ゴジラ5

趣味学のススメ~GAPの中のゴジラ論~

こんにちわ、GAPです。

前回の記事にて、僕がヲタクという人種であると書きましたが、その中でも一番長く好きでいるコンテンツがあります。

それは「ゴジラ」です。

幼稚園の頃、金曜ロードショーや土曜プレミアムなどの夜の映画放送で平成VSシリーズを見て以来、アラサーとなった今でも大好きな作品の一つで、これまでの全てのシリーズはもちろん、新作が公開されれば必ず見に行くほど未だに惹きつけられて止まないシリーズです。

そんなゴジラ大好きな僕が毎年楽しみにしているのが、日比谷で開催される「ゴジラ・フェス」というイベントなのですが、元号が令和と変わった今年も開催されましたので、遊びに行きました!

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今年はゴジラ生誕65周年ということで去年以上に人が集まっており、会場は老若男女様々な人が思い思いにゴジラを楽しんでいて、滞在時間は短かったものの、ものすごく素敵で楽しいイベントとなっていました!

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さらに、遠く海外から今年の春に公開し、世界中のゴジラファンを熱狂させた映画GODZILLA~KING OF MONSTERS~でゴジラのモーションアクターを務めたT・J・ストームさんもお祝いのために来日し、ステージ上でゴジラへの愛と情熱を語り、空いた時間で素晴らしいファンサービスをしてくれました!

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僕もちゃっかり2ショットで写真を撮っていただいたのですが、気さくかつ親切で、とても丁寧な神対応をしていただきもうこの写真だけで行った甲斐があったと思っています。

そんな世界中の多くの人々から愛されているゴジラですが、最近は少し不穏で過激な意見を耳にする事も多くなっています。

特に多いのが近年公開されたGODZILLA(2014)から始まるモンスターバースやシン・ゴジラ、アニメーション版ゴジラ(通称アニゴジ)に対する意見で、

「シン・ゴジラは本当のゴジラじゃない。監督の自己満」
「アニメのゴジラはゴジラの名を汚した」
「モンスター・バースをゴジラとは認めない」

この様な声をよく耳に、あるいはSNSで目にしたりします。
そう言った意見自体は、観た人が自由に持つべきものだと思うので別に良いと思いますが、一部の人たちが「我がゴジラ論こそ正義!」と言わんばかりに、自分とは違う意見を持つ人を攻撃するパターンもあり、非常に見るに堪えない状況となっているのも確かです。

そこで今回は、「GAPの考えるゴジラ論」ということで、僕が最近公開された新生代のゴジラに対して考えていることや、今後のゴジラ映画に望むことなどを書いていければと思います。

何ぶん、自分の大好きなゴジラの話ですので、長くなりますがお付き合いください!

1、「GODZILLA(2014)」から始まるモンスターバースは「怪獣たちによる神話」

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2014年にギャレス・エドワーズ監督によって実にシリーズとしては10年ぶり、ハリウッドでの映画化は16年ぶりとなったGODZILLA。

この作品の制作が決定した時、僕は正直、不安で仕方ありませんでした。

というのも、以前ハリウッドで『インデペンデンス・デイ』でお馴染みのローランド・エメリッヒ監督が撮影したゴジラは、従来のゴジラを真っ向から無視し、見たものに「これがゴジラ……?」という感想を与えるもので、後に監督自身が「『原子怪獣現る』のリメイクを撮りたかったけど予算が下りないからゴジラの名前を使った」というぶっ飛びすぎなトンデモ言い訳をしたという経緯があったのです。

さらに作品は違いますが、ハリウッド版のドラゴンボールも「100円でレンタルするくらいならその100円でジュース買った方がマシ」というレベルの作品だった為、またこの様な悪夢が繰り返されるのでは…?と気が気ではありませんでした。

ところが、制作過程で公開されたビジュアルを見てみると、しっかり日本版のゴジラを踏襲したビジュアルとなっており、またギャレス監督も生粋のゴジラファンということから「これならまぁ、エメリッヒ版よりは酷くならんだろう」と思って公開されてからおっかなびっくり劇場に足を運んだ訳ですが、

これが本当に素晴らしかった!!

