見出し画像

私って、なんでこうなったんだっけ?

最近の私といえば、
ある日突然会社に行けなくなったり↓

そっからまたもがいて、もう一度会社に行ってみて、頑張ったのだけれど、
結局リタイアしてしまったり↓

そんな感じで、今は会社には属しているけれどおやすみ中の、なんだかよくわからんニート的な生活をしている。

期間限定ニート生活。きちんと休み、自分と向き合い、なるべくもう同じことを繰り返さないようにするために、この直近半年くらいの時間で自分がどんなことを思っていたのか、何をしていたのか、記録をつけておきたいと思う。


2024年1月〜2月

この頃の私は、めちゃくちゃ将来について思考、思案していた。

将来というか、これから先生きて行く上で、どんな人生にしていきたいか?みたいな感じのこと。それってまあ将来か。



23年12月になんだか大きめな失恋をして(相手方や私の周りが読んだら否定してきそうだけれど私は失恋と呼んでいる)、
なんかまあ、時間ができたので、私ってどう生きていきたいんだっけ?みたいなことについてちゃんと考える時間を取るようになった。
このまま行き当たりばったりで人生を歩んでしまうと、後で大きな後悔をしそうな気がしたから。


そこで思った。「あ〜私、結構結婚とかしたいのかも。」



周りの友達から「あなたが子宝に恵まれてママをやっている図が想像つかない」とよく言われ、
家族友達美味しいご飯と珈琲とお酒と好きなバンドの音楽があれば大抵のことは乗り越えられるし女友達とゲラゲラ笑っているのがちょー楽しい!と心の底から思っており、
小さい頃から将来の夢はお嫁さんなんて言わないどころか独身の方が楽しそう!とか言ってた、この私が。結婚したいと思うのか。


これが結構衝撃的だった。



私にとってのパートナーというのは「人生の共同経営者」的立ち位置。
一人一人には独立した一本の人生があり、子育て、犬飼い、介護、等などのお互いのライフイベントを共有し、どんなアプローチでそれらを乗り越えて行くのか、一緒に考えて立ち向かっていく人、そんな感じなのだけれど、


おそらく相手方が、ソウルメイトとしてめっちゃしっくりくる!一緒に人生やってみたい!みたいなのにありがたいことに該当していたので、ボヤ〜っとしかなかった将来の理想像が急に具体化したのだと思う。



(めっちゃ余談だけど、私が結婚したい理由を「この世の荒波を共に生きゆくソウルメイトが欲しいから」と言ったら、
友達が、その気持ちは全然わからないと言っていた。
その子は、「兎に角何があっても自分のことを守ってくれる存在が欲しい」から、結婚したいらしい。
それもわかんないな〜と思っていたら、「ソウルメイトは妹で十分なんだよな〜」とのこと。 
なるほど。私は一人っ子なのだ。)


そこから、じゃあ自分が結婚して、誰かと人生を歩んでいくとなったときに、今の仕事って、どうなんだろう?と思った。

今の私は、平日休みの営業職。フル出社、平均残業時間は40〜45時間くらい?

今すぐ逃げ出したいほどの辛さはないが、誰かと生活をする上では、いろいろな点が合わなくなりそうだなと思った。

それに、結婚するとなると、子どもを産む選択をするかもしれない。

今の会社に、子育てをしながら営業職で働いている人なんて、ほぼ全くいなかった。

そもそもこの仕事は能力的に向いているものの精神的には向いておらず、また大したやりがいもなく、好きな仕事でもなかったので、ここで頑張り続ける意味は全然なかった。


ここまで考えて、決意した。転職しようと。


2024年3月上旬

じゃあ転職するならば、いつ、どのあたりの会社がいいのかな?と具体的に考え始めたのがこの頃。

今の会社のまま、部署異動でキャリアを形成することができるかな?とも思って、なけなしのツテを使って各部の状況を聞いてみたりしたけど、やっぱり今の会社では私の理想の働き方は出来なさそうだった。

だけれども、私はこの次の4月から4年目。OJTみたいな立ち回りを任されるようになる予定だった。私はこの業務にもとても興味があったし、間違いなく成長できるだろうなと思っていた。

そしたら、後半年在籍して、きちんと一年目を育てて、ノルマもクリアし、新卒からお世話になったこの会社でできる限りのことをやり尽くしてから、転職しよう。

そんな感じでいい具合の計画を立てていた。

2024年3月中旬

自分に異動の辞令が出た。どうして!

