肩書きを持つオジサンや、そんな彼が連れてきた大ベテランの脚本家の意見ばかりが通る現実を目の当たりにした。

監督とは名ばかりで、体力が要る細かい作業と段取りごとを引き受ける"何でも屋"と大して変わらなかったように思う。自分がどこかで間違えて大人たちを味方につけそびれてしまったのかもしれない。

朝まで考えた演出のアイデアは、主演役の事務所に一度持ち帰られ、各所に確認をとったというテイで、「上的にNGでした」などと翌週の会議で華麗に躱される。上って誰だよ、というツッコミをゴクリと飲み込むうちに、大まかな脚本が決まっていってしまう。新たなアイデアで打ち返しても、事務所が時間をかけてテイ良く断るところまでが1セットのコントのようだ。

「今、医療ものが数字取るからさ」

気づけばボクが書いた青春コメディのプロットは、余命を宣告された主人公の心情と、医療現場のリアルを描く内容に"微調整"されていた。

「主演役、今売り出し中の女優ならスケジュール空いてるんですよ」

エグゼクティブプロデューサーの一言で物語の重要な登場人物の性別が変わった。

「予算の都合がありますので」

脚本に記入したロケ地は5箇所も削られていた。医療モノの映画を作るのに病院で撮影できないとはどういうことなのか。尚、ロケーションに回すはずだった予算は、今売り出し中という女優のギャランティにしれっと吸収されていた。

大人の事情で作品の輪郭が決まってしまう。素敵な映画にしたいと息巻いたあの日は刹那、ボクは日に日に妙な落ち着きを取り戻して、これ以上自分が傷つかないように何事もなく作品作りが着地に向かうよう願っていた。

「お待たせしました!ハイボールになります!」

店員さんの言葉でハッと我に返る。ちょうちんについて質問した彼女は手元の熱燗を見つめながら、小さなため息をついていた。ボクからも何か質問を返さないと失礼かもしれないし、そんな事は求められていないかもしれない。迷った末、本当にいい店ですよねと、前方を見つめながら呟いてみた。

「初めて来たんです。旅行雑誌に載ってて。」

大勢の外国人客と一緒に、こんなにも熱燗の似合う彼女をこの店に連れてきてたのだから、某旅行雑誌の功績は大きい。

「でも、あまりいいお酒じゃないんです。ヤケ飲みって感じで。」

へぇ。ボクが下手くそな相槌を打つと、彼女はとっくりを覗き込み、熱燗の残量を確認しながら続ける。

「もうすぐ東京五輪があるじゃないですか。その東京五輪のロゴを半年かけてデザインしたんです。でもそのコンペ、最後の最後で選ばれなくて。」

彼女は最後の熱燗を注ぎ切ると、私のデザイナー人生の全てを懸けていたんですよ、と締めくくった。ツラい話をした後にアハハと笑える彼女は大人だと思う。ボクは気の利いたフォローもできないくせに、この沈黙に耐えられるほどの強靭なハートも持ち合わせていない。うーん、と数秒考えてから率直な疑問を投げかけた。

「それでも、自分が納得のいくデザインには仕上がったんですか?」

すると彼女は呆れたように笑い「自分が納得するデザインを施すからデザイナーなんじゃないですか」と言い放って残りの熱燗をグイと流し込んだ。そして「隙ありっ」とボクの右尻のポケットに突っ込んだままの脚本を抜き出して勝手にパラパラとめくる。

「ふーん、なるほどなるほど。赤ペンだらけですね。」

それは言わば恥部。なのになぜか取り返す気にならなかった。

「いいなぁキミは。途中で作品を修正してくれる人が、こんなにいて。」

「何もよくないよ。方針がコロコロと変わってばかりでうんざりする。」

「だけどその代わり、必ず世の中から見てもらえるものを作れる。」

「それはそうだけど。」

はぐらかすような相槌を打つボクに、彼女は続ける。

具体的なフィードバックもなく「落選」とだけ通達されるのはツラいことだと。自分の感性を詰め込んだ作品だからこそ、我が子のように愛しい作品が選ばれないのはツライことだと。それはまるで、これまでの人生ぜんぶを否定されたような気持ちになることだと。

彼女は赤ペンだらけの脚本をパタリと閉じた。

「ボクの名前をエンドロールからハズしてほしいです」そう上司に伝えた時は、別室まで連れて行かれて叱責を受けた。「じゃあ誰が監督として映画の責任を取るんだよ。俺の進退がかかった作品なんだよ。」