設定は平成VS、展開は昭和ゴジラといった作品で、その他にも随所にゴジラへのリスペクトが散りばめられており、ギャレス監督のゴジラ愛が結実したような出来にとても感動し、観賞終了後は「10年待ってて良かった…!」と、少し泣きそうになるくらいでした。

さらにその後、僕の大好きなアベンジャーズシリーズを形成するMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)同様、このGODZILLAもモンスターバースという名前でこれからさらに世界観が拡大していき、さらにそれに呼応するかのように日本でも「シン・ゴジラ」、そして史上初となるアニメーションの「GODZILLA~怪獣惑星~」の制作が決定したため、

「ああ、新しいゴジラの時代が来たなぁ」

と感慨深くなったものです。

その後、「キングコング~髑髏島の巨神~」、「GODZILLA~KING OF MONSTERS~」の2作により、モンスターバースはその世界観がより精密に描かれ、2020年にゴジラとキングコングが戦う「GODZILLA VS KONG」の公開を待つばかりとなっています。

さて、このモンスターバースではゴジラの他に東宝怪獣としてはラドン、モスラ、キングギドラ、そして米国原産の怪獣キングコング、オリジナル怪獣としてGODZILLAやKING OF MONSTERSに登場したMUTO、スキュラ、ベヒモスなどが登場していますが、この世界において怪獣はTITAN(タイタン)=巨神という位置づけで、人類が反映するはるか昔、太古の地球を支配していた神々として描かれています。

つまり、怪獣を一種の信仰の対象として見ているんですね。

それがよく分かるのが、劇中で渡辺謙さん演じる芹沢博士の行動と意見です。
博士は怪獣たちを秘密裏に研究する政府機関「モナーク」の研究者なのですが、軍の関係者や政府の高官に向かってゴジラや怪獣たちに対することを下記のように語っています。

「彼は調和を取り戻しに来た。彼らと、人類の」(GODZILLAより)
「従えるんじゃない。我々が彼らに従うのだ」(KING OF MONSTERSより)

こうやって書いてしまうと、神々に人間は逆らえないからひたすらに平伏し、支配されるがままにしろと言っているように聞こえてしまいますが、博士の考えはもっと先にあります。
それが分かるのがKING OF MONSTERSで最期にゴジラへ放った一言。

「さらば、友よ……」

この一言から、博士は人類に

怪獣(神々)に対して敬意を持ち、共にこの地球上に生きる同胞として共存してく。それこそが怪獣と人類のとるべき道、作り上げる未来である。

この様に言っているんだと僕は感じました。
それはさながら、かつて大自然を神と崇め、その中で共存していた古代の人々のようであり、また、ギリシャ神話や日本の古事記のように神と人間が同じ時代に共に暮らしていたかのようでもあると思います。

このことから、GODZILAならびにモンスターバースはまさに、

怪獣という存在を通して描かれる現代の神話

だと僕は結論付けています。
そしてそれは、科学が発達し、神(大自然)への敬意や崇敬が失われつつある現代だからこそまばゆい輝きを放ち、見る人の心に刺さる、魅力的な作品・世界になるんだと思います。

今こそ人は、もう一度「自然との共存」ということを見直してみるべきなのではないか?ということを教えてくれるモンスターバースは、今後も展開が楽しみです。

2、「シン・ゴジラ」はゴジラという作品の原点回帰であり転生

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お次は2016年に公開され、その年の話題作となった「シン・ゴジラ」。

監督がエヴァンゲリオンでお馴染みの庵野秀明ということで、エヴァっぽい、哲学性あふれる作品になるのかなぁという予想と共に、僕はある期待もしていました。
庵野監督は確かにエヴァンゲリオンで一躍ヒットを飛ばした監督でもあるのですが、その前には「トップをねらえ!」や「ふしぎの海のナディア」も制作している監督でもあります。

なので、全長300m級のキックが必殺技のメカゴジラや、超古代文明人が生み出した万能戦艦の轟天号などが派手にゴジラとドンパチやる作品になるのでは!?と、密かにワクワクしていたのです。
そんなワクワクをひっそりと、本当に心の奥底に秘めながら劇場に足を運んだわけですが、

ハッキリ言って僕の想像を斜め上どころか垂直上にぶち抜いていく大傑作に仕上がってしました!