当時いた場所の人員的にも、プロパーの先輩方の動き方をみても、全然異動しなさそうだったのに、異動しなくてはならなくなった。
そして異動先が、当時の私にとっては絶望的だった。
以下、理由↓↓

①業務上、1から勉強し直さなければならないことが多い
②上司が少なく、後輩がやたら多い なぜここに自分が?
③上司が怖そう(結果、怖かった※後述)

まあ多分よくある玉突き的な異動なのでどうにもならないのだが、そのポジションになぜ私が・・・?!?!みたいな異動だった。

当時、「栄転じゃん!」みたいな反応を同期先輩たちからもらうたびに(なんか派手目な異動だったからぱっと見そう見えただけ)、心の中でシュンとしていた。

この会社で頑張りたい、出世したい人たちにとっては最高の異動なんだろうな。

全然私、頑張りたいと思っていない(頑張れる別の場所を探したい)んだけどな。
なんで私が異動しなきゃいけないんだろう。というか、この会社で頑張りたいと思っている人たちに最早申し訳ない。代わってあげるよ。
私まだ全然今のとこ居たいし、そう言ってたでしょ、みたいな感じ。


ただ、異動辞令が出てから1日ほど考えたけれど、やっぱり私の進みたい道も、いつどのように動きたいかも、全く変わらなかった。

このままルートに乗って頑張れば、会社の中でいい感じのポジションにいられるのだろうな、ともぼんやり思った。
でも、それって私の人生においていいことなのだろうか?と、全然乗り気になれなかった。


だから、「4月からがむしゃらに働いてさっさと目標達成して、新人育成して、転職活動やりきって、次のタームで絶対退職しよう!」と決めた。
気合いを、入れた。

2024年4月

異動した。
そのころの私は、異動先にこんな印象を抱いていた。

・前にいたところ以上にみんな働いている
大体の残業時間は一緒なのだけれど、お昼は誰も外に行かず一番近くのコンビニで買ってきたものをデスクで食べながら仕事「していないといけない感」がすごい。
兎に角出社してから退勤するまで、ずっと「仕事中」、そんな感じ。
所謂事務周りの業務をやってくださる女性先輩方ですら、毎日2時間ほど残業したり、
かつすごく朝早くに出社したりしていた(私はこの事務スタッフの方々に本当に救われていたので、頼むから早く帰って美味しいご飯をご家族と食べていてほしいと思ったりしていた)。


・上司が怖い
ざっくり言うと、「俺が(俺のために)○%の成績を残したいから、(俺のために)お前は目標の2倍やれ」みたいな感じのマネジメント(?)だった。
今まではこちらがやる気を見せて報告連絡相談を欠かさなければ「一緒に頑張ろう!」と伴走してくれるありがたい上司ばかりだったので(本当にありがたいことである)、ギャップがあった。

良い信頼関係も、この人にならついていきたい!と思う気持ちも、全く育っていない中で、ただただ、圧力を感じていた。多分この圧力のせいで、↑のように「ずっと仕事していないといけない感」があったのだと思う。


・後輩たちがなんだか微妙に萎縮気味
なんとなく、全体的に、どよんとしていたような気がする。これは私のバイアスがかかった見方のせいかもしれないし、職場に窓がなかったからかもしれない。日光は欲しいし、換気はしたいよね〜

多分、上司や先輩たちが後輩たちにかける言葉が微妙に怖かった。
半年前の資格試験にあと1点で落ちた子に対して「あと1点は言い訳だ、余裕で受からないと意味がない」と飲みの場でチクチク言っていたり

(俺はあの子にこう言ってやりたいと数日前から言っていたが、果たして飲み会で言うことなのか?半年前のことを今言う意味は?あなたが気持ちよくなりたいからなだけなのでは?と思ったりした)、

私と一緒に異動してきたばかりの子に対して執拗に詰めたり、入ってきた一年目の子に対して「お笑いがわかっていない」とその子の居ないところで不思議な角度からの悪口を言っていたり。
慣れない場所でキャパシティギリギリまで頑張っている子に拾いづらいボケをふっかける意味は?


言っていることに対しての正しくなさは無かったかもしれないが、その伝え方は頭に入ってくるものも入ってこなくなるでしょう、と言いたくなるものばかりだった。
私がいろんな面で甘すぎたのかな、とも思うし、社会ってそんなものだとは思う。


否、私とは合わなかった、ただそれだけなのだろう。

私に対しても、新人が来た初日に「定時で帰らせてあげることができなかったね、あなたのマネジメントミスで、評価マイナス100だね!」とか言って笑ってきたりしていた。

私はその言葉一つ一つに傷つくほど柔では無い、でも「それってわざわざいう必要ある?」って言葉が多かった。


(とはいえ、そういえば私が一年目の時の上司はとんでもない言葉遣いで私は恐れ慄いており、それに辟易していた。

私がお花畑すぎただけだけれど、「お前ふざけんな!」とか言われて、最初そんな汚い言葉が自分に向けられているなんて気づかなかったりして、さらに怒らせたりしていた。笑

あの頃はあの頃でつらかったが、今はいい思い出だし、その頃の上司は今でも本当に信頼している。こういうことって、ある程度乗り越えちゃえるし、乗り越える「べき」ことなんだとは思う。

