ヴィヴィアンの家

ヴィヴィアンが染み込んだ家

最近Kindleで無料で読めた本のうちの1つに、カリスマ主婦の時短家事!というような内容のものがあった。

何人かのネットなどで有名らしい主婦の人の生活ぶりを写真付きでいろいろ紹介しているもの。

どの方の家も、ショールーム並に片付いていてきれいで、「忙しい日々の生活でどうやってその状態を維持しているか」というもの。

維持や時短家事の方法はともかく、素晴らしくきれいなお家の写真ばかりなのに、どうも惹かれない自分に気づいた。無印+イケア+α という感じのインテリア。
きれいで、オシャレ、機能的、余分なものもない感じ。でも何かひきつけられない。
もちろん、そういう私の家は完全に比べるようなレベルではないので、そこはきっちり横に置いておく。

そして、どうしてこういうきれいな家に惹かれないんだろう、私の好きな家、インテリアとは…と考えて、すぐに思い当たったのは、オットの叔母の家。

オットの父親の姉で、現在は60代なかばぐらい。多分まだ70代ではないと思う。名前はヴィヴィアンという。

これまで結婚はせず独身。ただ、2年前までは痴呆になってしまった実母の面倒を見ながら二人で田舎の実家で暮らしていた。
お母さんはなくなってしまったので、今はその生まれ育った実家で一人ぐらししている。

ヴィヴィアンはブロンドでショートヘア。でも年齢とともにブロンドはプラチナブロンド、というか白髪になった。ショートヘアだが、天然カールがすごく強いクリクリ。

フランスの田舎の古い実家で一人暮らし。
フランスだろうが何だろうが、実家というのはやっぱりどこか野暮ったい。

そもそもヴィヴィアンも清貧という言葉が似合うタイプで、決してダサくはないけれど、パリのオシャレなマダム、みたいなものからは一番遠いところに居る。

家のインテリアは、壁紙のデザインも古いし、様々な小物、飾り物、写真のフレームなんかもバラバラで、いろいろな人からもらったお土産も気に入ったものは飾ってあるので、テイストもバラバラ。

それでもその家に入ると、空気が澄んでいて、ぜんぶを大切にしている感じが伝わる。

ヴィヴィアンはいつも野菜畑にいたり、鶏の世話をしたり、雑草をとったりしているので、Tシャツ+エプロンが決まり姿。

エプロンは15年ぐらい前に私がクリスマスにプレゼントしたものを、いまだによく着けてくれる。しかしもう、何か描いてあった絵柄はほぼ消えている。アイロンはかかっているが、しょっちゅう手を拭くので、お腹の前の部分はしわしわだ。
だいたいは下は動きやすいパンツだが、大勢が集まるような時だけスカートになる。

二月に1度ぐらいの頻度で顔を出に行くと、いつも美味しいお茶を入れてくれる。

この前行ったときは、天気が良かったので、家の庭でお茶をいただいた。
ティーカップが中華風だった。昔の中国人女性の様々な姿が絵付けされている。

昨年、ヴィヴィアンの別の甥(私のオットの弟)が中国人女性と結婚したので、「あ、彼女にもらったの?」と聞いてみた。

すると、「ううん、これ学生時代の友達が中国に行ったからってお土産にくれたのよ。30年ぐらい前に。」

フランスの田舎の家+30年前の中国のティーカップ 
合わないような気がするのだけど、これが何故かヴィヴィアンのお茶として出てくるとすごく合う。

どうも、ヴィヴィアンに大切にされて、ヴィヴィアンのオーラが染み込んでいる感じなのだ。

ヴィヴィアンの使っている食器は、実家だから昔から使われていたフランスらしいの古風なものもあれば、誰かにもらっただろうヴァカンス地名入りの決して高くなさそうなマグカップも、また私が日本土産で渡した竹かごみたいなものもある。

それらがもし、インテリアショップに並んでいたら、なんの統一性もなく、コンセプトゼロストアみたいな、というかものすごくダサい感じになるだろう。

しかしヴィヴィアンの家にしばらくあると、ヴィヴィアンの「私が気に入ったので大事につかっているのよ」という根性が注入されるのか、物たちが「選ばれしモノの威厳」みたいなものを放つ。

実際、ヘンな絵柄のマグカップも、昔からその家にある大きな古いフランスらしい棚に、きれいな柄のワイングラスの隣にキチッと並べてあると、違和感がなくなるのだ。

他の人には絶対にわからない、ヴィヴィアンの意思がそこにはあり、そこが良いな、と私には思えるのだ。

実際、いつも清潔だし、散らかってはいないし、余分なものだらけ、ということはないので、そこも最小限のポイントではあるのだろう。

だからといって、余分なものは一切排除!ということは全然ないゆるさがあるし、清潔だけどよくよく見たらそうでもない部分もあったりするし、必死にいつも片づけている、という感じでもない。

たくさんいろいろなものを持っているはずだが、おそらく全然気に入らないものは片付けてしまっていて、目に見える所にはない。

でも、ヴィヴィアンのその最初のゆるめの一次審査をかいくぐったモノたちは、古今東西どんなテイストであっても大事にされ、ヴィヴィアン色に染まる。

オシャレでも、ミニマムでも、ナチュラルでも、機能的でも、フランスの田舎風でも、ノスタルジックな感じでもない。
こんなテイストのモノがヴィヴィアンの家に合う、というものはなく、ただ「ヴィヴィアンに気に入られて大事にされたらこうなる」という結果がある感じ。

ここまで文章を割いても私のちからでは表せない、そこがいいなと思うし、私の1つの理想なのだ。

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