庵野監督と言えば、かの大阪芸大在学時に課題制作の授業で「ウルトラマン」を作り、なんと自らがウルトラマン役として出演し、さらにアニメ監督となってからも、期間限定で行われた特撮博物館の館長を勤めるなど生粋の特撮畑の人だというのは分かりきっていたのですが、ゴジラという作品をあそこまで理解し、造詣を深くしたうえで自分なりの答えを見つけ出した手腕には本当に度肝を抜かれました。

僕はこのシン・ゴジラには2つの観賞方法があると感じています。

1つは「怪獣という存在が現れた時のシミュレーション映画として観る」。

このシン・ゴジラの舞台となる日本は、「これまで怪獣という存在が一度も現れたことのない世界」の上に存在しています。
したがって、作品の前半ではゴジラのことを「巨大不明生物」と呼んでおり、ゴジラという呼称は物語が半分くらい進んでから正式につけられています。

さらに、これまでのゴジラ映画ではゴジラが出現した段階で自衛隊、もしくはGフォースといった対ゴジラ戦特殊部隊が出動しますが、シン・ゴジラでは閣僚会議や対策会議に時間がかけられる描写が多々あり(ぶっちゃけ前半部分ほとんどが会議シーン)、ゴジラが現れてもすぐには対応できなくなっています。

この様に、僕らが住む現実世界に怪獣という未知の脅威が現れた時の反応を生々しいまでのリアルさを持って描いているんですね。

その描写は「もしかしてこれは現実に起きている出来事なんだろうか?」と、見る人に錯覚させてしまうほどであり、公開からしばらくたった後、Twitter上で作中でゴジラが上陸した日と同日にリアルな実況が行われるという出来事までありました。

それほど、このシン・ゴジラのリアリティは観る人の肌身に感じるほど強烈だったのです。

2つ目は、「純粋に初代ゴジラのオマージュとして見る」。

1954年に公開されたゴジラが、これまでの怪獣映画と何が一番違っていたか。
それは、「現実に起こった出来事の恐怖をそのまま怪獣を出現させることで体感させた」ことにあると僕は思っています。

1954年と言えば、戦後の復興は進んでいたものの、まだ第二次世界大戦、日本でいうところの太平洋戦争が終わって9年しか経っていない世の中です。観賞する人の中には、空襲で家を焼かれる恐怖、や焼け野原になった東京の町を鮮明に覚えているという人も少なくなかったでしょう。

さらに、このゴジラは当時世界的なニュースでもあり、日本人に多くの被害者が出た「第五福竜丸事件」がゴジラ出現の大きなきっかけとなっています。
当時の人は、ゴジラに破壊され、焼き尽くされる町を見て自分が9年前に味わった恐怖を思い出すとともに、水爆実験の脅威を肌身で感じたことと思います。

では、シン・ゴジラはどうかと言いますと、これはあの東日本大震災を想起させるような描写が随所にちりばめられています。

まずは第一形態のゴジラが運河を登って蒲田に上陸するシーンですが、漁船や建物を蹴散らし、川の水を氾濫させて街に向かってくる姿は、まさに三陸沖を襲った津波そのものです。
その後、主人公の矢口ら政府の閣僚たちが見た瓦礫の山と化した町は、まさに津波と自身で破壊しつくされた震災直後の気仙沼市の姿にそっくりでした。

そして映画のラスト、巨災対の立案したヤシオリ作戦により東京駅にて凍結したゴジラは、まさに今もなお封印され続ける福島第一原発の姿をそのまま現しています。

初代ゴジラが、「昭和という時代に起きた最大の悲劇(戦争)の恐怖」を描いているのなら、シン・ゴジラは「平成という時代に起きた最大の惨事(災害)の恐怖」を描いている作品と言えるでしょう。