ただ、一年目の上司は私のためを思って、私の成長を考え、その上でいろんな指摘をしてくれていた。
周りから言わせるには酷かったみたいだけれど、私はその、私に対しての愛?気持ち?のようなものを受け取れたので、結果的にあまり辛くは無かったし、いい思い出になった。

多分、薄々感じ取っている「俺の目標達成のために」という上司の自分本位な気持ちと、言う意味の無い言葉の棘みたいなものが、うまく重なり合って、私は苦しくなっていた。)


兎に角毎日が苦痛だった。出社するのが嫌だった。


また、前の職場にいた頃は、業務をうまく調整して(勿論前後で自分がめっちゃ頑張るという意)、自分が仕事である土日なんかも、19時ごろにあがって友達と飲みに行ったりしていた。
あと、メンバーとその場の思いつきで飲み会をセッティングして、飲むために20時まで頑張ろう!みたいなことをたまにやったりしていた。これが多分、相当の息抜きであった。
そうやって、仕事の時の自分と、本来の自分の、バランスをとっていた。


これが全くできなくなって、というか大した業務は無いのに19時なんかでは帰れなくて(営業職というものは、作ろうと思えばいくらでも仕事を作れるのである)、
休みの日も疲れて昼間は寝てばかり、友達や恋人と会って話していてもいつもよりボケツッコミの精度が低い(多分自分以外誰も気づかない)。自分ってつまらない人間なのかも、なんて思っちゃったり。

異動したばかりだししょうがないよね〜と思いつつ、だんだんその状況に疲弊しつつ、ただそのころは4月を乗り越えればGWだ!と思えたので、それだけで突っ走った。


2024年5月

GW最終日の寝込みようがすごかった。
その前日にバックトゥザフューチャーを見て、サイコロステーキ焼いてもらってモリモリ食べていた頃くらいまでは良かったのだ。
次の日、朝から頭が本当に痛くて、14時くらいまで寝て、夕方からの飲み会の予定を断って、もう一回寝た。なんだろう、重力に負けていた。

5月の、働いている日々の中での記憶があまりない。カメラロールを辿ってみたら、仕事の日、たまたまお昼に外出予定があったので久しぶりにランチができて超嬉しい!というSnap Chatが残っていて、自分可愛い〜と思った。いや、普通に毎日残業せざるを得ない環境なのであればお昼休みはちゃんと取りたいよな。

平日の9時〜21時は、上司にとって都合の良い社員を演じていた。そうすれば良い仕事がもらえたし、そうすればはやく目標を達成できる。所謂社内営業ってやつだ。早くやめるために、どうしてもそれが必要だった。完璧でいないといけなかった。


社内営業自体は全然苦ではないし得意分野と思っていたけれど、ただただ今までの上司たちが営業をかけたくなるような人(この人のために働きたい!と思える)だっただけなんだろうな。異動先では、こんな人たちに媚びへつらうの、疲れるな〜と思っていた。


4月もそうだったけれど、上司の予定表を逐一チェックし、いつ外出しているのか、いつ会食が入っていて早く帰るから自分も早く帰れそうかとか、そういうことをめちゃくちゃ気にするようになっていた。

私は基本的に、自分の働く環境において皆が健やかに楽しく働け、同じ目標に向かって共に走れることを何よりも大事に思っているので、上司をそんなふうに意識したくなってしまうことがつらかった。



あとは休みの日、兎に角たくさん歩いていた(これはただ私の趣味が散歩なだけ)。なんだか自分のために時間を使うことに最早違和感を覚えていた。「今日は美味しいものを美味しいと思ってゆっくり食べていいんだな〜」って言ったらちょっと心配されたりした。

大切な人にこんな顔をさせてまで乗り越えなければいけない壁なのだろうか?と思った。


2024年6月

上旬は、なんだかんだうまくやっていたのだ。でも、自分のやらなければならない仕事が極端に増え、毎日22時まで残業、みたいな日々になったタイミングで、今まで蓋をしていたものが、どんどん自分の中で溢れかえるようになってしまった。
今まで意識的に気に留めていなかったことが、どんどん気になるようになった。
完璧でいられなくなった。
いや、始めから完璧ではなかったのだろうが。


負の感情として挙げるとするならば、前に話した通りの①上司からの圧②後輩たちが大変そう そのくらいなのだけれども。
上司の言うことやることなすことに、ついていけなくなってしまった。