こんなにも恵まれない環境で作られる映画が、他にあるだろうか。

ついにちょうちんが運ばれてきた。口の中へ運び、ゆっくり噛むと、ちょうちんは水風船のようにはじけて卵黄がどろりと溢れ出す。彼女がその様子を不思議そうに見つめていたので、一口食べるか尋ねた。「卵巣を食べるなんて酷いなぁ」とボヤきながらも、その細い腕はちゃっかりボクの目の前の串まで伸びている。ちょうちんを口に含む。「うえ、何これ」の表情を浮かべる。熱燗に手を伸ばす。もう熱燗が残っていないことに気づく。お冷で慌てて流し込む。ここまで6、7秒のこと。目まぐるしいスピード感で、彼女の心は生きていた。

「だからね、私が言いたいのは」

「え?」

どこから続く「だから」か分からないまま、テキトーに相槌を打つと、彼女はこんな言葉を残してからお勘定を呼んだ。

「映画のことはよく分からないけど、キミは恵まれていると思うんだ。」

ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー

焼鳥屋を出ると、三軒茶屋の街に涼しい夜風が吹いて、ボクたちに秋の訪れを伝えた。秋は紅葉で世界がカラフルになるから良いね、と彼女が言う。しかしボクは数年前、紅葉の撮影中にゲリラ豪雨が降り、天気くらい管理しろと先輩に詰められたことを思い出してしまい苦笑いを浮かべた。色々な景色を見る度に、思い出したくもないワンシーンが着実に増えていく。

ボクは元々バラエティあがりの人間だ。映画制作で身に降りかかる事態の数々はどれも新鮮すぎる。映画制作も既に忘れたい記憶になりつつあった。

「ここのカラオケ、すごく安いのよ。」

彼女に連れられ辿り着いた三軒茶屋の格安カラオケは、大学時代に朝まで飲んだ新宿のチェーン居酒屋と同じ匂いがした。部屋に案内されると、彼女は二人分のメガハイボールを頼んだ。そして率先してデンモクを手に取り、「このバンドの中では売れてる方なんだよ?」と謎の弁解をしながらマニアックなロックバンドの楽曲を選んで送信した。ボクは彼女のように、カラオケで歌いたい歌を歌いたい時に歌えた経験があまりない。

彼女はやっぱりソプラノとアルトの間の声で誰も知らない歌を歌いきり、爽快な笑顔を見せた。しかしそれも束の間、拍手するボクの隣に座るなり神妙な面持ちでカバンからA5サイズの紙を1枚とり出してテーブルに置く。表情の変化についていくのがやっとだ。

黒色の紙吹雪をコラージュしてデザインされた
東京タワーのイラストが、そこにあった。

その東京タワーは地面に向かうにつれてカラフルになり、やがてきめ細かく分離して、パラパラと散っていく。言葉で説明するとそういうイラストだ。

「なんか凄いね、この絵。」
「凄くないから誰にももらわれず、今ここにあるの。」
「東京タワーが浮いてるってこと?」
「そう見えるなら、そうだね。」

彼女はうなだれて、床に視線を向けたまま答える。結果的に選ばれなかったとしても、最終候補まで残った東京五輪のロゴだ。ボクはデザインのポイントや狙いに興味がわいた。

「パラパラ崩れていくのはどういう意味が込められているの?」
「何となく、カッコいいからだよ。」
「下に向かうにつれてカラフルになるのはどうして?」
「どうしてって、理由なんて無いよ。」

こちらに差し出された左手が「返して」と訴えかけているけれど、ボクはそのA5用紙を両手で持ち直ししばらく眺めていた。彼女は諦めたように左手を引っ込めるとソファに倒れ込んで言った。

「理由は、素敵だから、じゃダメですか?」

その時だけ突然敬語を使った彼女は、誰に話していたのか分からない。鼻をすする音がカラオケルームの中で小さくこだまする。彼女が"素敵さ"だけを追いかけて完成した真っ黒な東京タワーがコンペの最終選考まで残り、そして落選した。この事実は、ボクたちにとって希望なのか、絶望なのか。

鼻をすする音は嗚咽となり、やがて張り詰めたピアノ線が切れたように、純粋な子どもの泣き声へと変わった。作りたいモノを作り、話しかけたい人に話しかけ、笑いたい時に笑い、歌いたい歌を歌う彼女は、泣きたい時に泣ける人でもあった。二件目にカラオケを選んでもらえて助かった。

隣の部屋から、下手くそなGReeeeNが聞こえる。若い男たちがろれつの回らない声で夢だの未来だの叫んでいた。こんなにも大衆ウケを見据えて作られたJ-POPが励みになるなんて、きっと隣で涙を流すデザイナーは望んでいないだろう。それでも皆の為に作られた歌が、例に漏れずボクたちの胸にもしっかりと響く。響いてしまう。

落ち着きを取り戻した彼女は、ポツリと呟いた。

「いつか、誰にも邪魔されずに、自分が作ったモノを世に出してみたい」

「そうだね」

「珍しく意見が合ったね」

「そうだね」

この時なぜか、店内の有線も、隣の部屋のGReeeeNも、どんなノイズもキレイさっぱり消えてなくなり、ボクと彼女の呼吸音しか聞こえない不思議な感覚に陥った。そういえば映画の話を打ち明けたのは彼女が初めてだった。