このことから、シン・ゴジラは歴代ゴジラの中で一番、初代ゴジラへのオマージュを現した作品といっても過言ではないと思います。

この様に、リアリティに満ち溢れ、かつ身近に起きた惨事や恐怖を奮い起こすシン・ゴジラという映画は、観た人に暴力的なまでの衝撃を与え、ある種の呪いのような魅力でファンを惹きつけています。

(余談ですが、僕はシン・ゴジラを3回見に行き、そのあまりの衝撃からしばらく他の映画を見ても何か物足りなくなる「シン・ゴジラの呪い」にかかり、治るまで3ヶ月かかりました)

3、アニゴジ三部作は、アニメの可能性に挑戦し、「怪獣とはどういう存在か?」に新しい答えを追加した作品

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3つめとなるアニメーション版ゴジラ、通称「アニゴジ」ですが、これが現在、新世代ゴジラの中で一番評価が分かれる作品であります。

一方は「素晴らしい出来だった!」、もう一方は「こんなものはゴジラじゃない!ゴジラの名を汚すな!」と真っ向から意見が対立しており、Twitter上でも諍いが絶えない作品となっています。

僕個人の意見として、この作品は全然アリ、むしろ「ゴジラの新しい可能性を示してくれた作品」として高く評価しています。

そもそも、ゴジラに限らず全ての特撮作品における最大の魅力は「日常(三次元)の中に非日常(怪獣・怪人・ヒーロー)のものが現れるところ」だと思っています。
つまり、作品世界を全て二次元で描いてしまうアニメは、特撮作品最大の魅力を打ち消してしまうというデメリットがあるわけです。

しかし、それと反対にアニメには「三次元では表現しづらいところを表現できる」というメリットもあります。
これをアニゴジに当てはめてみると、とてつもなく高いレベルでゴジラという作品を描いていると、僕は観賞した時に感じました。

人物や怪獣は手書きアニメのようなデザインを踏襲しつつ、動く際は最先端のCG技術をフルに使って特撮作品のようなリアリティを出してくれています。

物語はゴジラ(というか怪獣という種族そのもの)に人類が敗北し、宇宙船で地球から脱出した近未来の話で、移住先にする予定だった惑星に人が住めないことが分かった人類は再び地球に戻るところから始まりますが、この間に地球では2万年もの歳月が経過しており、地球環境が脱出した頃とはまたく違うものになっています。

この2万年後の地球の姿や、巨大な移民用宇宙船、さらには地球に降下した際に活躍するロボットやメカ、マシンは特撮で表現しきれるものではなく、アニメだからこそここまで出来た、むしろアニメでなければ表現できなかったことばかりだと思います。

そして、この作品の最大の魅力は、「怪獣とは何か?」という疑問に対し、様々な答えを見せてくれたことだと僕は思います。

この作品には、地球人以外にも科学技術を極めたビルサルト人、精神を高め悟りを開いたエクシフ人という2つの異星人が登場しますが、ゴジラという脅威に対し、各種族はそれぞれ違った答えを見出しています。

地球人⇒ゴジラは憎むべき仇敵。殲滅すべき憎悪の対象
ビルサルト人⇒ゴジラは超えるべき大きな壁。それを超えてゴジラと同格の存在として地球に君臨する
エクシフ人⇒ゴジラは抗えぬ破壊の化身。滅びの中に救いを求めて身を捧げる

それぞれの意見、思惑がある中でこの3つの種族は様々なやり方でゴジラという破滅の権化に立ち向かい、それぞれ違った最期を迎えます。

中でも特に、両親を目の前でゴジラに殺害され、自分たちの未来を奪った主人公のハルオは人一倍、ゴジラに対する憎悪と怒りを見せていますが、最終作である「星を喰う者」において、ゴジラという脅威に対して自分なりの答えを見つけ、その憎しみに決着をつけています。