周りの部署の成績や行動を見て「あいつもこいつも大したことねえ」「こんだけ成績あげてるの見んの気分わりい」みたいなことばかりを言って、いつでも自分が一番すごいとポジション付けしていないと気が済まないスタンスに、気持ち悪さを覚えた。

飲み会だって、自分が気持ち良くなるためのムーブばっかり、いつでも自分が評価する方の立場。まあ後輩だからそれはそうなんだけど、井の中の蛙に見えてしまった。

井の中の蛙が良い評価をもらうために働かなきゃいけない下っ端のおたまじゃくし役、嫌だなあ、と思った。

そんな時に、すごくすごく頑張っている後輩が、ものすごく理不尽に、怒られ続けるようになった。
大きな案件を、めちゃくちゃ準備して、できる限りの策を講じて、上司に相談しながら進めていた。それなのに、明らかに上司の確認不足のせいで躓いた瞬間、執拗に彼だけを責め続けた。

とんだ棚上げだ、と思ってしまった。


昔とてもお世話になった上司からは「若いうちは前向きに倒れればいいんだ。きちんと報連相して、俺らが確認して、それで失敗したら、それできちんと学べばいい。君たちの仕事は、報連相をきちんとすることなんだ」みたいなことを言われていたくらい、すくすく育った私には、結構衝撃的だった。
まあこれも社会においては、よくあることなんだろうけど。
すくすく育ちすぎたのかな。


そんな時に、異動してきたばかりで権力も無く知識もまだまだ浅い私は何も助けてあげられない。それがなんだか、ものすごく無力なことに感じられた。私より上の年次の方々(このnoteでは上司とまとめているが)は皆とても攻撃的で、お世辞にも「頼れる先輩方」では無かった。加えて、後輩の人数が多すぎた。

本当は攻撃的な上司からたくさんいる後輩を少しでも守り、助け、モチベートできるような同僚であるべき存在なのに、それができない自分に、ものすごく憤りを感じていた。


「まあ、俺らがあくせく働いて上司のいう目標をクリアすれば、上司のボーナスが跳ねますもんね。」


責められていた後輩がそう言っていて、そう言わせてしまっていることに、本当に情けなく思ったし、私が悪いわけでは無いのに、ごめんね、と思った。


結果、どうなったのか?


振り返ると、なんだかこの頃から、いろんなことにから距離をとって考える、みたいなことが、できなくなっていたのだ。何でも100%できないと気が済まなくなっていた。


上司に対して思うことや憤りが止まらなくなり、それを反面教師として自分の「こうあるべき」像につけ加えて自分でなんとかすることでどうにかしようと捉えてしまい、
結果どうにもできない自分にさらに憤りを感じ、それでも仕事は増え、どんどん増え、 
早くここから逃げたいからと精を出したいはずの転職活動も取り組む時間が少なくなり、さらに焦り、でもまたどんどん仕事が増え、
仕事しかできなくなり、プライベートな関係の人たち(大事な大事な友人たち)とのコミュニケーションが激減し、閉鎖的になり、どんどん自分への憤りが凝り固まり、また仕事がどんどん増え・・・そんな感じで、今に至ってしまったんだと思う。

書き出してみると、ある程度は「社会とは、会社とはそういうものだからしょうがない」ということばかりなのだろう。
でも、ここでこれ以上頑張ったら、私は間違いなく、取り返しのつかないところまで行ってしまう、と思った。


どれだけあまちゃんとかいくじなしと言われても、自分の健康の方が大事だと思った。それでいいんだと思う。だってこの職場じゃあ、誰も私のことなんて守ってくれないし。

今までの人生で人から言われたこと・されたことで悲しかったこと、みたいなものを羅列すると、
多分15年習っていたバレエ教室での先生や大人たちからの諸々とか、小学校のよくあるいじめとか、バイト先のパワハラ社員の言動・行動とか、全然もっとやばいのがあるのだ。


でも結局労働拘束時間の長さと、状況・環境相まって閉鎖的になっていたこと、シンプルに新しい環境に適応できなかったこと、いろんなことが複合的に重なって、こうなったんだろう。


だから、単純に己の甘えとか、そういう自責100%!みたいな考えで、自分ばかり責めるのは、なんか違うんだろうな、と思う。



休めてラッキー!運がいい!くらいの気持ちで、ちゃんと休んで、この出来事に対してある程度距離を取れるようになったら、自分を省みていこうと思う。

そんな感じで、行きましょう。

(2024.7.2)



=========================


ここまで約7500文字。長すぎる!


もし最後まで読んでくれた人がいるのならば、ありがとうございます。
完全私的記録なので一生下書きに入れといていいや〜と思ったのだけれど、
もし誰かがこれを読んで「こんな感じで休んでも良いんだな〜」って思えるのならばそれも良いかな、と思って出してみた。

今日のあなたが少しでも心を緩められますように。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?