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Pure experience Requiem(ピュア・エクスぺリエンス・レクイエム)



プロローグ

「我思う故に我あり」というルネ・デカルトの言葉が表す主客二元論を基にした西洋哲学の考え方。

当然のことながらその思考は常に人間目線である。そんな主観と客観の対立から出発する哲学を超えた哲学が日本に存在する。

日本を代表する哲学者である西田幾多朗が初期に提唱した「純粋経験」

例えば、満開の桜を見て「綺麗な桜だ」と思う前に「好きな何か」と感じる、その一瞬の感覚が純粋経験。桜をサクラと思慮分別してしまった時は「純粋経験」は終わり、皆同じ感覚でそれが桜であることのみ信じて疑わない。

東洋的な西田哲学は自分の事より他人の事、故に「無」という超中立的立場からのアプローチであり、その中立視点からの決まっているかのように思える事が全てではないと思える「センス」。その考え方こそが哲学そのものである!

なんとなくの存在を明確にするためルールを決める。その道筋で学問や政治が成立する。そしてそれを基に社会が形成される。哲学とはその逆で、決まったことを時に懐疑的に、時に自然的に本質を考える事であり矛盾を孕みながらも正しいものの見方をする為の考え方。

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STANCE 

Garage.U.Wの服作りにおける哲学や規範ともいうべき概念の事をSTANCEと呼ぶ。

それを以てして独自視点のオリジナルアイテムを作り上げている。時に迷いが生じた時の道しるべともなり、人生訓でもある。考え方の「アプリ」のようなものであり無数存在する。アイテムごとに何を選び組み込むかで多様性を表現出来るのである。


Pure experience

その中でも最も基本的なSTANCEが(Pure experience ピュア・エクスぺリエンス)前述の「純粋経験」=「直観」。

人生におけるその時点の知性の積み重ねがもたらす、物事に感じる最も初めの印象である「直観」。他人の意見、目にした情報に影響を受ける前に自分が何となく好きと感じる事には必ず潜在的な要因があるので、初見の感覚を意識的にキープしておくことで先ずは進むべき正しい方向を向いている状況を作るのである。常にニュートラルであることが、正しいスタート地点へと感性をいざなう。

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Pure experience Requiem 

そして唐突であるが、Pure experience (ピュア・エクスぺリエンス)「直観」にはその先があった。

桜をサクラと思慮分別した時点ですでに「反省」となる。その「直観」と「反省」の永遠なる繰り返しを全盛期における西田哲学では「自覚」と表現するが、我々はこう呼ぶ・・。

Pure experience Requiem(ピュア・エクスぺリエンス・レクイエム)「終わりなき始まりの繰り返し」

服を表現する時、我々が全力を注ぐのは形作るプロセス迄。それ以降、受け取った人の手に渡ってからはその人なりの着方やライフスタイルに溶け込んでいけなければ作られた意味がないので、アーティストのように内包するものを表現するのではなく、マスプロダクトのように顧客のニーズをそのまま形にするのでもなく、ありそうで無い「需要を喚起するもの」「こんなのが欲しかった!」と感じられるものを造る事が役割と認識する事が前提である。その上でプロダクトにおいて、あくまでも中立的な俯瞰目線から、常に「直観」と「反省」を繰り返し、その対象に感じる違和感が無くなるまで洗練して行く。

そして、時代や風潮によりアイテムを取り巻くムードは変化して行くため、また新たにゼロから「終わりなき始まりの繰り返し」を実践するのである。良いものを作るためベストを尽くす。それにははじめからやり直す労を惜しまない。そしてそれを基本姿勢になっている状態を以て行う取り組み。

自分世代や好みのこだわりによって趣向のゴールに留まる事も可能である。しかしそうしないことで常に時代の変化に合わせて歩み続ける事が出来る。

それは常に「過程」であり、結果はアップデートされ続け決してゴールにたどり着くことはない飽くなき旅路。終わりがないのが終わり。これが、STANCE:(Pure experience Requiem ピュア・エクスぺリエンス・レクイエム)によるプロダクトである。



※ ウイットです



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