それは、「怪獣とは、人から恐れ、憎まれ、怒りをぶつけられる存在である」ということ。

映画の終盤で、ハルオたち生き残った移民船団の人々は、地球にわずかながら生き残っていた人類の末裔であるフツア族と共に静かに暮らしていくことを決めますが、ハルオは1機だけ復活した戦闘用のロボットに、かつてのゴジラとの戦いで意識を失った恋人を乗せ、ゴジラに向かって特攻します。

それは、「この地球上でゴジラを恐れ、憎み、怒りをぶつけているのはもはや自分たちだけ。自分たちが死ねば、ゴジラはもはや怪獣ではない。自分たちが死んだとき。ゴジラの中にある怪獣という概念は死ぬ」という、ハルオがたどり着いた答えであり、長きにわたるゴジラとの因縁に決着をつけた行動でした。

この様に、アニゴジは3部作を通して「怪獣とは何か?」を問い続け、各作品ごとに答えを見つけ出し、さらには1つの決着を見せた作品であるわけです。

この描き方、そして物語のまとめ方はとても美しく、ゴジラのみならず怪獣映画というジャンルに新しい息吹を吹き込んだと、僕は感じます。

実際、観賞後には何か清々しい気持ちになり、より新しい目線でそれまでの怪獣作品を楽しめるようになったと思いました。

4、ゴジラに明確な答えは存在しない

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ここまでモンスターバース、シン・ゴジラ、アニゴジと新世代のゴジラに関していろいろと書いてきましたが、はっきりと言えることが1つあります。

それは、ゴジラという作品に正解はないということです。

こう書いてしまうとありきたりになってしまいますが、ゴジラはその時代時代で様々な描かれ方をしてきました。
昭和シリーズでは怪獣プロレス、そして子供たちの味方として、平成VSシリーズでは人類の脅威、地球の覇者として、ミレニアムシリーズでは時に人類の敵、警告者として、その姿は実に多様です。

そうして先人たちが描き、積み重ねてきた歴史の上に、ゴジラという存在は成り立っています。

しかし、時の流れとは残酷なもので、その偉大なる歴史を作ってきた先人のうち、幾人かはもう、この世の人ではなくなってしまっています。

生みの親である円谷英二、数々のゴジラ楽曲を生み出した伊福部昭、そして初代スーツアクターの中島春雄。
こういった偉大なる先人たちが生み出し、育み、紡いできたものを、僕たちは見て楽しみ、興奮し、感動してきたと思います。

そして、これらの先人たちが作ったものを見て、影響を受けた人々が新世代のゴジラをそれぞれ新しい形で紡いでいるのが現代だと、僕は思います。

ギャレス・エドワーズ監督、マイケル・ドハディ監督、庵野秀明監督、静野孔文、瀬下寛之監督に脚本家の虚淵玄など、みんな先人たちのゴジラを見て、影響を受けたクリエイターたちです。

その方たちがそれぞれのゴジラに対する思い、情熱、愛を注ぎ、新たな時代を作っていくのだと思います。

そしてそれは、僕たち観賞者サイドも同じことです。

一概にゴジラファンと言っても、ゴジラに対する思いは人によってそれぞれでしょうし、好き嫌いがあって当然だと思います。

しかし、自分の好みに合わない、理想と違うからと言ってその作品を貶めたり、その作品が好きな人を攻撃するのは絶対に間違っているし、あってはならないことだと思います。

自分の理想のゴジラこそが正義、正解だと思わない。

これからの描かれる新しいゴジラの世界を見て「こういう描き方もあるのか。こういった可能性もあるのか」と、視点を新たにしていくことこそ、これからのゴジラに必要なことなのだと、僕は思います。

長く偉そうなことを書いてしまいましたが、僕はこれから描かれるゴジラの世界に、大きな期待を持っています。

様々な監督が、様々なゴジラを描く。

これによってゴジラというコンテンツはこの先も未来を紡ぎ、発展・進化していくと考えています。

この記事を読んでくれた方が、ゴジラの新しい世界を楽しんでいってくれたら嬉しいです。

以上で今回の記事は終わります。
また、別の記事でお会いしましょう!

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