白い天井
目を覚ました。
わかることは天井が白いことと、その白い天井がうっすらと窓からの光でオレンジに染まっていることからおそらく夕暮れだろうこと。そして今の僕はベッドに横たわっていることだけだった。
「起きたら病院のベッドの上だった」なんてのは漫画の中だけだと思っていた。
あいにく最後の記憶は迫る拳でもトラックの重いブレーキ音でもない。それどころか思い出そうとすればするほど薄れていく。
薄れゆく記憶の中で唯一残っていたのは『橘はるか』という名前だけだった。
そこまで思い出したところでゆっくりを体を起こしてみた。痛むところは特にない。
ここで初めて気づいたのだが、腕には点滴が刺さっていた。ギプスもついてなければ、絆創膏も貼られていない。どうやら怪我はしていないようだ。
部屋を見渡す限りでは病室だという僕の推理はあっているようだ。
すると、病室の扉が開いて1人の看護師さんが入ってきた。
「あら、ミノルくん。起きてたの」
僕は少し困惑した。しかし「ベッドの枕元に名前があるはずだ」と思いつき振り返ると、そこには『高山 みのる』という名前が書かれていた。
「もう少ししたらお母様がいらっしゃるそうよ」
母親の顔も思い出せない。看護師さんは一言二言話すとまた病室を出ていった。
これが記憶喪失なのだろうか。何かを思い出そうとするとふいにそのやる気が削がれるような、記憶の引き出しが詰まってしまって開かないような、そんな気分だ。
『橘 はるか』とは誰なのか。そもそもこの体は僕の物なのか。自身の理解の範疇を超えた現象に、ファンタジックな思考が勝手に走り出す。
そんなことを考えている内にふと眠気が襲った。
1度寝て、また目が覚めればまた何かわかる。そう信じて僕は目を閉じた。
目を覚ますと、見覚えのある天井だった。
そうだ。ここが『橘 はるか』、僕の部屋だ。僕は普通の高校生で、喧嘩もしなければ交通事故にもあっていない。朝起きて、学校に行って、適当に授業を受けて、友達とバカみたいな話で盛り上がって、部活を頑張って、帰ってきて。
そんな当たり前の日常に生きる1人の高校生だ。
記憶が戻ったことに喜び、部屋を飛び出してリビングに向かう。
「あら、おはよう。どうしたの、そんなに笑顔で」
見慣れた母だ。そうか、あれは夢だったんだ。だから不思議な感覚だったんだ。そう思うとすっきりした。
「おはよう。なんでもないよ」
そこからはいつも通り朝食をとり、歯を磨いて、制服に着替えて、いつも通りぎりぎりに家を出る。
「じゃあ、いってきます」
そう言ってドアノブに手をかけた時に思い出した。
そうだ。こっちが夢だ。
僕の名前は高山みのる。生まれてからずっと入院生活だったじゃないか。
橘はるかは当たり前の日常に憧れて見た夢じゃないか。他人だよ。
そこまで思い出したところで僕は泣き崩れた。ぼやけた視界が白く染まり始めた。
そうだよ。僕の見慣れた天井は
白い天井だ。
〈完〉
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