この時間がずっと続いてくれたら良いのにと願った。
明日になればまた意見の通らない定例会議が待っている。
病院で撮影できないんじゃ、医療モノの映画なんて撮れるわけないよなぁ。

ボクがついた長いため息に、彼女がピクリと反応した。そしてスマホの時計を見ると突然ソファから体を起こし、何かを決意したようにボクの目を覗き込んだ。

「キミは、ここに居ちゃダメだよね」

彼女に背中をグイグイと押され、徐々に部屋のドアまで追いやられる。「突然どうしたの」聞きたいことは沢山あるけれど、思えば彼女の名前すらちゃんと知らない。彼女だってそう。

キミ、今日はありがとね、会計は気にしないでね、逃げちゃダメだからね、
彼女に一方的に畳み掛けられながら、ついにボクは部屋の外へと押し出されてしまった。すぐに振り向いたけど、ドアはもう閉まりかかっている。

「キミの名前、楽しみだなぁ。」

重く分厚い防音扉が、ガチャリと音を立てて閉まった。

ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー・ーー

「それでは、映画の見どころを一言いただければと思います」

スクリーンの前でマイクを受け取るとステージに観客の視線が集まる。そんなに大きな映画館では無いけれど、300名分の客席が満席だ。事務所が押していた新人女優を起用したことで映画の宣伝効果がグッと高まっていた。

「では、監督から。」

大きく深呼吸をしてから、一歩前に出る。

「この映画のテーマは、現代医療のリアリティです。自分が患った病気の名称を知りたがる患者と、病名を決して伝えまいとする周囲の人々のかけひきをコミカルタッチで描いた作品です。本作は人間模様の描写に特化するためにロケーションを「病室」にワンシチュエーションに絞り込み、敢えて他のシーンは全て排除しました。医療をテーマにした映画の中では攻めた異例の内容となっております。どうぞお楽しみ下さい。」

大きな拍手に包まれながら、ボクはとある人のことを思い出していた。視線を上げてみるけれど、スポットライトが眩しすぎて観客席は黒い点の集合体にしか見えない。視線を下の方に下ろすと、手前のお客だけは、かろうじてパラパラと認識することができた。出演者関連の色とりどりのグッズを手に持ち、期待に目を輝かせている。

「監督、素晴らしい挨拶でした」

舞台挨拶を終えて舞台袖を通る時、エグゼクティブプロデューサーがそう言いながらボクに音のない拍手と満面の笑みを向けた。ボクは足を揃えて、深く頭を下げる。

「映画監督という、貴重な経験させていただき有難うございました。」

もう誰にも自分を搾取させたくない。作品を傷つけられたくない。その一心でクリエイターは、今日も己のスキルとブランドを磨くのかもしれない。

(いつか絶対ぶっ飛ばす)

ボクのモノづくりのモチベーションは、あの日舞台袖で言いかけて飲み込んだ「憎悪」にも似た何かだ。この映画制作に足を突っ込む前からずっと。だから、人様に胸を張れるようなクリエイターでは決してないけれど、

作品を楽しみにしてくれるお客だけは裏切らないように、
具体的な誰か、たった1人の為に作るような気持ちで、
映像を作って発信し続けていきたい。

映画はエンドロールを迎える。

最後にボクとエグゼクティブプロデューサーの名前が仲良さそうにピタリと並んで流れてきた。その密接な距離が事実に反することなど、きっと誰にも分からないし、悟らせてはならない。

ボク以外にその事実を知っている人は、この世にあの人しか居ないのだ。

1年前、焼鳥屋のカウンター席で右尻のポケットに押し戻された赤ペンだらけの脚本は1本の映画となり、今日の上映をもってボクの手を離れた。これからこの作品は観た人に勝手に評価され、勝手に解釈され、勝手にネット上で様々な切り口でレビューされることになる。受け売りだけど、そこまでされて初めて、本当の意味で映画は完成するという。大事なのはこれからだ。

上映終了後、キャストとボクは扉の前で観客らに挨拶をした。テーマが良かった、あの女優の魅力が描かれていて良かった、ワンシチュエーションが斬新で良かったなど、感想は様々だった。

「監督、サインください」

「え、ボクの?」

僭越ながらこの日、ボクは生まれて初めてサインというものも書いた。同世代の男性が着ているTシャツの背中いっぱいに書いた。こんなことくらいで憎悪の灯火が消えたりしないように、必死に照れ臭さを噛み締めながら、太いサインペンを握りしめて、書いた。

その時に視界の隅で一瞬とらえた人影は、ボクらには目もくれず歩き去ってしまった。背中まで綺麗に伸びた長い髪が左右に揺れて、こちらに手を振っているみたいだった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?